この第十条をくどいほど説明されて来たのである。帰ったらすぐ保証人と相談してなんとかするからと、アテのない一時のがれを言って木村は冷汗をかいた。側にいて二人の問答をきいていた町の駐在所はなんにしても名誉なこった、名誉なこった、とくりかえしていた。その話を聞くと漁夫たちは「死にに行く奴に金を返せって法があるかい、香奠をよこせ、香奠を……」とののしり合った。――その夜、鰊くさい仕事着のまま、風呂敷包み一つを小脇にかかえて津軽をさしてとぼとぼ帰って行く、木村のしょんぼりした後姿は見ていられなかった。
 其の後、漁夫の一人が、盲腸炎でたった四日間病んだきりで死んだときにも、やはりこの「契約書」がものを言った。遺族がもらった慰藉料は二十円だったというものがあり、いや十円だというものもあった。

          五

 走り鰊がおわり、中鰊の時期にはいった。
 一つのうわさがその頃漁夫たちの間に広まって行った。「今年は九一金がない。」ということだった。このうわさは大きな衝撃を彼らにあたえずにはおかなかった。九一というのは漁場主が漁夫にあたえる賞与の制度だった。昔は、九一というのは、漁場主と漁夫と
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