の男だった。
二人はそんなふうにしてだんだん打ちとけて行った。山本はねちねちした口調で、村での源吉のくらし向きの事なぞについて多く訊いた。それに答えながら源吉は少しずつ軽い気持になり、日頃の自分の重苦しい気持というものは、誰に向っても不平の訴えどころのない、捌け口のないというところからも来ている、ということに気がついた。そして日頃自分の胸にわだかまっているもやもやとしたものを、この男ならなんとか解きほぐしてくれるかも知れない、などとおもうのであった。彼は問われるままに鰊場かせぎに来るようになったいきさつについて語り、自分の村での生活について語った。――話をするうちにも、うすっぺらな移民案内一冊を後生大事にふところにいだいての闇の津軽海峡を渡った五年前の興奮が、今は苦い渣滓《おり》となって心の隅にこびりついているのを感ぜずにはいられなかった。
「おめえたちのとこア、年中、米のめしくえるべな。なんしろ上川だでな。北海道一土地が肥えてっのだから」。深いため息をついて源吉はそういい、しんから山本を羨んだ。
「ふん。」
鼻のさきであしらい、人を小馬鹿にしたような調子で山本はいった。源吉はむっとした。その相手の心をよみとった山本は追っかけるようにするどい声でずばり、と言った。
「それでおめえ、自棄《やけ》酒くらってよっぱらってれば、その苦しさから脱けて出られっとでもいうのか。」
はっと胸をつかれて源吉がおもわず息をのむと、山本はハハハと大声を立てて笑った。源吉はしかし、こんどは怒れなかった。かえって彼は、兄貴からでも叱りつけられたときのような、叱られながらそのものによりかかっているといった、頼もしさと力つよさとをかんじたのである。
「んだら、どうせばいいっていうんだ!」
彼はせっぱつまったような、苦しそうな声で言った。山本はちょっとの間だまっていた。平べったい大きな鼻がまんなかに頑ばっている、幅の広い日に灼けた顔はいつか真剣な輝きにみちている。
「俺らから身ぐるみ剥ぎとって行ぐ奴からさかしまに剥ぎとってやるまでよ!」
「え。……どうするんだって。」
「地主よ、地主に目がつかんかい、地主に。」
「うん、……]
「おめえの今の小作、小作料なんぼだ。」
「二俵半ばしだ。畑代は四円に近けえ。」
「ふん、四俵[#底本は「俵」を「依」と誤植]も取れねえ田圃に二俵半か。それじゃなんぼかせいだとて米のめしの喰われる筈はなかんべえに。ぼやぼやしてっといんまに尻の毛まで抜かれっぞ。上川は土地ア後志なんどよりもそりゃ肥えているどもな。地主のえばっているとこアおんなじこった。その年のうちに飯米なくなって唐黍に芋まぜてくっとるぞな。んだからよ、みんなして、貧乏人同士みんなして一つに固まるのよ。そして俺たちの作ったものア、遊んでただまま[#底本は「ただまま」を「ただま」と誤植]くらってる地主に奪られねえ工夫するこった。そのほかに手はなかんべえに。――おめえの村に農民組合あっか?」
「農民組合?」
「なんだ、聞いたこともねえのか。もっとでかい眼玉《まなこだま》あいて世間のことを見べし。」
強い力に押された形で源吉はだまりこんでしまった。なんだか出口につきあたったような気がぼんやりしてきた。真暗がりのなかをぐるぐると鼠まいしているうちに、その一角にぽっかりと穴があいて、一筋の明りを認めたときの気持だった。
枕もとに近い波のおとのあいまあいまに、寺の梵鐘がひびきはじめた。人々の起きる時刻だ。漁夫たちは寝がえりをし、欠びをしはじめた。戸の隙間からはうっすらと朝の光りがさして来た。……
三
朝、赤毛布の前掛けに、大丸の屋号をそめ抜いた手ぬぐいの鉢巻姿で、漁夫たちは浜べに出そろった。まず除雪作業だ。廊下(漁舎のこと)を中心とする数十間の地の積雪は、屈強な男たちの担ぐ畚《もっこ》に運ばれて、またたく間に除かれてしまった。きれいに掃き清められた浜べには、蔵の中から持ち出された建網と枠網が拡げられた。前の年に漁がおわると、柿渋をほどこして格納しておいたものだが、この一年の間に鼠喰いがないか、縄ずれがないか、擦り切れがないか、雨蒸れで脆弱になった箇所はないか、と一々詳しく調べるのである。枠網は一名財産袋ともいう。建網でとらえた鰊を「汲み」あげて枠網に入れ、親舟につないで陸に曳航するものだけに、枠網に少しの破損箇所でもあれば折角つかんだ「財産」はそこからみんな逃げ出してしまう。それだけに枠網の検査は厳重にしなくてはならぬ、船頭は、「枠網履歴書」を手にし、新調の網をおろしてから今日にいたるまで網の歴史をしらべ、それによって修理箇所をさがして行く。「……コノ日、北風強ク時化トナル。鰊ヲ枠ヘ詰メ終リ小蒸気船ニ曳カシメ××港内ニ避難ス。ソノ際、障害物ノ摩擦ニ
前へ
次へ
全14ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング