べ行ぐべ。」
 [#底本は改行天付き]がやがやとたちまち二三人が集まって来てその男を取りまいた。「こったら、雀の涙みてえ酒このんだばしで、どうして去《い》んで寝られっけえ。」
 五六人ずつかたまって外へ出た。暗かった。春といってもさすがにまだ寒く、凍てついた街道に氷のくずれる音がばりばりときこえた。はるか彼方の丘のあたりから、どん、どん、ど――ん……と高く低くうちならす太鼓の音が闇をつんざいてきこえてくる。町の氏神が鳴らす大漁祈願の太鼓だ。しばらく闇のなかに立って源吉は胸算用をしてみた、帳場から借りた金がまだ五円はある。二つの心が彼のなかでしばし争った。が、すぐに彼は、もう十間以上も先に行く男たちのうしろから追っかけて行った……。
 酔い痴れてそこに泊りこんでしまった仲間たちからはなれて、真夜なかに源吉はただひとり宿舎へ帰って来た。彼らの宿舎は旦那の家から少しはなれたところに立っていた。板のすきまからは遠慮なく吹雪の吹きこむようなバラック建だった。大広間の三分の一は炊事場で、残りの三分の二の板の間に筵を敷き、漁夫たちはその上にごろ寝をするのだった。
 誰一人として寝具をもっているものはなかった。どてら一枚を引っかけたきりで、仕事着のまま横になるのだ。流れて来て、偶然ここへ足をとどめることになった源吉にはそのどてらの持合せすらない。雑魚寝をしている仲間の間にわりこんで横になり、眠ろうとするのであったが、飲みつけない酒に頭はがんがんと鳴り、容易に寝つかれなかった。たったいまそこを出て来たばかりの小料理屋での記憶が――ぐったりとしなだれかかって来て、腕を首にまきつけたりする若い女の白くぼやけた顔や、やけにかん高い音を立てるこわれかかった蓄音機の音などが、遠い昔のことででもあるかのようにおもい出されて来た。悔恨と、むしゃくしゃした腹立ちと、同時に図太い棄鉢的な考えとが、ひとつになってぐるぐると胸のなかをかけめぐった。ふりかえって見る自分の姿はまた浅ましく癪にさわるばかりだった。どこまで落ちて行くのかと空おそろしいような気さえしてくる。――だがそれも、袋小路からの出口を求めて散々のたうちまわったあげくのはてなのだから、今更どうにも仕方がなかった。村での源吉はほんとうに身を粉にして働いて来たのだ。いいという畑作物はなんでも作ってみた。副業も一通りはやってみた。土木事業の出面《でめん》にも出た。冬には木樵もやった。しかも年中南瓜と芋ばかり食っていなければならないとすれば、――南瓜と芋ばかり食いながら、しかもなお毎年毎年小作料と税金の滞納に苦しめられなければならないとすれば、一体どうしたらいいんだ。出口はもうない。えたいの知れない不可抗力にずるずると引ずりこまれて行くばかりだ。いらだたしい思いがぐっと胸をつきあげて来て、糞でも食らえと彼はふたたび荒々しく肚のなかで叫んだ。
 ――とろとろと眠りかけたかとおもうと、ぞっとする寒さを襟もとに感じて源吉は目をさました。生つばがしきりに出て口のなかは灼けるようだった。
 ふと彼は身近になにかもののけはいを感した。高い天井に下っている石油ランプのうす暗い光のなかで、源吉はじっと目をすえて見た。すぐ彼の目の前にまるい大きな頭が横たわってい、金つぼ眼を大きく見ひらいて、またたきもせず彼の顔を見まもっているのだ。
「ああ、臭《くせ》え、臭え。」
 源吉が彼の存在に気づいたと知ったとき、その男は大きな掌で顔の前を払いながらいった。「安酒くらって来やがったな。」
 ずけずけと言う男の言葉ではあったが、不思議に怒れないものがそのなかにあった。源吉はむすっとしたままだまっていた。
「おめえ、なんにも着ていねえな。酔いざめに冷えてはわるかんべえに。これを着るべし。」
 そういって男は自分のどてらを脱いで源吉の上にかけてくれた。ことわるのも面倒くさく、彼はするがままに任せてだまっていた。寝ようとして三十分ほどそうしていたが、目がさえてもう寝つかれなかった。立上って、炊事場に行って柄杓からじかに水をのんだ。うす氷りを破ってのむ水は、灼け切った腹にいたいほどにしみた。彼はおもわずぶるぶると身ぶるいした。
 寝床にかえってみると、先の男は起上って鉈豆で一服やっていた。源吉も坐って一服のんだ。しきりに何か話しかけたいふうに見え、男は自分から山本と名のり、源吉の名を訊いた。源吉はなんとなくこの男に好意が持てた。彼は返事をし、問われないさきに、この町から三十里ほど東のN村のものだと自分から進んで名のった。山本は俺は上川のK村だといい、おれはそうだがお前も小作百姓か、ときいた。源吉はそうだと答えた。話をしているあいだに彼は気がついた。宵の旦那の家での安着祝の席上で、監督の話の最中に、ほほう、えれえこった、と途方もない大声を出したのはこ
前へ 次へ
全14ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング