四肢は輕々と若々しい力に滿ちて動くのである。
太田が怪訝《けげん》に思ふ事の一つは、その男が今まで空房であつた雜居房に只ひとり入れられてゐるといふ事であつた。今四人の患者のゐる雜居房は八人ぐらゐを樂に收容しうる大いさだから、彼をもそこに入れるのが普通なのである。その犯罪性質が、彼をひとりおかなければならぬものなのであらうか。それならば太田のすぐ一つおいて隣りの、今、村井源吉のゐる獨房に彼をうつし、村井を四人の仲間に入れるといふこともできるのである。村井の犯罪は何も獨房を必要とする性質のものではないのだから。――こゝまで考へて來た太田は、以前その男の顏を始めて見てどこか見覺えがある、と感じた瞬間に心の底にちらりと兆した不吉な考へに再び思ひ當り、今まで無理に意識の底に押し込んでおいたその考へが再び意識の表面にはつきりと浮び上つてくるのに出會つて慄然としたのであつた。――自分の一つおいて隣りの監房に移してはならぬ獨房の男、自分に近づけてはならぬ犯罪性質を持つた男、といへば、自分と同一の罪名の下に收容されてゐる者以外にはないのである。――かの新入の癩病患者は同志に違ひないのだ。そしていつの日にか曾つて自分の出會つた事のある同志の一人の變り果てた姿に違ひはないのだ!
太田はかの癩病人が、自分の同志の一人であらう、といふ考へを幾度か抛棄しようとした。すべての否定的な材料を色々と頭の中にあげて見て、自分の妄想を打破らうと試みた。そして安心しようとするのであつた。太田はあの淺ましい癩病人の姿が、自分の同志であるといふことを斷定する苦痛に到底堪へる事はできまいと思はれた。しかし又他の一方では、確かに彼が同志であるといふ事を論證するに足る、より力強い幾つかの材料を次々に擧げる事もできるのである。彼は何日かの間のこの二つの想念の鬪ひにへとへとに疲れはてたのであつた。その間かの男は毎日思ひ出せさうで思ひ出せないその顏を、依然運動場に運んで來るのである……。
だが、物事はいや應なしに、やがては明かにされる時が來るものである。その男がこゝへ來て一月餘りを經たある日、手紙を書きに監房を出て行つた村井源吉がやがて歸つてくると、聲をひそめてあわただしく太田を呼ぶのであつた。
「太田さん、起きてますか。」
「あゝ、起きてますよ、何です。」
「例の一房の先生ね、あの先生の名前がわかりましたよ。」
「なに、名前がわかつたつて!」太田は思はず身をのり出して訊いた。「どうしてわかつたの? そして何ていふんです。」
「岡田、岡田良造つていふんですよ。今、葉書を見て來たんです。」
「え、岡田良造だつて。」
村井は葉書を書きに廊下へ出て行き、そこで例の男が村井よりも先に出て書いて行つた葉書を偶然見て來たのであつた。癩病患者の書いたものに對するいとはしさから、書信係の役人が板の上にその葉書を張りつけ、日光消毒をしてゐたのを見て、村井は男の名を知つたのである。「え、岡田良造だつて。」と太田の問ひ返した言葉のなかに、村井は、なみなみならぬ氣はひを感じた。「どうしたんです、太田さん。岡田つて知つてでもゐるんですか。」
「いや……、ただ一寸きいたやうな名なんだが。」
さり氣なく言つて太田は監房の中へ戻つて來た。強い打撃を後頭部に受けた時のやうに目の前がくらくらし、足元もたよりなかつたが、寢臺の端に手をかけて暫くはぢつと立つたまゝ動かずにゐた。それから寢臺の上に横になつて、いつも見慣れてゐる壁のしみを見つめてゐるうちに、漸く心の落着いて行くのを感じ、そこで改めて「岡田良造」といふ名を執拗に心のなかで繰り返し始めたのである。――あのみじめな癩病患者が同志岡田良造の捕はれて後の姿であらうとは!
混亂した頭腦が次第に平靜に歸するにつれて、囘想は太田を五年前の昔につれて行つた。――その頃太田は大阪に居て農民組合の本部の書記をしてゐた。ある日、仕事を終へて歸り仕度をしてゐると、勞働組合の同志の中村がぶらりと訪ねて來た。一寸話がある、と彼はいふのだ。二人は肩を竝べて事務所を出た。ぶらぶらと太田の間借りをしてゐる四貫島の方へ歩きながら、話といふのは外でもないが、と中村は切り出したのであつた。――じつは今度、クウトベから同志がひとり歸つて來たのだ。三年前に日本を發つ時には、ある大きな爭議の直後で相當眼をつけられてゐた男だけに今度歸つても暫くは表面に立つ事ができない。それで當分日本の運動がわかるまで誰かの所へ預けたいが、勞働組合關係の人間のところは少し都合がわるい、君は農民組合だし、それに表面は事務所に寢泊りしてゐる事になつてゐて、四貫島の間借りは一般に知られてゐないから好都合だ。一月ばかり、どうかその男を泊めてやつてくれないか、と中村は話すのであつた。――よろしい、と太田が承知すると、實は六時にそこの喫茶店で逢ふことになつてゐるのだ、とその場所へ彼を連れて行つた。そこには、太田と同年輩の和服姿の男が一人待つて居り、二人を見ると直ににこ/\し出し、僕、山本正雄です、どうぞよろしく、と中村の紹介に答へて太田に挨拶をするのであつた。――話をしてゐるうちにその言葉のなかに、東北の訛りを感じ、質朴なその人柄に深く心を打たれたが、その山本正雄が岡田良造であつた事を太田はずつと後になつて何かの機會に知つたのであつた。
太田は當時、四貫島の、遠縁にあたる親戚の家の部屋を借りて住んでゐた。二階の四疊半と三疊の兩方を彼は使つてゐたので、その四疊半を岡田のために提供したのである。彼等は部屋を隣り合せてゐるといふだけで、別に話をするでもなく、暮した。太田は朝早く家を出、遲くなつて歸る日が多いのでしみじみ話をする機會もなかつたわけである。彼が夜遲く歸つてくると、岡田は寢てゐることもあつたが、光度の弱い電燈を低くおろして何かゴソゴソと書きものをしてゐることもあつた。朝なども彼の起きるよりもまだ早くぷいと家を出て、一日歸らないやうな日もあつた。さういふ生活がほぼ一月もつゞき、めつきりと寒くなつた十一月のある日の朝、岡田は家を出たきり、つひに太田の許へは歸つて來なかつたのである。――何か事情があるのだらうとは思つたが、丁度その日の朝、何のつもりか岡田はまだ寢てゐる太田の部屋の唐紙を開けて見て、何かものを言ひたげにしたが、そこに一枚のうすい布團を、柏餅にして寢てゐる太田の姿を見ると、ほつ、と驚いたやうな聲をあげてそのまゝ戸を閉めてしまつた。――それは丁度、二枚しかなかつた布團の一枚を、寒くなつたので岡田に貸したその翌日だつたので、自分の柏餅の寢姿を見て、案外氣立ての柔《やさ》しさうな岡田の事ゆゑ、氣の毒がつて他所へ移つたのかも知れない、などとも太田には考へられるのであつた。心がかりなので二三日してから中村に逢つて尋ねると、彼はすつかり合點して、「いや、いいんだ、今日あたり君に逢つて話さうかと思つてゐた所だよ。奴も落着く所へ落着いたらしいんだ。長々ありがたう。」といふのであつた。――一九二×年十一月、日本の黨は漸くその巨大な姿を現しかけ、大きな決意を抱いて歸つた山本正雄こと岡田良造は、その重要な部署に着くために姿をかくしたのである。
丁度それと前後して太田は大阪を去り、地方の農村へ行つて働く事になつた。同じ年の春、この國を襲つた金融恐慌の諸影響は、漸くするどい矛盾を農村にもたらしつゝあつたのである。太田は幾つかの大小の爭議を指導しやがて正式に(原文二字缺)となつた。彼は大阪に存在すると思はれる上部機關に對して絶えず意見を述べ、複雜で困難な農民運動の指導を仰いだ。而してそれに對する返事を受取る度毎に彼はいつも舌を捲いておどろいたのである。なんといふ精鋭な理論と、その理論の心憎いまでの實踐との融合であらう! 彼が肝膽を碎いて錬り上げ、もはや間然するところなしとまで考へて提出する意見が、根本的にくつがへされて返される時など、自信の強かつた太田は怫然として忿懣に近いものすら感じた。しかし熟考して見ればどんな場合にも相手の意見は正しく、彼は遂には相手に比べて自分の能力の餘りにも貧しい事を悲しく思つたほどであつた。それと同時に彼は思はず快心の笑をもらしたのである。なんといふ素晴らしい奴が日本にも出て來たもんだ! それから太田は、今掃除したばかりと思ふのに、もう煤煙がどこからか入つて來て障子の棧などを汚す大阪の町々のことを考へ、それらの町のどこか奧ふかく脈々と動いてゐるであらう不屈の意志を感じ――すると、腹の眞の奧底から勇氣がよみがへつて來るのであつた。この太田の意見書に對する返書の直接の筆者が岡田良造であつた事を、捕はれた後に、太田は取調べの間に知つたのである。
太田の印象に殘つてゐる岡田の面貌はさうはつきりしたものではなかつたし、それに岡田は三・一五の檢擧には洩れた一人であつたから、その後彼の捕はれたことを少しも知らなかつた太田が、異樣な癩病患者を見てどこかで見た事がある男と思ひながらも、直に岡田であると認め得なかつたことは當然であつた。かの癩病患者が岡田良造であることを知り、そのおどろきの與へた興奮がやゝ落着いて行くにつれて、岡田は一體いつ捕はれたのであらう、そしていつからあんな病氣にかゝつたのであらう。少しもそんな素ぶりは見せないが、彼は果して自分が太田二郎であることを知つてゐるだらうか、いづれにしても自分は彼に對してどういふ風に話しかけて行つたらいいだらうか、いや、第一、話しかけるべきであらうか、それとも默つて居るべきであらうか、などといふ色々な疑問がそれからそれへと太田の昏迷した頭腦をかけめぐるのであつた。
その翌日、運動時間を待ちかねて、彼は今までにかつてない恐怖の念をもつて運動中のかの男を見たのである。初めは恐る/\偸み見たが、次第に太田の眼はぢつと男の顏に釘づけになつたまゝ動かなかつた。さういはれて見れば成程この癩病患者は岡田なのだ。だが、昔毎日彼と顏をつき合して暮してゐた人間でさへも、さういはれて見て改めて見直さない限りそれと認める事はできないであらう。今、心を落着けてしみじみと見直してみると、廣い拔け上つた額と、眼と眉の迫つた感じに、わづかに昔の岡田の面影が殘つてゐるのみなのである。廣い額は、その昔は、その上に亂れかゝつてゐる長髮と相俟つて卓拔な俊秀な感じを見る人に與へたが、頭髮がうすくまばらになり、眉毛もそれとは見えがたくなつた今は、かへつて逆にひどく間のぬけた感じをさへ與へるのであつた。暗紫色に腫れあがつた顏は無氣味な光澤を持ち、片方の眼は腫れふさがつて細く小さくなつてゐた。色の褪せた囚衣の肩に、いくつにも補綴《つぎ》があててあり、大きな足が尻の切れた草履からはみ出してゐる姿が、みじめな感じを更に増してゐるのであつた。本人は常日頃と變りなく平氣でスタスタと早足に歩き、時々小走りに走つたりして、その短かい運動時間を樂しんでゐるらしいのだが、もう秋もなかばのかなり冷たい風に吹きさらされて、心持ち肩をすぼめ加減にして歩いて行くその後姿を見送つた時、あゝこれがあの岡田の變り果てた姿かと思ひ、それまでぢつと堪へながら凝視してゐたのがもう堪へがたくなつて、窓から離れると寢臺の上に横になり布團をかぶつてなほも暫くこらへてゐたが、やがてぼろ/\と涙がこぼれはじめ、太田はそのまゝ聲を呑んで泣き出して了つたのである。
數へがたい程の幾多の悲慘事が今までに階級的政治犯人の身の上に起つた。ある同志の入獄中に彼の同志であり愛する妻であつた女が子供をすてて、どつちかといへばむしろ敵の階級に屬する男と出奔し、そのためにその同志は手ひどい精神的打撃を受けて遂に沒落して行つた事實を太田はその時まざまざと憶ひ出したのであつたが、さうした苦しみも、或ひは又、親や妻や子など愛する者との獄中での死別の苦しみも――その他一切のどんな苦しみも、岡田の場合に比べては取立てて言ふがほどの事はないのである。それらのほかの凡ての場合には、「時」がやがてはその苦腦を柔げてくれる。何年か先の出獄の時を思へば望みが生じ、心はその豫想だけでも輕く躍
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