分か慰められることもあらうか、などと考へられ、それとなく太田は聞いてみたのである。
「それで、あなたはいつからこゝへ來てゐるんです。いつ頃から惡いんですか。」
「わたしはこの病舍に來てからでももう三年になります。二區の三工場、指物の工場です、あそこで働いてゐたんですが急に病氣が出ましてね。手先や足先が痺れて感覺がなくなつて來たことに自分で氣づいた頃から、病氣はどんどん進んで來ましたよ。もつとも自覺がないだけで餘ほど前から少しづゝ惡くはなつてゐたんでせうが。人にいはれて氣がついて見ると、成程親指のつけ根のところの肉、――手の甲の方のです、その肉なんかずつと瘠せてゐますしね。第一子供の時の寫眞から見ると、二十頃の寫眞はまるつきり人相が變つてゐます。子供の時は、ほんとうにかはいい顏でしたが。」
「誤診といふこともあるでせうが、醫者は詳しく調べたんですか。」
「ええ、手足が痺れるぐらゐのうちは、私もまだ誤診であつてくれればいいとそればかり願つてゐましたが、それから顏が急に腫れはじめた時にもまだ望みは失ひませんでしたが、……しかし、今となつてはもう駄目です、今は……、太田さん、あなたも御覽になつたでせう、え、御覽になつたでせうね、そしてさぞ驚かれたことでせう、眼が……、眼がもうひつくりかへつて來たのです。赤眼になつて來たのです。丁度子供が赤んべえをしてゐる時のやうな眼です。それからは私ももう諦めてゐます。こはい病氣ですね、こいつは。何しろ身體が生きながら腐つて行くんですからね。どうもこいつには二通りあるやうです。あの四人組の一人のおとつっあん、あの人のやうに肉がこけて乾からびていくのと、それはまだいいが、ほんとに文字どほり腐つて行く奴とです。そしてどうもわたしのはそれらしいのです。それでゐて身體には別になに一つわるいところはないのです。男などはかへつて丈夫になつて、人一倍よけいに食ふし……、餓鬼です、全くの餓鬼です。業病ですね。何といふ因果なこつたか……。」
 急迫した調子で言つて來たかと思ふと、バツタリと言葉がとだえた。どうやら泣いてゐるらしい。いい加減な慰めの言葉などは輕薄でかけられもせず、いひやうのない心の惑亂を感じて太田はそこに立ちつくしてゐた。丁度その時靴音がきこえ、その男の監房の前に來て立ちどまり、戸を開けて、面會だ、と告げたのである。
 男は出て行つた。どこで面會をするのであらうか。氣をつけて見ると、この病舍には別に面會所とてないのである。庭の片隅のなるべく人目にかゝらない所ですますらしいのである。面會に來たのは杖をつき、腰の半ば曲つた老婆であつた。黄色い日の弱々しく流れた庭の一隅に、影法師をおとして二人は向ひ合つて立つてゐる。老婆はハンケチで眼をおさへながら何かくどくどとくりかへしてゐるやうだ。やがてものの十五分も經つと、立會の看守は時計を出して見、二人の間をへだて、老婆を連れて向ふへ立去つて行つた。男は立つて、壁のかげに隱れるその後姿を見送つてゐたが、やがて擔當にうながされて歸つて來た。
「太田さん、太田さん、」監房へ入るとすぐに男はおろおろ聲でいふのであつた。「ばばァはね、うちのばばァはたとへからだが腐つても死なないで出て來いといふんです。それまではばばァも生きてゐる、死ぬ時には一しよに死ぬから短氣な眞似はするなつて、くり返しくり返しばばァはいふんです……。」
 それから今度は聲を放つて彼は泣き出したのである。――とぎれとぎれの話の間に、太田は男の名を村井源吉といひ、犯罪は殺人未遂らしく、五年の刑期だといふことだけを知ることができた。あなたの事件は何です、と遠慮がちに聞いてみると、「つまらない女のことでしてね、つい刄傷沙汰になつて了つたのです。」さういつたまゝぷつつりと口をつぐんで、自分の過去の經歴と事件の内容については何事も語らなかつた。
「ねえ、太田さん、わたしは諦めようつたつて諦められないんだ。わたしはまだ二十五になつたばかりです。そして社會では今まで何一つ面白い目は見てゐないんです。今度出たら、今度シヤバに出たらと、そればつかり考へてゐたら、そのとたんにこんな業病にかゝつてしまつて……。私はばばァのいふとほり、なんとかして命だけは持つて出て、出たら三日でも四日でもいい、思ひつ切り仕たい放題をやつて、無茶苦茶をやつて、それがすんだら街のまん中で電車にでもからだをブツつけて死んでやるつもりです。嘘ぢやありません、私はほんとうにそれをやりますよ。」
 全く心からさう思ひつめてゐるのであらう、涙でうるんだ聲で話すその言葉には、ぢかに聞き手の胸に迫つてくるものがあつて、太田は心の寒くなるのを感じ、聲もなくいつまでも戸の前に立つてゐた。

     4

 冬がすぎ、その年も明けて春となり、いつか又夏が巡つて來た。
 肺病患者の病室では病人がバタ/\と倒れて行つた。今まで運動にも出てゐたものがバツタリと出なくなり、ずつと寢込んでしまふやうになると、その監房には看病夫が割箸に水飴をまきつけたのを持つて入る姿が見られた。「あゝ、飴をなめるやうぢやもう長くないな。」ほかの病人達はそれを見ながらひそひそと話し合ふのだ。熱氣に室内がむれて息もたえだえに思はれる土用の夜更けなどに、けたたましく人を呼ぶ聲がきこえ、その聲に起き上つて窓から見ると、白衣の人が長い廊下を急ぎ足に歩いて行くのが見える。そのやうな曉方には必らず死人があつた。重病人が二人ある時には、一方が死ねば間もなく他の一方も死ぬのがつねであつた。牢死といふことは外への聞えも餘りよくはない、それで役所では病人の引取人に危篤の電報を打つのであつたが、迎ひに來るものは十人のうちに一人もなかつた。たとへ引取りに來るものがあつたとしても、大抵は途中の自動車の中で命をおとすのである。――牢死人の死體は荷物のやうに扱はれ、鼻や、口や、肛門やには綿がつめられ、箱に入れられて町の病院に運ばれ、そこで解剖されるのである。
 暑氣に中てられた肺病患者が一樣に食慾を失つてくると、庭の片隅のゴミ箱に殘飯が山のやうに溜り、それが又すぐに腐つて堪へがたい惡臭を放つた。一寸側を通つても蠅の大群が物すごい音を立てゝ飛び立つた。「肺病のたれた糞や食ひ殘しぢや肥しにもなりやしねえ。」雜役夫がブツ/\いひながらその後始末をするのだ。その殘飯の山をまた、かの雜居房の癩病人達が横目で見て、舌なめずりしながら言ふのである。「ヘヘツ、肺病の罰あたりめが、結構ないただきものを殘して捨ててけつかる。十等めし一本を食ひ餘すなんて、なんていふ甲斐性なしだ!」それから彼等は、飯の配分時間になると、きまつて運搬夫をつかまへて、肺病はあんなに飯を殘すんだから、その飯を少し削つてこつちへ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]してくれ、と執拗に交渉するのであつた。時たま肺病のなかに一人二人、晝めしなど欲しくないといふものが出來、さすがに可哀さうに思つてそれを彼等の方へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]してやると、滿面に諂ひ笑ひを浮べて引つたくるやうにして取り合ひ、さういふ時には何ほど嬉しいのであらうか、病舍には食事時間の制限がないのをいいことにして、ものの一時間以上もかゝつてその飯を惜しみ惜しみ食ふのである。ひとしきり四人の間にその分配について爭ひが續いたのち、靜かになつた監房の窓ごしに、ぺちやぺちやといふ彼ら癩病人達の舌なめずりの音を聞く時には、そぞろに寒け立つ思ひがするのであつた。――彼らは少しも變らないやうに見えたが、しかし仔細に見ると、やはり冬から春、春から夏にかけて、わづかながら目に見える程の變化はその外貌に現はれてゐるのである。夏中は窓を開け放してゐても、この病氣特有の一種の動物的惡臭が房内にこもり、それは外から來るものには堪へがたく思はれる程のもので、擔當の老看守すら扉をあけることを嫌つて運動にも出さずに放つておくことが多かつた。さうすると彼らは不平の餘り足を踏みならし、一種の奇聲を發してわめき立てるのであつた。

     5

 夜なかに太田は眼をさました。
 もう何時だろう、少しは眠つたやうだが、と思ひながら頭の上に垂れてゐる電燈を見ると、この物靜かな夜の監房の中にあつて、ほんの心持だけではあるがそれが搖れてゐるやうにおもはれる。凝つと見ると、夏の夜の驚くほどに大きな白い蛾が電燈の紐にへばりついてゐるのだ。何となはしに無氣味さを覺えて寢返りを打つ途端に、あゝ、またあれ[#「あれ」に傍点]が來る、といふ豫感に襲はれて太田はすつかり青ざめ、恐怖のために四肢がわなわなとふるへてくるのであつた。彼は半身を起してぢつとうづくまつたまゝ心を鎭めて動かずにゐた。すると果してあれ[#「あれ」に傍点]が來た。どつどつどつと遠いところからつなみでも押しよせて來るやうな音が身體の奧にきこえ、それが段々近く大きくなり、やがて心臟が破れんばかりの亂調子で狂ひはじめるのだ。身體ぢうの脈管がそれに應じて一時に鬨の聲をあげはじめ、血が逆流して頭のなかをぐるぐるかけ巡るのがきこえてくる。齒を食ひしばつてぢつと堪へてゐるうちに眼の前がぼーつと暗くなり、意識が次第に痺れて行くのが自分にもわかるのである。――暫くしてほつと眼の覺めるやうな心持で我に歸つた時には、激しい心臟の狂ひ方は餘程治まつてゐたが、平靜になつて行くにつれて、今度はなんともいへない寂しさと漠然とした不安と、このまゝ氣が狂ふのではあるまいかといふ強迫觀念におそはれ、太田は一刻もぢつとしては居れず大聲に叫び出したいほどの氣持になつて一氣に寢臺を辷り下り、荒々しく監房のなかを歩きはじめるのであつた。手と足は元氣に打ちふりつゝ、しかも泣き出しさうな顏をしてうつろな眼を見張りながら。――ものの二十分もさうしてゐたであらうか、やがてやゝ常態に復ると心からの安心と共に深い疲れを感じ、氣の拔けた人間のやうに窓によりかゝつて深い呼吸をした。彼は肺に浸み渡る快よい夜氣を感じた。窓から月は見えなかつたが星の美しい夜であつた。
 ――強度の神經衰弱の一つの徴候ともおもはれるかうした心悸亢進に、太田はその年の夏から惱まされはじめたのである。それは一週に一度、或ひは十日に一度、きまつて夜に來た。思ひ餘つた彼は、體操をやつて見たり、靜坐法をやつて見たりした。しかしその發作から免れることはできなかつた。體操や靜坐法や――太田はさういふものの完全な無力をよく熟知しながらも自分を欺いてそんなものに身を任せてゐたのだ。病氣と拘禁生活による心身の衰弱にのみ、かうした發作を來す神經の變調の原因を歸することは彼にはできなかつた。彼はその原因のすべてでないまでも、有力な一つを自分自身よく自覺してゐたのである。――若い共産主義者としての太田の心に、いつしか自分でも捕捉に苦しむ得體《えたい》の知れない暗いかげがきざし、その不安が次第に大きなものとなり、確信に滿ちてゐた心に動搖の生じ來つたことを自分自ら自覺しはじめ、そのために苦しみはじめた頃から、彼は上述の發作に惱むやうになつたのであつた。
 太田の心のなかに漠然と生じ來つた不安と動搖とは一體どんな性質のものであつたらう、彼自身はつきりとその本質をつかみえず、そこに惱みのたねもあつたのだが、動搖といふ言葉を、彼が從來確信をもつて守り來つた思想が、何らかのそれに反對の理論に屈服し崩れかゝつて來た――といふ意味に解するならば、いま、彼の心にきざして來た暗い影といふのはさういふ性質のものではない、といふことだけはいへる。太田の心の動搖は、彼がこゝの病舍で癩病患者および肺病患者のなかにあつて、彼等の日常生活をまざまざと眼の前に見、自分も亦同じ患者の一人としてそこに生活しつゝある間に、夏空に立つ雲の如くに自然にわいて來たものであつた。それはつかまへどころのないしかし理窟ではないところに強さがある、といつた性質のものであつた。――言ふならば太田は冷酷な現實の重壓に打ちひしがれて了つたのだ。共産主義者としての彼はまだ若く、その上にいはばインテリにすぎなかつたから、實際生活の苦
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