死ぬことによつて人間はふたゝびその故郷へ歸つてゆくがゆゑに、それを導びく死といふものがかくも甘く考へられるのであらうか、などと時には思はれもするほどであつた。いつでも死ねる、といふ安心はしかし、半面には直ちに自殺を決行せしめない原因でもあつた。苦しみのなかにも安心を與へてくれるものとして死を考へることをよろこび、心は惹かれながらしかも容易にはそれに手をふれようともしないその氣持といふものを死と遊ぶとでもいふのであらうか。――自殺の一歩手前で生きてゐる人間は今日どこにでもゐる。唯、(原文五字缺)がそこまで墮ちなければならなかつた場合、事柄は嚴肅なものを含むでゐ、人の胸をうたずにはゐない。
 この眞暗な心の状態から古賀がすくはれ、やがて次第に落着きを取りもどして行つた、その楔機ともなつたところのものは、聽覺の修錬といふことであつた。分散した精神を統一するためにはたゞ漫然とあてもなく努力したとて無益であらう、といふことに氣づき、視覺を[#「視覺を」は底本では「視角を」]失つた不具者の自己防衞のためであらうか、丁度そのころ、耳が次第に異常な鋭敏さを加へつゝあることを自覺してゐた古賀は、心を聽覺の修錬にもつぱらにすることによつて精神の統一をもはらかうと努力しはじめたのであつた。さうしてその試みは成功したといへる。こゝの建物の内部に自然にかもし出される、單調ななかにもあらゆる複雜な色合ひを持つた音の世界に深く心をひそめることによつて彼は次第に沈んだ落着きを取り戻してゆき、その後の古賀にとつては外界とは音の世界の異名にすぎないものとなつたのである。一つは現在の環境がかへつてさういふ試みに幸するところがあつたのであらう、その時からおよそ一年を經た、この物語をはじめた頃の古賀の耳や勘のするどさといふものは、ほんの昨日今日のめくらとはおもへないほどのものになつてゐた。われながらふしぎにおもふほど、鳥やけだものゝ世界はかくもあらうか、などと時にはふつとおもつても見るほどであつた。たとへば數多い役人の靴音を一々正確に聞きわけることができ、靴音が耳にはいると同時にそれと結びついた役人の顏や聲がすぐに記憶のなかにうかんでくる。――それは何も古賀に限つたことではない、少し長くこゝに住みなれた人間にとつては珍らしいことではないかも知れぬ、しかし古賀はそれ以上に、自分のところへ用事をもつてくる靴音をかなり遠くにあるうちに正しくそれと感ずることもできるのである。天候にたいしても――もつともこれは病人などにもさういふものがあるにはあるが、以前とは比較にならぬほどに敏感になつて、朝起きてあゝ今日は雨だな、とおもへば多くその日は雨である。必ずしもからだの快不快によるのではない、ほんの感じでさうおもふだけではあるが、それが適中するのである。もつとも古賀はそれ以外にもう一つ天候を豫知する方法を知つてゐたのであるが。それは雀の鳴きごゑによるものであつた。こゝの建物の軒下にはたくさんの雀が巣くつてゐ、房の前の梧桐や黄櫨の木蔭に群れて一日ぢゆう鳴いてゐるのであるが、その聲の音いろによつて、――それまでになるにはかなりの日時と修錬とを要しはしたが、古賀はいつかその日の天候を大體いひあてることができるやうになつたのである。言葉では言ひ表しがたい細かな感じのちがひではあるが、晴れる日、くもる日、もしくは雨になる日によつて雀の鳴きごゑがそれぞれ少しづつ異つたひびきをもつて聞かれるのである。人間でいへば、沈んだ聲とはしやいだ聲の、乾いた聲とうるほひをもつた聲のちがひででもあるのであらう。小さな動物なぞはやはり、自然の支配をうけることがそれだけ多いのであらうとおもはれる。毎日暗がりにぼんやり坐つて小鳥のこゑを聞くことは、今の古賀にとつては何ものにもかけがへのないわびしいたのしみになつてゐるのであつた。今に刑がきまり、よその刑務所にやられ、そこの窓近くこの愛すべき小鳥の訪づれがないとしたならばどうであらう、などと時には眞劍に考へてみることもあるのである。――古賀はまたこのごろ、季節々々の切花を買つては房のなかへ入れてゐる。目が見えんくせに花を買ふといつて役人などがわらふのであるが、古賀のはもちろん見るのではなく、匂ひを愛するのである。だから香りのない花がはいつてくると失望するのだが、その花がやがてしぼんで來、花びらのくづれおちるときの音が、かなりはなれた机の上においてあつてさへずゐぶんとはつきりきこえるのである。夜ふけの枕もとに、目がさえたまゝ眠られずにゐる古賀はしばしば餘りにも大きすぎるその音を聞き、何か不安を感ずることさへあるのであつた。
 また、いつかかういふことがあつた。何の用事であつたか看守につれられて中庭へ出て行つたときのことである。中庭をつききり、向ふの廊下の入口へもうだいぶ近づいたらしいと感じたとき、古賀はおもはずはつとして一間ばかりもわきへとびのいたものである。間髮を入れずその瞬間に、何か大きなものが上から、たつたいま古賀があるいてゐたあたりへはげしい音を立てて落ち、ついでもののこはれる音がしたのであつた。きいてみると、囚人が屋根へ上つて屋根瓦の破損箇所を修理してゐたのであるが、何かの拍子にあやまつて束にした瓦をおとしたのであつた。少しおくれてあるいてゐた看守もその時の古賀にはおどろいて、えらいもんだな、みんなさうなるものかな、と感心してゐた。――これらは耳の鋭敏によるといふよりも、からだぢゆうの全神經の微妙な統一の結果であらう。
 ――心が狂ふであらう、といふ眉に火のつくやうなさしあたつての苦惱がそのやうにしてやゝうすらいでみると、こんどはしかし、心に餘裕がなかつたために今までかへりみずにゐたひとつの苦悶があたらしくはつきりと浮きあがつて來るのであつた。今後の自分はどうしたものであらう、どういふ考への上に心を据ゑて生きて行つたものであらう、といふ問題である。みじめにうちくだかれ、踏みつけられた今となつては、昂然と眉をあげておごり高ぶつてゐた過去の自分といふものはみぢんにくだけてとび、自分が今までその上に安んじて立つてゐた地盤ががらがらと音を立てて崩れてゆくことを古賀は自覺せずにはゐられなかつた。えらさうなことを言つて強がつてゐたつてだめぢやないか、何もかも叩きつけられないうちのことさ、と意地わるくせゝら笑ふこゑを古賀ははつきりと耳近くきいた。ただただ與へられた運命の前に頭をたれてひれふすよりほかにはなかつたのである。今までは、どんな場合にもつねに一つの焦點を失つてゐなかつた。内から外から彼を通過するあらゆるものはみんなその焦點で整理され統一された。今はさういふものがなくなつてゐる。だがさうかといつて、苦しまぎれになんらかの觀念的な人生觀といふものを頭のなかにつくりあげ、そこに無理に安住しようとしたところでそんなことができる筈のものではない。古賀はよるべのない捨小舟のやうな自分自身を感じた。悲しいときには子供のやうな感傷にひたり切つて泣き、少しでも心のらくな時にはよろこび、その日ぐらしの氣持で何日かを送つた。彼はまだ打撃をはねかへし、暗のなかに一筋の光を見るだけの氣力をとりかへしてはゐなかつたのだ。從來、自分の立つてゐた立場にひとまづ歸り、そこから筋道を立ててものごとを考へてみるだけの心の餘裕をとりかへしてはゐなかつたのだ。彼が再たび起ち上つてくるまでには、なほ長い暗中模索の時が必要とされたのである。――さうしてかなり長い時を經たのちに、古賀が最初に心を落着けたところといふのは、一つのあきらめの世界であつた。それは必ずしも宗教的な意味を含んで言ふのではない、捨小舟が流れのまゝに身を任せてゐるやうにすべてを自然のまゝに任せきり、いづこへか自分を引ずつてゆく力に強ひて逆らはうとはせずそのまゝ從ふといふ態度であつた。なるやうになるさ、とすべてを投げ出した放膽な心構へであつたともいへる。今まで輕蔑し切つてゐた、東洋的な匂ひの濃い隱遁的な人生觀や、禪宗でいふ悟りの境地といつたやうなものがたまらない魅力をもつて迫つて來たりした。さういふ氣持におちつくための方法として古賀は好んで自分の貧しい自然科學の知識をほじくり出し、はるかな思ひを宇宙やそのなかの天體に向つて馳せ、やがてはほろびるといはれる地球のいのちについて考へたりそれからそのなかに住む微塵のごとき人間の姿について思ひを潜めたりするのであつた。すると世の人間のいとなみがすべて馬鹿馬鹿しいもののやうに思はれて來るのである。さういふ考へが一段と高い立場であり、窮極の行きどころのやうに一應は考へられてくることはなんとしても否めない事であつた。「社會」から隔離されてゐるこの世界にあつては、ひとり古賀のやうな異常な場合でなくてもすべての人間にとつてかういふ考へが支配的になる根據はあつたのである。しかし古賀はひとまづそこに落着きはしながら、心の奧ではそこが畢竟一時の腰かけにすぎないといふ氣持を絶えず持つてゐた。理論的に問題を解決してゐない弱味をはつきり自覺してゐたからである。いはば、それは、はげしい打撃にうちひしがれた彼の感情がずるずるべつたりに到達した場所にすぎなかつた。昔彼の立つてゐた立場はまだ少しも手をふれることなくそのまゝであつた。そして心の奧底では、古賀にはやはりその立場を信ずる氣持があつた。そこへやがてはもどつて行ける時がくるやうな氣持がほのかにしてゐた。――彼がしばらくでも腰をおちつけてゐたその立場が案外に早く崩れねばならない時がしかしやがてやつて來た。古賀が第一審の公判廷に立たされる日がさうしてゐるうちに近づいて來たのである。
 あたらしい身を切るやうに切實な問題が、さらにもうひとつ急速な解決を迫つてきた。公判廷においてどういふ態度をとるべきか、從來自分の守つて來た考へにたいしてはどうでなければならないかといふ問題である。古賀は懊惱し、息づまるほどの苦しみにさいなまれた。食慾は減り見るかげもなく痩せはてて久しぶりで逢つた山田辯護士が聲をあげておどろいたほどであつた。理窟の上からはしかしこの問題は、大して考へるまでもなくすでに早く古賀の頭のなかで解決されてゐた。ただ明かにわかつてゐることを踏み行へないところに懊惱があつたのである。くりかへしくりかへし古賀は自分に問ひ自分に答へてみるのであつた。――さうではないか? なぜといつて自分はもちろん一定の確固たる理由があつてその立場をとるにいたつたものである。ところでその後自分は思ひがけない不幸な目にあつた。だが、さうした個人的な不幸といふものが一體なんであるか? 人がどういふ不幸にさらされねばならないか、それを誰が知らう。どんな慘めな目に逢はうとも、自分をしてさうした立場をとらしむるにいたつた原因が除かれない限りは自分はその立場を棄てえない筈である。棄てたといへばそれは自らをあざむくものであらう。もちろん、失明した今の自分は自分たちの運動から見れば一箇の癈兵であるにすぎない。しかしそれは、自分が今まで抱いてゐた思想を抛棄しなければならないといふ理由にはならず、いはんや從來の考へが間違ひであつたといふことを宣言しなければならないといふ理由にはならないのである。……
 時にはまた自分の内部にうごめいてゐる醜惡な他の自分を擁護するために、あらゆる有利な口實を探し出し、ならべたて、それが決して醜くはないこと、それこそがほんたうの自分であることを論證しようとして全力をあげることもあつた。が、次の瞬間には彼はあわてて苦しげに頭をうちふり、自分自身をはつきりと眞正面に見据ゑ、思ひきり冷酷に言ひ放つのである。――今更になつてあれやこれやと、はづかしくもなくよくいへたもんだ、あらゆる暗い運命ははじめつから承知の上ではなかつたのか。不幸な目にあつてゐるのは何もお前ばかりでない、こゝへ來てからだつてお前はすでに多くのさうした不幸をその目で見た筈だ。昨日もお前の筋向ひの房にゐた同志が發狂した。その時の叫び聲はまだお前の耳に殘つてゐるだらう、お前の受けた不幸は偶然的な特殊なものであり、それだけ大
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