凜《りん》とした、ひきしまった感じを受けた。殆ど精神的な感動とさえいってよかった。
 同じ記事のなかに海豹《あざらし》島のオットセイの話も出ていて、これは大山猫とは全然正反対な、生めよ殖せよの極致だった。ここにあるものは生殖のための血だらけな格闘だった。私はいつか映画でオットセイの群棲《ぐんせい》を見たことがある。鰭《ひれ》のような手足でバタバタはねる恰好《かっこう》や、病牛の遠吠《とおぼえ》のような声を思い出すうちに本当に嘔吐《おうと》をもよおして来た。膃肭というような文字そのもの、ハーレムという語感そのものが、堪えがたくいやらしかった。

 オオヤマネコに感動してまだ幾日もたたぬうちに、一介の野良猫にすぎぬが、その倨傲《きょごう》な風格において、一脈相通じるところのある奴が我が家の内外に出没することになったのは愉快だった。
 この二三年来、家のまわりをうろうろする犬や猫が目立ってふえて来た。人間の食糧事情が及ぼした影響の一つであることはいうまでもない。生れながらの宿なしもあるが、最近まで主人持ちであったというものも多い。彼等は実にひどく尾羽うち枯らしている。曾《か》つて主人持ちであ
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