きょうもう》な力を感じさせる。彼はこういう四肢をもって殆ど音もさせずに歩く。そしてその足指の陰には熊の剛毛をさえも引き裂くべき、剃刀《かみそり》のような鈎爪《かぎづめ》がかくされている。
私はこういう剽悍《ひょうかん》な奴が、眼をランランと光らせて、樺太の密林のなかを彷徨《ほうこう》している姿を想像した。樺太全土にもはや一頭いるか二頭いるかわからない、絶滅に瀕《ひん》している、一族の最後のものなのである。何という孤独であろう! しかしそこには孤独につきまとう侘《わび》しげな影は微塵《みじん》もない。あるものはただ傲然《ごうぜん》たる気位である。満々たる闘志である。彼はいかなる場合にも森の王者たるの気位を失わない。万物の霊長たる人間が、鉄砲を差し向けた時、彼は逃げなかった。その最大の武器たる鈎爪を研いで正面から立ち向うことさえもしなかった。彼は人間の頭上から、後肢《あとあし》を持ち上げて小便を引っかけるに止《とど》まったのである! 鉄砲を持った人間などは彼にとってその程度のものにしか値しなかったのである。
私は思わず破顔した。オオヤマネコは孤独な病者である私に最大の慰めを与えた。私は
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