私はこの春にも母とちょっとした衝突をしたことがあった。私の借家の庭には、柏やもみじや桜や芭蕉や、そんな数本の立木がある。春から青葉の候にかけて、それらの立木の姿は美しく、私はそれらが見える所へまで病床を移して楽しんでいた。それをある時母がそれらの立木の枝々を、惜し気もなく見るもむざんなまでに刈り払い、ある木のごときは、ほとんど丸坊主にされてしまったのだ。私は怒った。そしてすぐに心であやまった。母とても立木を愛さぬのではない。樹木の美を解さぬのではない。ただ母は自分が作っている菜園に陽光を恵まなければならないのだ。母はまがった腰に鍬《くわ》を取り、肥をかついで、狭い庭の隅々までも耕して畑にしていた。病人の息子に新鮮な野菜を与えたいだけの一心だった。
食物を狙う猫と人間の関係も、愛嬌《あいきょう》のない争いに転化して来ていることを残念ながら認めないわけにはいかなかった。何か取られても昔のように、笑ってすましていることが出来難くなって来ていた。妨害される夜の睡眠時間の三十分にしても、彼女等にとっては昔の三十分ではなかった。病人の私が黒猫の野良猫ぶりが気に入ったからなどと、持ち出せる余地はな
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