「無論殺すつもりでしょう。若いものは見るものでないといって、わたしを寄せつけないようになさるんです。」
私は母に黒猫の命乞いをしてみようかと思った。私は彼はそれに値する奴だと思った。私は彼のへつらわぬ孤傲《こごう》に惹《ひ》かれている。夜あれだけの事をして、昼間は毛筋ほどもその素ぶりを見せぬ、こっちの視線にみじんもたじろがぬ、図々しいという以上の胆の太さだけでも命乞いをされる資格がある奴だと思った。人間ならば当然一国一城のあるじである奴だ。それが野良猫になっているのは運命のいたずらだ。毛の色がきたないという偶然が彼の運命を支配したので、そんなことは彼の知ったことではない。卑しい諂《へつら》い虫《むし》の仲間が温い寝床と食うものを与えられて、彼のような奴が棄てられたということは人間の不名誉でさえある。しかも彼は落ちぶれても決して卑屈にならない。コソコソと台所をうかがったりしない。堂々と夜襲を敢行して、力の限り闘って捕えられるやもはやじたばたせず、音もあげぬのである。
しかし私は母に向って言い出せなかった。現実の生活のなかでは私のそんな考えなどは、病人の贅沢《ぜいたく》にすぎなかった。
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