翌年の早漬大根の出るよりやや少し以前に市場へ出すようにするということが、ほんとうではないかと考えるのでございます。
それを一日でも早く市場へ出そうという考えから、長日性である大根を、すでに五月上旬頃から播き付け、もちろん抽薹しますが、抽薹すれば、わざわざその薹軸を折り取り、なおかつ硬化したその大根の上部をも切取って、漬け込むといったような、いかにも無理の籠った産業は、私は遺憾ながら、それを安全な産業として賛成し奨励申上げることができないのでございます。どうしても、真の土地利用だとは思われないのであります。
そもそも「土地利用」としましては、その根本的問題といたしましては、毎日その土地へ太陽から送られる熱や光を初め、その他いろいろのエネルギーをできる限り完全にキャッチするということであろうと考えているのでございます。この付近といたしましては、年々かの太陽から送られる熱量は、約六〇〇万カロリーと申されております。そうして、これに対しまして、われわれがその生活のために要する熱量は、年々一人平均約二〇〇万カロリーあればよいといわれております。でありますから、その一坪へ送られる熱量をわれわれが完全に捕獲いたしますれば、すなわち、それができますれば、一坪に対して三人ずつの人が生活でき得るわけでございます。したがって、その暁には日本の土地が狭いの、人口が多いのという心配は当然解消されてしまうわけでもあります。私はこの「熱量捕獲」ということを、土地利用の根本問題と考えているのでございます。そうして、その捕獲としましては、おそらく今日のところでは、「地表の緑化」、すなわちできるだけ植物を繁茂させ、その葉緑素の力を借りることによりほかに良案は考えられておらないようでございます。いかに市場での相場がよいからといって、まことに不適当な土地に、ひょろひょろしたような貧弱な小麦を、しかも凍寒害を蒙って禿頭病にかかったような麦畑を耕作しておりますよりも、少し極端な言い分かは存じませんが、真青に草でも繁らかしておく方がより利用度は高いわけであります。もちろん、その草の中には直接食物として、あるいは工芸の原料として使用できないものも決して少なくはございません。しかしそれを、ありがたいことにはそこへ動物を配することによって、それらは動物の飼料として役立ち、その動物の乳なり、肉なり、力なりとしてどのようにでも、私どもは有用化することができるのであります。
先年来時々襲われたかのように宣伝されております東北の飢饉の如き、がんらい高温多湿を要求しているあの稲を、いたずらに、いや無理に、低温なあの地方へ栽培しようとしたことからくる当然の結果でありまして、今日、わが日本の国としましては、おそらくどんな地方でも、またどんな冷湿な年柄でも、草の生えない地方はないと存じますが、その草を中心に山羊なり羊なりを飼育いたしましたならば、立派に衣も食も足りる筈ではないでしょうか。要するに、私に言わせますれば、東北の飢饉は、あれは一種の「人工飢饉」である、とさえ申上げたいほどであるのであります。
要は土地利用ということは、一方はそこの土地に訊き、一方はその作物なり家畜なりに聞いて、その両者の最もよく調和する、言い換えれば、もっともそこの、その自然に近い形におく。さらに根本的には、そこの地表を緑化する、でき得る限り濃緑化する。山ならば木を育て、さらに下木、下草を繁茂させるといったようにすることだと考えております。もっともこれは、すでに皆様の、とくに日夜お骨折りを願っておられることで、この点からも砂防工事ということはまことに意義のある貴い御事業でございますが、そういったふうにすべきではあるまいかと私は堅く信じているものでございます。
雨も、雪も、風も、寒さも、さては、山も河も、なにも自然という自然に悪いものは一つもない筈であります。善悪はただ人間界だけの問題であります。「溺れた水は、また一面浮ばせる水でもあった」筈でございます。
この立場からは一木一石も私どもは粗末にしてはならないと考えるのでございます。かのわが信州一帯の主要産業であります夏秋蚕の如き、違うというよりも違わせていると思われる場合が非常に多いようでございます。要するにあれは涼しいことを要求する虫であります。したがって、風通しをよくするとか、せいぜい日遮林を、もちろん風通しを考えてその上でさらにそういった樹木を仕立てることによって、非常に飼いよくしているといった実例は枚挙に暇なしと申すほどでございます。これにつきましては、先年その卑見の一端を「長野県農会報」に発表いたしておきましたから、今日は簡単にいたしておきたいと存じます。
伊那の谷の養蚕業の盛んなその一つの、しかも有力な原因として、私はあそこが、その風のよく吹き通す地方であるという、それを見逃してはならない、無視してはならないと存じます。風のために割合に蚕、とくに夏秋蚕についてでありますが、それが飼いよいこと、もちろん、その折角の風を蚕室に入れるように工夫しなくてはだめでありますが、それだけでなく、あの恐ろしい※[#「郷/虫」の「即のへん」に代えて「皀」、第4水準2−87−90]蛆の蝿が、風の強い所の畑の桑の葉には卵を産み付けることの少ないこと、また、常に相当の風のあることが葉そのものを充実させ、その飼料的価値を高めること等、風の効果はきわめて大きいのでございます。もちろん強過ぎる風は困りますが、しかし考えて見ていただけば容易にお判りになることでございます通り、その風を防ぐことは、いわば防風林の施設等でそう大した費用もかけずにできるのでありますが、万一あの風をわざわざ夜となく昼となく吹かせるとしたならば、並大抵の資金でできることではございますまい。
雪にしてもその通りでございます。今でもこの木曾の開田村方面では実行されているとのことでございますが、かの麻布を晒すために、また、飯山地方ではあの紙の原料である楮の皮を晒すのにそこの雪を利用いたしております。あの美しい、しかも丈夫な紙の生産も一つには確かにこの雪の賜物でございます。
かの四、五月の頃信濃川下流のその沿岸沖積地に、まったく目の醒めるばかりの美しいチューリップの花畑を展開させておりますのも、確かにあそこの多雪の影響であります。信越国境方面は別としまして、割合に雪の浅いわがこの信州にしましたところで、そこが日陰で、冬中雪に被われているような場所に作られたチューリップはとくによく育ち、もちろん美しい花を咲かせますことや、また本年のようにとくに雪の深かった年において、不幸にして親竹は寒凍害を蒙ったが、その代り、筍は例年になくたくさん出たというような例を私は各所で見聞いたしておりますが、すべては雪の働きと申さなくてはなりません。ところがもしもこの雪をわざわざ降らせるとしたら、それこそ大事業で、もちろん不可能なことでございましょう。
物でも人でもそうでありますが、単にその半面、しかも害的半面、すなわち短所のみを見るのは職工気分だと申されております。私どもはできるだけその長所を認め、長所を発揮させることのできるように努力いたし、常に人間らしい、言い換えますと、「長官気質」を持ちたいものでございます。
作物を栽培するにせよ、家畜を飼うにせよ、さては工業から商業にいたるまで、ないしは皆様の御専門の土木事業に至るまで、一方にはそこの風土を調べ、一方にはその作物、家畜、製作品、土工の性質を究め、できるだけその両者の調和し融合するようなものを選択し、取込んで来るということが、言い換えますれば、きわめて自然に近いような形に整えて行くということが最も意義のある地方開発というもので、われわれ人間はただ素直に一種の「触媒」としての役割を持っているものとして考えておってこそ、真に人間としての、すなわち天命の役割を果たし得たものと私は考えかつ信じているのでございます。
要するに、自然を征服するどころの話ではない。また、もちろん征服のできるものでもございません。否、かえってその「自然を生かそう」とする思想こそ、きわめて大切であると考えたいのでございます。そうしてそれが、やがて、真に力強くわれわれ「人間の生きる途」ともなるわけでございます。そうしてまた、真にそれを生かす、これをわれわれ人間本位の言葉で申しますと、「利用する」ためにはすべてそれをその大自然に聞いて、すなわち順応し、協調して行くのが、そもそもの本体であると考えなくてはならないと思うのでございます。
科学の研究は、なにも自然を征服する武器を発見するためではない、自然への順応する途を求めるための努力でなくてはならない、と私は考えているものでございます。「地方の開発もその自然に対する、正しい認識から」ということを、常に私はモットーといたしているものでございます。先年来、「自力更生」という考えが奨励され普及されて参っております。まことに結構のことには違いありませんが、その自力更生も、さらにその根底に「自然力更生」という強い念願があってこそだと私は確信しているのでございます。
私は、本日皆様にお目にかかり得たこれを機縁に、満堂の皆様の御助勢を仰ぎまして、われわれ人類が、そのあらゆる活動に際し、その大自然を背景として立とう、常に大自然に相談をし、大自然、すなわち神の命にすなおに順って活動し、自然も生かし、同時に人間もよりさらに大きく生き得る、さらに言葉を換えて申しますれば、真に「神人合一」の心境で、より人間を偉大にかつ幸福なものにするような、そういった将来を念願して止まないものでございます。
最後に私は、かの世界的英傑としておそらくどなたでもが承知し、かつその人自身でさえ「自分の辞書には不能という言葉はない」とまで言っておったと言い伝えられているそのナポレオンが、「あらゆる病気というものはわれわれ人間が素直に自然に順わなかった結果で、したがって一度病気にかかったならば、素直に自然に順っているに限る」といった意味のことを言い残しているということを聞きましたが、さすがのナポレオンも大自然には従順であったのか、もちろんそうあるべき、またなくてはならないわけであります。が、実はナポレオンの偉大も、その真の偉大である大自然を日常ひそかに、その背景として持っておった、その反映ではなかったかと私には頷かれる点があるのでございます。そういったことを御参考までにここに申添えておきたいと存じます。
まことにまとまりのつかない、しかもくどくどしいお話を申上げました。なんとも恐縮に堪えない次第でございます。しかるに、それにもかかわらず長い間御清聴を頂きましたことに対しまして、深く感謝をいたしまして、この壇を下ることにいたします。
あとがき
病後初めて演壇へ立ったことではあり、それに会合の性質がとくに研究を主としてのものでもなし、それにとくに心配であったことは、県庁関係の方にしても地方の出張所関係の方にしても、ないしは市町村役場方面の方にしても、いずれももっぱら、それぞれそこの長としての方々の会合であったので、よしその時間はわずかに一時間半ではあったものの、なおまたその上に、私より先に佐藤林学博士のお話が一時間以上もあったことではあり、万一講演の中途で中座されたり、雑談が交わされたりするのではということであった。
したがってそれに相当の注意を払いながら拙話を進めたのであったが、約一時間も経ったが、幸いそういった気色も見えない。これはありがたいと感謝しながら話を進めているそこへ、傍の幹部の席から小紙片が渡された。見ると、「話は予定の時間より三十分や一時間長くなってもよろしいから、考えていることを徹底的に述べるように」との注意であった。さてこれは、いくぶん共鳴して戴けた結果と思えばまことにありがたくもあり、元気も数倍したが、とにかくすでに原稿を作っていることではあり、かたがたにわかに変更するほどの力もなく、ただ多少ゆっくりした気分で予定のことだけを申上げて控室へ
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