申上げました「あざみ」にしても、あるいは「たんぽぽ」「なずな」「しうで」といったようなものにしても、「しうで」はちょっと栽培は困難のようでございますが、いわゆる「山菜の栽培」を私は強調いたしたいのでございます。もちろんそれも、まずそこの「土地土地に聞いて、」即ち、そこにどんな山草が繁茂しているかを調べて見て、その上で選択すべきであることは申上げるまでもございません。
 また、必ずしも栽培というほどの手数をかけないでも、相当の収益を挙げることのできるものも少なくはないのであります。もっともこれは特例ではございましょうが、この地方では決して珍しいものではない、かの「たらの木の芽」の話でありますが、あれが如何でしょう。これは私の友人の経験談ではありますが、先年、銀座の有名な某食堂で友人四、五名を招待して会食した時のこと、たまたまその料理の中へ、例のたらの芽が出た。わずかに二芽ばかりずつ、いかにも珍品らしくそれぞれ小皿に入れて配られた。なるほどおいしい。一同も非常に喜ばれたので、お代りを要求した。すると今度は少し大きな丼へ二〇芽ほど入れて持って来た。ところが会計の時に調べて見ると、その丼一つが参円についている。
 そこで変だとは思ったが、あまり高価なので何かの間違いではないかと思ったので訊いて見た。すると先方では、「いや別に間違いではない。なんでもこの木のある処は深山で、しかも棘のたくさんある木で、しかも誤ってその棘を刺すと、そこから肉が腐る。だからこの芽を採るのには、ほとんど命がけでなくては採れないそうです」と、その高価なのはいかにも当然であるといったような返事をされたのには、その高価以上に驚いてしまった。(第2図参照)
[#底本ではたらの木の写真入る]
 他の会食者はいずれも東京で生れ東京で育ったものであったので、誰も彼も感心して聞いておったふうであった。そこでその私の友人は、帰郷後さっそく、一日人夫を雇って、その「たらの芽」を採って貰い、それを贈るも贈る、一|叺《かます》荷造にして先日会食した一人の方へ贈り届けた。すると間もなく、きわめて鄭重な答礼の手紙と一緒に、子供服二着、それに大人の服地一人分、合計、どう見ても時価で約四十円見当のものを贈り返してくれた。これにもまた驚いてしまった、と過般その当の本人が私に話されたことがございます。
 なるほど、いかに「たらの木の芽」だからといっても、一芽十銭も十五銭もしてはやや高過ぎると思いますが、しかし、とかく山の人たちは、今まで山を軽視しており過ぎた、山を馬鹿にしており過ぎた、「山へ行けばいくらでもあるんですから」とか、「たかが山のものですから」とか言って、いかにも山のものを粗末に考えており過ぎたではないでしょうか。山は山として、すなわち「山地は山地として、そこには絶対的の価値を持っている」ということを私どもは忘れてはならないと存じます。とかく都市のものは人工物が多く、それに対して田舎のものには自然物が多い。したがって、都市のものには残念ながら紛れ物がよくある。紛れ物の程度ならまだ辛棒もいたしますが、それを通り越して、毒物や危険物さえもあることは、時々新聞紙上で皆様も御承知のことと存じます。
 それに比べて田舎のもの、すなわち自然物はいかにも純であり正であります。神の姿そのままなのであります。軽視どころの話ではないと存じます。昨今御承知のように、いろいろの問題になっている産業組合の如きも、その純正なものを需要し供給するという点にその第一の本旨をおくべきものだ、と私は考えておりますが如何なものでございましょうか。そこに産業組合存在の根本的意義をおくべきだと考えておりますが、御賛成は願われないでしょうか、御一考を願いたいと存じます。
 いやどうも、あまり話が横へ逸れ過ぎたようでございますから、こういった方面はいずれ他の機会に譲り本軌道へ戻すことにいたしますが、とにかく、山菜だけではございません。昨今、著しく一般の注意をひくようになって参っておりますかの果物の方面にしましても、りんごや梨の栽培も決して悪いとは申しませんが、私は「くるみ」とか「くり」とかないしは「さねかずら」「しらくちづる」「またたび」等のいわゆる「山果」とも申すものの栽培に御注意を願ったらと考えているのでございます。すでに菓子でも三盆や大白といったような、おそろしく人工化された砂糖を使ったものよりは、かの大島の黒砂糖を主にした大島羊羹・大島センベイといったふうのものが、よりいっそう悦ばれるような世の中となって来ておりますことは、私どもの注意すべき点ではなかろうかと存じます。もっとも、これまたすでに人工物でありますから、名前の通りかどうかは十分の警戒を要しましょうが、とにかく、そういった名前だけでも人を引きつける力を持って来ていることは注意してよいと思います。
 もちろん、この場合にも、そこの自然によく訊いた上で選択もし、栽培の方法も考案されるべきであることは申上げるまでもございません。要は「そこの土地、すなわちそこの自然を生かす」という思想が根本となっておらなくてはならないと存じます。
 信越国境の姫川流域での所見でありますが、あそこの山野、ことに雪崩れなどで押出されてできておりますそこの処女地には、その処女地を好む「すぎな」を初め、例の「あざみ」、それに「やまぜり」という草が非常に繁茂しており、しかもその「やまぜり」が春先き、そこの雪の下から芽を出して来るその際のものは、風味といい、軟かさといい、なんとも申分のないものだと聞きました。すなわちこれは、まったくあそこの深い雪に恵まれての生産物であります。なにも「ゆきな」だけが多雪利用の蔬菜ではないのであります。何故それをたくさん作って、中央の市場へお出しにならないのですか、と私は申上げて来たことでございます。またあの辺の山野一帯に繁茂しております、いわゆる「木桑《きぐわ》」は、それがあの地方の春蚕の主要な飼料ではありますが、一方それが木桑であるために、たくさんの実が、しかも美味しい実がなるのであります。しかし、今日のところでは、わずかにそれが、しかもただほんの一部分が、この地方の子供のすさび位にしか利用されておらないようで、それを果物として市場へ出荷すること等はもちろん、それを原料として罐詰の製作とかジャムの製造ないしは桑の実酒の醸造等、何一つ企てられておらないことは、まことにもったいないことのようにも思って見て来たのでございます。
 こういった、農村工業についてでありますが、今ここでも例に出しましたように、一つには、その地方の生産物をさらに加工して行くということも、確かに意義のある途でないとは申しませんが、それよりも、もっと真にその地方の工業として意義のある点に力を入れなければならない、と思われることがたくさんにございます。ところが、不幸にして不思議にもあまり多くの人々からも注意されておらないことは、要するに、単にその地方に工業を興すという考えよりも、より「その地方の気候風土を生かして行く」、すなわち、そこの風土に則した工業を興すという点に第一の主眼をおかれないため、と私は考えているのでございます。
 原料といったようなものは、交通の発達しております今日および将来では、特殊の原料、例えば水のようなものとか果物ならば桃のようなもので、きわめて持ちが悪いといったようなもの以外は、相当輸送にも耐えますので、無理にその生産地でそれを使って製造しなければならないというほどのこともないと思いますが、風土だけはまったく輸送不可能のものでございますから、それに立脚した工業であってこそ、真に強みのある、いわゆる意味のある地方工業と私は考えているのでございます。すでに皆様も御承知のことと存じますが、直ぐこの北にある、あの鳥居峠の南北両側において、北には平沢という漆器の製造部落があり、南側には藪原という昔から有名な、今日もこの会場の入口に陳列されておったようでありますあの「お六櫛」の産地がございます。ところが、あの漆器の製造には、どちらかと申しますと、そこの空気の乾燥しているということが希望されておりますし、これに対して、櫛の製造においては、なんとしてもあの細かい歯を一枚一枚挽くのでございますから、空気の湿っている方が悦ばれているのでございます。現に藪原の櫛の工場は、いずれも西日を避けて設けられております。また事実、この両方の部落で調べて見ますと、藪原の方では六、七月頃の梅雨時が一番よい品物ができるといわれているのに、平沢の方ではその梅雨時と九月の雨期とが一番仕事がしにくいと申しております。まだそれでも、この平沢では、ごく多湿の年以外は年中製作してはおりますが、他府県の漆器製造地では年々その雨期には、ついにその製作を中止している地方さえもあるほどでございます。
 しかしそれをその鳥居峠の南北両斜面について、あそこの植物について調べて見ますと、その乾燥性に強い「はぎ」の、しかも数メートルもの丈に延びた大きなのが、峠の北側には非常に繁茂しておりますのに、南側には懸賞で探しましてもどうかと思われるほど少ないといったように、著しい対象を見せております。
 そうしてこれは、まったくあそこの峠という地形に対し、そこに発達しております風の影響によるのでございます。この峠付近は年中南風のよく吹いているところなのでございます。幸いあそこの峠の頂には、森林測候所がございまして、その観測の結果から最も信用のできる資料を知ることができますが、つまり、南風がこの峠の南斜面を這い登り、時にはそこに霧さえ起し、今度はそれが北側へ吹き下す時には、一種のフェーン型のものとなりまして、かえって乾くのでございます。また事実、測候所の観測によりましても、南側には霧が多く北側にはきわめて少ないと申しております。
 もちろん、農業とは違って、工業方面では、割合にその仕事場が狭くてすみますから、ある程度までは、そこに人工で、その工業の要求に近い気候すなわち人工風土を作り出すことはできましょう。しかしそれだけ、生産費の嵩むことになります。もっともその工業の要求通りの自然的気候を持つということは、そうたくさんにはありえないことでありますから、多少は常に、そこに人工的の気候を作って補わなければならないことになりますが、それにしても、気温の高過ぎるのを低くするよりも、低いのを高くする方が容易でありますし、また、湿度の高いのを低くするよりも高める方がかえって容易でもあり、かつ安価にもできます。ですから、その工業に対して、どちらかといえば多少低温すぎるとか、乾燥過ぎる方が、その反対の性質を持っている風土よりは気候的に恵まれていると考えてよいと思います。平沢の漆器はその点からは明らかに恵まれております。すでに慶長年間から、家内工業として起ったものだとのことで、今では部落のほとんど全体が漆器工業化されており、従業員四〇〇人で年額三三万円の生産を挙げており、さらに近いうちに五〇万円近くまでも発展させてやろうと意気込まれております現状は、まことに偶然ではないと私は考えております。実に両部落とも、そこの風土を生かしている、実に見事な地方産業であると私は礼讃申している次第でございます。
 昨今、わがこの信州の各所に勃興いたして来ております早漬大根にしましても、あれは確かに、かの秋風の吹くようにならなければ、よい質の大根はできないといわれているその大根に対し、わがこの信州の持つ早冬的気候が手伝っているのでありまして、まことに信州のもつその風土性を織込んだ産業として美しい一つと考えますが、ただその製造に当って、米糠や大根以外にことさらに砂糖や絵具を加えて、人工的にしかも一時的に味や色を出そうとされるかに思われる現状に対しては、深く考えさせられるのでございます。私はそれよりも、この信州の冷涼な気候を利用しまして、できる限り品質のよい大根を作り、純粋の大根と米糠といったような原料だけできわめて長い時間をかけてじりじりと漬け込んで行き、いっそうのこと、それを
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