ります。ところがそれが、壮年期の処ではその道路が谷底部に下り、老年期の処では中腹部に移るといったようになっております。それで、新道等を開鑿するような場合に、万一この条件に外れたような地点にその道路が設けられますと、開鑿後毎年のように修繕を要しまして、工費を喰って、非常な難儀をしなければならないことになるのであります。
 例えば、あの上高地へ通る稲核から奈川渡、中の湯方面の梓川の谷に沿った道路について申しますと、現在、日本アルプスの地形は、その大地形から申しますと壮年期の地形でありますが、あそこが、まだその壮年期の中頃に例の回春をやりまして、現在その谷の部分では明らかな幼年期の地形を示しております。したがって、こういった場所へ道路ができるとしますれば、尾根部と申しましても、それが壮年期で再び回春しておりますから、そこには平坦面がございません。したがって、現在の幼年期の谷壁のその最高部、旧壮年期の谷底部に相当する地点、現河床部から見ますと相当高い処へその通路をあけるのが、将来一番安全な方法だと思われるのであります。それを、わずか五、六年の観察から、谷底部に多少の余裕があるからというので、そこへ道路を設けましたならば、たまたま数年に一度、あるいは十数年に一度といった大洪水によって、その谷底全部が、その川の水によって占領され、われわれ人間の力から見れば、さすがはと思われるような、コンクリートの堅牢な工事も、まことにたわいもなく、めちゃめちゃに破壊されてしまうことになります。そうして、その都度、単に道路だけではなく、その両側の谷壁を浸蝕して行くのであります。かの奈川渡から上流、釜トンネル付近までの道路において破壊の繰返されておりますのは、私は、おそらくそうしたことが最も大きな原因となっているのではありますまいかと考えております。ところが、これに対して、奈川渡から下流の道路は、きわめてよくあそこの地形に順応して造られ、御承知のように道路をぐっと高い処へ引き上げてありますので、比較的安全のように思われます。これはいま若返りつつある谷のまことに当然の帰趨なのでございます。まったく、これは一つの自然現象であり、自然の偉力によるのでございまして、私どもはただ素直にそれに従うよりほかに途はないのでございます。
 もっとも崩壊の中には、さきほど佐藤博士の御講演の中にもございましたように、われわれ人間が、いたずらに山の木を伐ったり、急傾斜な処を開墾したり、時に植樹をしたとしたところで、その丈の高い割合に根の浅いような樹を植えたりいたしますと、かえってその崩壊、すなわち浸蝕を促進させるような場合も決して稀ではないと存じます。その点はすでに、皆様の方の御専門に属しますことですから差控えることにいたしますが、要するに、自然に起りますものは、かの地震や噴火と同様に、われわれ人力の如何ともいたし方のないものでございます。河の氾濫が堤防さえ高くすればそれで防ぎ得るとお考えになっておられる方、よしやそんなお方はございますまいが、万が一にもあるとすればよほどそのお方は頭の単純なお方と申さなければなりません。すなわち堤防を高くすれば河床が高くなり、河床が高くなれば、河水は必ずしもその堤防を乗越えては氾濫しないまでも、今度はその堤防の下を潜って両側の低地へ滲み出して、そこの地下水面を高め、やはりいわゆる氾濫同様の結果を招来いたします。ただしかし、地震は起さないわけには参りませんが、震災を蒙らないようにすることはできると言われております。が、それと同様に、山崩れをなくすることはできないが、その災害をなくすることは必ずしも不可能のことではございますまい。私はまったくの素人であって分りませんが、今後の研究は、こういった方面により多くの力を用いられるべきではありますまいか、と考えているのでございます。
 いや、こちらの態度如何によりましては、さらにその山崩れそのものを、単にそれに順応しているというだけではなく、積極的にそれを利用することさえできるのではないかとまで考えさせられるのであります。こうした事実を私は各所で見聞いたしておるのでございます。
 かの神奈川県の三浦半島の葉山の付近は、年々豌豆のはしりを市場へ出すことができ、まことによい場所として知られておりますが、御承知のように、豌豆は連作のきかない作物であるにもかかわらず、あそこの赤土が、その毎冬、毎日のように、そこの斜面にできる霜柱によってざらざらと崩れ、そこの畑へ新しい土壌を供給しますので、年々同一の畑でその豌豆が栽培せられております。また、これはきわめて各所で見ることでありますが、下伊那郡の南部地方や佐久・諏訪等では、そこの山麓にあたって切取って作られてある道路や畑地において、その春、霜溶けの際、その切取面の小さな崩壊を利用して、「うど」の軟化栽培をやっている処、またつい数日前、長野市外の善光寺温泉に参りましたところ、あそこの裏山の崖の下のその崩壊の砂の中にしかも自然にできるのだといって、あざみの軟化したのを料理して出して貰いました。もっとも、これらは崩壊と言ってよいかどうかちょっと判らないような程度のものではありますが。
 そのやや大規模な崩壊利用といたしましては上伊那郡西春近村の白沢部落かと記憶しておりますが、あそこでは、その地方一帯は赤土の段丘地でありますが、その上に一個所だけ、あそこの裏山の崩壊で押出された広い石礫地区ができております。それをここでは、とくにその部分を春蚕専用の桑園地として利用しております。発芽も赤土の処よりは早く、まことに好都合だといっておられるのであります。一時は蚕種用の歩桑桑園とまでして利用したことさえあるとのことでございました。
 また、更級郡大岡村の下大岡という部落でありますが、ここは犀川の谷底近くにできているわずかに十数戸の部落でありながら、年々十車以上もの生柿を生産するという、素晴らしい柿栽培部落であります。しかも、よくある、かの隔年結果というようなことがここの部落のものにはほとんどないのであります。しからばその栽培方法はというと、別にこれというほどのこともなく、ただ年々その秋、柿の成熟期に、その枝の折れるのを防ぐために、弱い枝に支柱を立ててやるくらいが関の山だとのことでございます。よく調べて見ますと、この部落の中でもとくにその柿の成績のよい場所は、河畔の、時に氾濫時には水を被り、新しい土砂を次第に堆積されるような所と、それにいま一ヶ所、この部落の上方、そこの山腹に当る旧山崩れ跡が、そこの押出した土壌が深く、したがって柿の木の根張りも深く、それがとかく耐乾性の弱い例の柿のためには好都合で、年々豊作地となっているということが判ったのでございます。
 また、かの善光寺地震の際の大崩落地として有名な、同じく更級郡更府村の湧《わく》池という部落でありますが、今もなおその地盤が安定しないので困っております。しかし、不思議にもこの地帯一帯は大豆の生育が素晴らしく良く、普通他所では二粒宛播いておりますあの大豆を、ここでは一粒ずつで、しかも見事に大きくもなり結実もよいのであります。どちらかといえば、大豆も湿性の作物でありますが、ここの土壌の深いということに恵まれており、しかもそれが、ここの崩壊地であるということに原因していることを想い合せますと、世の中には、ぜんぜん無駄なもの、無用なものというものはない、「つまらぬと言うは小さき知恵袋」という名句や、「無用とは利用せざることなり」と言われている警句が、よく胸に落ちるような気がいたすのでございます。
 御当地の例では、明日皆様の御見学になられます木曾の三留野から、さらにその南へかけて、その昔山崩れで押出されて来た花崗岩の大塊で、一個千円もの価で取引されたというその石を見たことがあります。花崗岩は、何も珍しい岩石ではございませんが、近年いろいろの大建築が各所で企てられ、それには質はもちろん、色の揃ったものが要求されます。そのためには小さいばらばらのものでは役に立たない、したがって大きなものが、しかも、鉄道近くで得られるものが便利なので、こういったことになったものと考えるのでございます。
 石の話では、上伊那郡伊那里村地方では、そこに流れている三峯川が年々のように氾濫するので、大変あの地方の人々は迷惑を蒙っているようでございますが、しかし一方には、あの川は赤石山脈一帯の古生層地帯から流れ出して来ているのであります。由来、わが国の「盆石」の名産地としましては、鴨川とか那智川とかいったように、その流域あるいは上流部に古生層地帯を持っているその下流が、それに当っているのであります。ところが、この三峯川もその流域に広い古生層地帯を持ち、その河原は盆石産地として十分資格を持っていると私は考えております。事実、私も昨年の夏、この村の青年の幹部の諸君と一、二時間この河原をぶらついて見たのでありますが、いかにも雅趣のありそうな自然石が目について驚いたことでありました。それがひとわたり拾ってなくなった頃になると、また氾濫しては新しい石礫を上流の方から運んで来てくれるので、いかにもかえってそれが好都合であります。もちろん、この村にはまだ鉄道は入ってはおりません。しかも「盆石」は、花崗岩等の建築用材とは違って、さらに高価のものでありますから、運賃等はほとんど問題にはならないと存じます。しかもこの河原は、ひとり盆石の産地として有望なだけではございません。とくにその生育栽培に処女地を要求しております「あざみごぼう」の栽培地としても、有望なのであります。事実、すでにこの河原にはたくさんそれが自然に繁殖し、またこの地方の人々はそれを採集して来て、テンプラの心などにして食用にもいたしております。氾濫の恩恵を受けているのは、ひとりエジプトのナイル河の流域だけだと思っておっては、はなはだ認識不足と申さなくてはならないのでございます。
 この木曾地方にしましたところで、その若返りつつあります木曾川両岸の谷壁の岩山は、すでに盆栽植物の産地として知られており、またこの地方の村々を訪れて見ましても、この地方ほど、その各戸に盆栽の作られている村を私はあまり他所では見受けないのであります。専業とまでしては如何がなものかとは存じますが、副業として将来まことに注意すべきものであろうと思っております。
 話がいつとはなく農山村の産業の方面へ移ってしまいまして、今日の御会合の席にはあるいは御迷惑かとも存じますが、しかし、一方皆様の大多数の方々は直接その農林業に御従事なさっておられるので、私はそれを幸い、いま少し、とくにこの方面について卑見を申し上げ、御批正を仰ぎたいと考えている次第でございます。いま暫く時間を頂きたいと存じます。
 私に申させますと、いったい昨今その農山村で栽培されているものが、「なす」とか「キャベツ」とか、「トマト」とかいったように、あまりにもその蔬菜としても熟化され過ぎたものばかりが、いや、そういったものだけにその栽培が向き過ぎ、是が非でもそれを自分の村で栽培しようとしておられるかの傾向が濃厚過ぎはしないだろうか、とさえ思われてなりません。私は先年、昨今スキー場として知られ出して来ましたあの諏訪の霧ヶ峯につきまして、あそこで何か作って見たいが何を栽培したらよいかという御相談に対し、あの霧ヶ峯一帯の黒のっぺ、すなわち黒土、腐植質土の発達しているあそこに行って見ますと、諏訪地方では「これ」といっておりますが、かの「ぎぼうし」のおそろしい繁殖繁茂振りにヒントを得まして、まずこれをここに畑を作って肥料、肥料と申しましてもそこのヒュッテに泊った客から当然される人糞尿なのでありますが、それを施して栽培したらと申上げたことがありました。ところがそれが次第に成績を上げまして、昨年はついに東京方面からの、それもわずか一軒の某料理店の需要に応じ切れなかったと聞いております。(第1、2図参照)
[#底本ではギボウシの写真入る]
 なにもこれは「これ」に限ったことではございません。前にもちょっと
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