ようにでも、私どもは有用化することができるのであります。
 先年来時々襲われたかのように宣伝されております東北の飢饉の如き、がんらい高温多湿を要求しているあの稲を、いたずらに、いや無理に、低温なあの地方へ栽培しようとしたことからくる当然の結果でありまして、今日、わが日本の国としましては、おそらくどんな地方でも、またどんな冷湿な年柄でも、草の生えない地方はないと存じますが、その草を中心に山羊なり羊なりを飼育いたしましたならば、立派に衣も食も足りる筈ではないでしょうか。要するに、私に言わせますれば、東北の飢饉は、あれは一種の「人工飢饉」である、とさえ申上げたいほどであるのであります。
 要は土地利用ということは、一方はそこの土地に訊き、一方はその作物なり家畜なりに聞いて、その両者の最もよく調和する、言い換えれば、もっともそこの、その自然に近い形におく。さらに根本的には、そこの地表を緑化する、でき得る限り濃緑化する。山ならば木を育て、さらに下木、下草を繁茂させるといったようにすることだと考えております。もっともこれは、すでに皆様の、とくに日夜お骨折りを願っておられることで、この点からも砂防工
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