ることは注意してよいと思います。
 もちろん、この場合にも、そこの自然によく訊いた上で選択もし、栽培の方法も考案されるべきであることは申上げるまでもございません。要は「そこの土地、すなわちそこの自然を生かす」という思想が根本となっておらなくてはならないと存じます。
 信越国境の姫川流域での所見でありますが、あそこの山野、ことに雪崩れなどで押出されてできておりますそこの処女地には、その処女地を好む「すぎな」を初め、例の「あざみ」、それに「やまぜり」という草が非常に繁茂しており、しかもその「やまぜり」が春先き、そこの雪の下から芽を出して来るその際のものは、風味といい、軟かさといい、なんとも申分のないものだと聞きました。すなわちこれは、まったくあそこの深い雪に恵まれての生産物であります。なにも「ゆきな」だけが多雪利用の蔬菜ではないのであります。何故それをたくさん作って、中央の市場へお出しにならないのですか、と私は申上げて来たことでございます。またあの辺の山野一帯に繁茂しております、いわゆる「木桑《きぐわ》」は、それがあの地方の春蚕の主要な飼料ではありますが、一方それが木桑であるために、たくさ
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