」だからといっても、一芽十銭も十五銭もしてはやや高過ぎると思いますが、しかし、とかく山の人たちは、今まで山を軽視しており過ぎた、山を馬鹿にしており過ぎた、「山へ行けばいくらでもあるんですから」とか、「たかが山のものですから」とか言って、いかにも山のものを粗末に考えており過ぎたではないでしょうか。山は山として、すなわち「山地は山地として、そこには絶対的の価値を持っている」ということを私どもは忘れてはならないと存じます。とかく都市のものは人工物が多く、それに対して田舎のものには自然物が多い。したがって、都市のものには残念ながら紛れ物がよくある。紛れ物の程度ならまだ辛棒もいたしますが、それを通り越して、毒物や危険物さえもあることは、時々新聞紙上で皆様も御承知のことと存じます。
それに比べて田舎のもの、すなわち自然物はいかにも純であり正であります。神の姿そのままなのであります。軽視どころの話ではないと存じます。昨今御承知のように、いろいろの問題になっている産業組合の如きも、その純正なものを需要し供給するという点にその第一の本旨をおくべきものだ、と私は考えておりますが如何なものでございましょう
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