しそれは「信じて」の上のことであり、しかも「やがて」のことであって、決して現在のことではございません。その点をよくよく注意しなくてはならないと存じます。
早い話が、なるほど今日の科学は、電気や磁気といった物質科学の方面の研究は相当の域にまで進んではおりますが、生命科学の方面では如何でございましょうか、御承知のように、まだアメーバ一匹人工では作られてはおりません。それどころか、その生命の本質究明をその使命とすべき生物科学者が、中には「生命は永遠の謎である」などといって、手を触れそうにもしない学者さえございます。まして、精神科学の方面の如きいかにそれがまだ幼稚であるかは十分想像していただけることと存じます。
これは、なにもその方面の学者が懶《なま》けているというのでは決してございません。およそ物には順序というものがありまして、まだそこまで進んでおらないということでございます。したがって、実はまだまだ科学万能どころの話ではございません。きわめて初歩の時代であると考えるのが妥当とさえ考えたいのでございます。
もちろん、私どもは、仮の宿とは承知しながらも、時にはその調べた「事実」に対しまして、「説明」を試みることがよくあります。しかし、事実と説明とを混合してはならないと存じます。説明はどこまでも、それは仮の宿りであります。即ち仮説であります。時に科学者の中には、その不安に耐え切れず、ついに、宗教へ転向とまではならなくとも、深い関心をお持ちになるようになられたお方も決して珍しくはありません。私もまた、これがまことに当然の帰趨かと考えているのでございます。物質科学にしたところで、実は生命科学や精神科学の方面が進歩しなければ、とうてい十分の説明のできる筈のものではございません。
しかしこれは、直接その科学の研究に従事されておられる学者のことでありまして、科学者以外の方々の間には、不幸にして、その科学に対する認識の不徹底から「科学万能」というように考えておられる人たちが、また決して少なくないようでございます。しかも、その科学なるものが、私ども人類のその意欲の建設したものである結果、それがついには、「人間万能」というような思想を招来させまして、それに対して、さらにその人間の他の一方に、その人間の意欲を抜きにした、大自然というものをその対象として押し立て、言い換えますと、その大自
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