いった交通機関の発達というものは、その直接の原因は「科学の発達」によるものであることは申上げるまでもない明瞭なことでございます。したがって、現代は交通発達の時代でもありますが、また見ようによっては一面「科学発達の時代」と言う方がより適切かも存じません。すなわちそれは、それらの器機や機関のそのすべてが、科学の力によってできたわけだからでございます。したがって科学が発達すればするほど、そういった便利な器械や器具が発達することになり、ついには御承知の如く、誰言うとなく「科学万能」というような声さえ用いられて来るようになりました。
しかし、科学が万能かどうかということは、科学そのものの本質を考えて見ますれば直ちに解決のつきますことで、なにもそう面倒なことではございません。御承知のように、科学というものは、私どもの持っている五つの感覚を透して、いや五つの感覚だけを透して、物の真相を明らかにしようと努めている、われわれ人類のもつ一つの指向であります。しかし、ちょっとお考えになってもお解りになりますように、必ずしも物の真相が、単にわれわれの持合せている五つの感覚だけで、完全にそれを明らかにし得るかどうかということは疑わしいものであります。おそらくは至難であり、いや不可能かとさえ思われてならないのであります。もちろん、究めるほどその真相へ近づくことはできるかも知れません。が、これについては、日常、自身直接その科学に従事されておられる学者は、十分その点を理解されております。かの科学に従事されている学者の方々が、しかも権威ある方々が、いや権威ある方々ほど、「調べれば調べるほどわからなくなる」といっておられます。また、大学卒業以来大学の教授として長い間研究を続けられ、その後停年制のために、惜しくもその席をお引きになったその時の御感想に、「どうも卒業した当時が一番ものが判っておったような気がする。ところが、卒業後、今度はいよいよ直接自分でその研究に携わって見れば、今までのいずれの研究に対しても、ただ、疑問が深まるだけで、何一つ判らなくなってしまった」と述懐になっておられます、そういったお方を幾人も私は承知いたしております。また、中には、「努力に努力を重ねて行ったならば、やがては、その真相の把握もできるであろうと信じて、毎日研究を続けているのである」といっておられる科学者もございます。しか
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