まれており、しかもそれが、ここの崩壊地であるということに原因していることを想い合せますと、世の中には、ぜんぜん無駄なもの、無用なものというものはない、「つまらぬと言うは小さき知恵袋」という名句や、「無用とは利用せざることなり」と言われている警句が、よく胸に落ちるような気がいたすのでございます。
御当地の例では、明日皆様の御見学になられます木曾の三留野から、さらにその南へかけて、その昔山崩れで押出されて来た花崗岩の大塊で、一個千円もの価で取引されたというその石を見たことがあります。花崗岩は、何も珍しい岩石ではございませんが、近年いろいろの大建築が各所で企てられ、それには質はもちろん、色の揃ったものが要求されます。そのためには小さいばらばらのものでは役に立たない、したがって大きなものが、しかも、鉄道近くで得られるものが便利なので、こういったことになったものと考えるのでございます。
石の話では、上伊那郡伊那里村地方では、そこに流れている三峯川が年々のように氾濫するので、大変あの地方の人々は迷惑を蒙っているようでございますが、しかし一方には、あの川は赤石山脈一帯の古生層地帯から流れ出して来ているのであります。由来、わが国の「盆石」の名産地としましては、鴨川とか那智川とかいったように、その流域あるいは上流部に古生層地帯を持っているその下流が、それに当っているのであります。ところが、この三峯川もその流域に広い古生層地帯を持ち、その河原は盆石産地として十分資格を持っていると私は考えております。事実、私も昨年の夏、この村の青年の幹部の諸君と一、二時間この河原をぶらついて見たのでありますが、いかにも雅趣のありそうな自然石が目について驚いたことでありました。それがひとわたり拾ってなくなった頃になると、また氾濫しては新しい石礫を上流の方から運んで来てくれるので、いかにもかえってそれが好都合であります。もちろん、この村にはまだ鉄道は入ってはおりません。しかも「盆石」は、花崗岩等の建築用材とは違って、さらに高価のものでありますから、運賃等はほとんど問題にはならないと存じます。しかもこの河原は、ひとり盆石の産地として有望なだけではございません。とくにその生育栽培に処女地を要求しております「あざみごぼう」の栽培地としても、有望なのであります。事実、すでにこの河原にはたくさんそれが自然に繁殖し
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