を利用して、「うど」の軟化栽培をやっている処、またつい数日前、長野市外の善光寺温泉に参りましたところ、あそこの裏山の崖の下のその崩壊の砂の中にしかも自然にできるのだといって、あざみの軟化したのを料理して出して貰いました。もっとも、これらは崩壊と言ってよいかどうかちょっと判らないような程度のものではありますが。
そのやや大規模な崩壊利用といたしましては上伊那郡西春近村の白沢部落かと記憶しておりますが、あそこでは、その地方一帯は赤土の段丘地でありますが、その上に一個所だけ、あそこの裏山の崩壊で押出された広い石礫地区ができております。それをここでは、とくにその部分を春蚕専用の桑園地として利用しております。発芽も赤土の処よりは早く、まことに好都合だといっておられるのであります。一時は蚕種用の歩桑桑園とまでして利用したことさえあるとのことでございました。
また、更級郡大岡村の下大岡という部落でありますが、ここは犀川の谷底近くにできているわずかに十数戸の部落でありながら、年々十車以上もの生柿を生産するという、素晴らしい柿栽培部落であります。しかも、よくある、かの隔年結果というようなことがここの部落のものにはほとんどないのであります。しからばその栽培方法はというと、別にこれというほどのこともなく、ただ年々その秋、柿の成熟期に、その枝の折れるのを防ぐために、弱い枝に支柱を立ててやるくらいが関の山だとのことでございます。よく調べて見ますと、この部落の中でもとくにその柿の成績のよい場所は、河畔の、時に氾濫時には水を被り、新しい土砂を次第に堆積されるような所と、それにいま一ヶ所、この部落の上方、そこの山腹に当る旧山崩れ跡が、そこの押出した土壌が深く、したがって柿の木の根張りも深く、それがとかく耐乾性の弱い例の柿のためには好都合で、年々豊作地となっているということが判ったのでございます。
また、かの善光寺地震の際の大崩落地として有名な、同じく更級郡更府村の湧《わく》池という部落でありますが、今もなおその地盤が安定しないので困っております。しかし、不思議にもこの地帯一帯は大豆の生育が素晴らしく良く、普通他所では二粒宛播いておりますあの大豆を、ここでは一粒ずつで、しかも見事に大きくもなり結実もよいのであります。どちらかといえば、大豆も湿性の作物でありますが、ここの土壌の深いということに恵
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