れわれ人間が、いたずらに山の木を伐ったり、急傾斜な処を開墾したり、時に植樹をしたとしたところで、その丈の高い割合に根の浅いような樹を植えたりいたしますと、かえってその崩壊、すなわち浸蝕を促進させるような場合も決して稀ではないと存じます。その点はすでに、皆様の方の御専門に属しますことですから差控えることにいたしますが、要するに、自然に起りますものは、かの地震や噴火と同様に、われわれ人力の如何ともいたし方のないものでございます。河の氾濫が堤防さえ高くすればそれで防ぎ得るとお考えになっておられる方、よしやそんなお方はございますまいが、万が一にもあるとすればよほどそのお方は頭の単純なお方と申さなければなりません。すなわち堤防を高くすれば河床が高くなり、河床が高くなれば、河水は必ずしもその堤防を乗越えては氾濫しないまでも、今度はその堤防の下を潜って両側の低地へ滲み出して、そこの地下水面を高め、やはりいわゆる氾濫同様の結果を招来いたします。ただしかし、地震は起さないわけには参りませんが、震災を蒙らないようにすることはできると言われております。が、それと同様に、山崩れをなくすることはできないが、その災害をなくすることは必ずしも不可能のことではございますまい。私はまったくの素人であって分りませんが、今後の研究は、こういった方面により多くの力を用いられるべきではありますまいか、と考えているのでございます。
いや、こちらの態度如何によりましては、さらにその山崩れそのものを、単にそれに順応しているというだけではなく、積極的にそれを利用することさえできるのではないかとまで考えさせられるのであります。こうした事実を私は各所で見聞いたしておるのでございます。
かの神奈川県の三浦半島の葉山の付近は、年々豌豆のはしりを市場へ出すことができ、まことによい場所として知られておりますが、御承知のように、豌豆は連作のきかない作物であるにもかかわらず、あそこの赤土が、その毎冬、毎日のように、そこの斜面にできる霜柱によってざらざらと崩れ、そこの畑へ新しい土壌を供給しますので、年々同一の畑でその豌豆が栽培せられております。また、これはきわめて各所で見ることでありますが、下伊那郡の南部地方や佐久・諏訪等では、そこの山麓にあたって切取って作られてある道路や畑地において、その春、霜溶けの際、その切取面の小さな崩壊
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