な感謝を持って報いられ、ついにその河岸に「春野神社」として祀られるようになり、今もなお現存しているとのことでございます。
この「川に訊いて見てやる」という、その思想がまことに大切なのでございます。
ある山の麓に道路を作ろうとする場合、その道路の両側の勾配をどの程度にまで急にしてよいかは、その付近の地形を調べ、その地形のもつ勾配に順って、ならって、すなわち「聞いて」決めるべきであるということは、すでによく言われていることであります。
各地に地辷りとか、山崩れとかができる。これについてのその対策にしてもまた同様で、やはりそこの山なり谷なりにまず訊いて、その上で着手されるということが大切だと存じます。
これを、われわれの立場から申しますと、その山崩れとか地辷りとかいうのは、いずれもそれは地盤の一種の浸蝕現象でございまして、すなわち一種の水の営力としての現れでございます。元来、この地表の水は、常にその高地に対しては浸蝕を、そうして、低地に対しては堆積という作用を営んでいるのでございます。そうしまして、その高地というのは多くは地盤の隆起により、低地というのは沈降によって持ち来たされるのでございます。
ちょっとお考えになりますと、なに、そんなにこの地盤が上がったり下がったりしてたまるものかと御心配になられるかも知れませんが、この地盤は、実は上下にも水平にも絶えず動いているのでございます。よく、「動かざること山の如し」と言われたのは、ごく短時間、しかもごく大ざっぱに観察してのことで、今日、精密な測量の結果は、明らかに大地の隆起沈降を証明いたしております。中仙道を初め、三州街道や糸魚川街道、さらに北信では、あの千曲川から信濃川に沿って、その道路上に二キロ毎に設けられてあります水準点の高さの変動を測って見ますと、わずか三〇年そこそこの間にさえ、場所によっては二〇〇ミリも隆起している地方があり、また一〇〇ミリ近くも沈降している地方もございます。この信州だけで申しますと、だいたいその西南部が隆起し、東北部が沈降しております。どちらかと申しますと、飛騨、木曾、赤石等を含む高山地帯のある方面が隆起しまして、千曲川の下流方面が沈降しております。要するにこれらの山岳地方は、只今のところ、年々隆起を続けているわけでございます。今日のこういった高い山岳も、結局はその隆起の結果と考えられるの
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