性状はもちろん、電気やガスの性質に順応し得た、その賜物であると考えるのが妥当だと思います。
いやしくも川の工事をしようとするものは、まずそれをそこの川に訊き、山の工事をしようとするためにはそこの山に訊いて、その言葉に従ってするということが、いわゆる成功の捷径でありましょう。細かい地名が想い出せないで残念でございますが、高知県に春野神社という社があるそうでございます。これは、その昔、例の殖産、土木業の奨励者として有名な、かの野中兼山の当時、ある一つの河から田用水を引き上げるために、まずその河を堰き止める工事に着手しまして、その両岸から苦労して次第に堰止めて行く。ところが、いよいよあとわずかのところで堰止めきるという時になると、折角の工事がついその河の威勢で押し流されてしまう。何回となくそれを繰返しては見るが、どうしても目的が果たせない。ところがある日のこと、こうしたところへふと通りかかったのが「はるの」というお婆さんでありました。お婆さんは、そこの河岸に立止まって、暫くその工事を見ておりましたが、やがて、「これではとうていこの河を堰止めることはむずかしい」と独り言をしながら立去ろうとしました。傍でそれを聞き込んだ役人たちは、ただでさえ、むしゃくしゃしている矢先のことでございましたから、「なにを小癪な」と、一時はいかなることかと心配のほどでありましたが、たまたまその中の上役の一人が、「まあとにかく、どんな考えを持っているのか、一つ訊いて見ようではないか」というので、「いったいそれでは、どうすれば堰止めることができるというのか」と聞いて見ると、婆さんの言うには「なにも、私に聞かれても、私だところでそれは困る。知らない」。だが「少なくとも川に手をつけようとするからには、まずその川に訊いて始めなければ嘘だ」。「なに、河がものを言うか」。「いやものは言わない。しかし訊きようによっては、川の心持ちはいくらでもよく判る。それには、この川の両岸に立って一筋の繩の両端をお互いに持ち、その繩を静かにゆるめながらこの河へ流して見る、そうして、その繩の流されるその形に従って堰堤を築けば、堰止めることができる筈ではあるまいか」といって立去ってしまった。なるほどまんざらでもないようであるというので、そのお婆さんの言う通りにやって見ると、初めて見事にそれが成功した。そこで最初の憤怒にも増し、大き
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