》には十一|時《じ》半《はん》を報《ほう》ずる七|點鐘《てんしよう》が響《ひゞ》いて、同時《どうじ》にボー、ボー、ボーツと恰《あだか》も獅子《しゝ》の吼《ほ》ゆるやうな※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]笛《きてき》の響《ひゞき》、それは出港《しゆつかう》の相圖《あひづ》で、吾等《われら》の運命《うんめい》を托《たく》する弦月丸《げんげつまる》は、遂《つひ》に徐々《じよ/″\》として進航《しんかう》をはじめた。
第四回 反古《ほご》の新聞《しんぶん》
[#ここから5字下げ]
葉卷烟草《シーガレツト》――櫻木海軍大佐の行衞――大帆走船と三十七名の水夫――奇妙な新體詩――秘密の大發明――二點鐘カヽン々々
[#ここで字下げ終わり]
灣口《わんこう》を出《い》づるまで、私《わたくし》は春枝夫人《はるえふじん》と日出雄少年《ひでをせうねん》とを相手《あひて》に甲板上《かんぱんじやう》に佇《たゞず》んで、四方《よも》の景色《けしき》を眺《なが》めて居《を》つたが、其内《そのうち》にネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]港《かう》の燈光《ともしび》も微《かす》かになり、夜寒《よざむ》の風《かぜ》の身《み》に染《し》むやうに覺《おぼ》えたので、遂《つひ》に甲板《かんぱん》を降《くだ》つた。
夫人《ふじん》と少年《せうねん》とを其《その》船室《キヤビン》に送《おく》つて、明朝《めうてう》を契《ちぎ》つて自分《じぶん》の船室《へや》に歸《かへ》つた時《とき》、八點鐘《はつてんしよう》の號鐘《がうしよう》はいと澄渡《すみわた》つて甲板《かんぱん》に聽《きこ》えた。
『おや、もう十二|時《じ》!』と私《わたくし》は獨語《どくご》した。既《すで》に夜《よる》深《ふか》く、加《くわ》ふるに當夜《このよ》は浪《なみ》穩《おだやか》にして、船《ふね》に些《いさゝか》の動搖《ゆるぎ》もなければ、船客《せんきやく》の多數《おほかた》は既《すで》に安《やす》き夢《ゆめ》に入《い》つたのであらう、たゞ蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]機關《じようききくわん》の響《ひゞき》のかまびすしきと、折々《をり/\》當番《たうばん》の船員《せんゐん》が靴音《くつおと》高《たか》く甲板《かんぱん》に往來《わうらい》するのが聽《きこ》ゆるのみである。
私《わたくし》は衣服《ゐふく》を更《あらた》めて寢臺《ねだい》に横《よこたわ》つたが、何故《なぜ》か少《すこ》しも眠《ねぶ》られなかつた。船室《キヤビン》の中央《ちゆうわう》に吊《つる》してある球燈《きゆうとう》の光《ひかり》は煌々《くわう/\》と輝《かゞや》いて居《を》るが、どうも其邊《そのへん》に何《なに》か魔性《ませう》でも居《を》るやうで、空氣《くうき》は頭《あたま》を壓《おさ》へるやうに重《おも》く、實《じつ》に寢苦《ねぐる》しかつた。諸君《しよくん》も御經驗《ごけいけん》であらうが此樣《こん》な時《とき》にはとても眠《ねむ》られるものではない、氣《き》を焦《いらだ》てば焦《いらだ》つ程《ほど》眼《まなこ》は冴《さ》えて胸《むね》にはさま/″\の妄想《もうざう》が往來《わうらい》する。
私《わたくし》は思《おも》ひ切《き》つて再《ふたゝ》び起上《おきあが》つた。喫烟室《スモーキングルーム》へ行《ゆ》くも面倒《めんだう》なり、少《すこ》し船《ふね》の規則《きそく》の違反《ゐはん》ではあるが、此室《こゝ》で葉卷《シユーガー》でも燻《くゆ》らさうと思《おも》つて洋服《やうふく》の衣袋《ポツケツト》を探《さぐ》りて見《み》たが一|本《ぽん》も無《な》い、不圖《ふと》思《おも》ひ出《だ》したのは先刻《せんこく》ネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]港《かう》を出發《しゆつぱつ》のみぎり、濱島《はまじま》の贈《おく》つて呉《く》れた數《かず》ある贈物《おくりもの》の中《うち》、四|角《かく》な新聞《しんぶん》包《つゝみ》は、若《も》しや煙草《たばこ》の箱《はこ》ではあるまいかと考《かんが》へたので、急《いそ》ぎ開《ひら》いて見《み》ると果然《くわぜん》最上《さいじやう》の葉卷《はまき》! 『しめたり。』と火《ひ》を點《てん》じて、スパスパやりながら餘念《よねん》もなく其邊《そのへん》を見廻《みまわ》して居《を》る内《うち》、見《み》ると今《いま》葉卷《はまき》の箱《はこ》の包《つゝ》んであつた新聞紙《しんぶんし》。
『オヤ、日本《につぽん》の新聞《しんぶん》だよ。』と私《わたくし》は思《おも》はず取上《とりあ》げた。
本國《ほんごく》を出《い》でゝから二|年間《ねんかん》、旅《たび》から旅《たび》へと遍歴《へんれき》して歩《ある》く身《み》は、折々《をり/\》日本《につぽん》の公使館《こうしくわん》や領事館《りようじくわん》で、本國《ほんこく》の珍《めづ》らしき事件《こと》を耳《みゝ》にする外《ほか》は、日本《につぽん》の新聞《しんぶん》などを見《み》る事《こと》は極《きは》めて稀《まれ》であるから、私《わたくし》は實《じつ》に懷《なつ》かしく感《かん》じた。急《いそ》ぎ皺《しわ》を延《のば》して見《み》ると、これは既《すで》に一|年《ねん》半《はん》も前《まへ》の東京《とうけい》の某《ぼう》新聞《しんぶん》であつた。一|年《ねん》半《はん》も前《まへ》といへば私《わたくし》がまだ亞米利加《アメリカ》の大陸《たいりく》に滯在《たいざい》して居《を》つた時分《じぶん》の事《こと》で、隨分《ずいぶん》古《ふる》い新聞《しんぶん》ではあるが、古《ふる》くつても何《な》んでもよい、故郷《こきやう》懷《なつ》かしと思《おも》ふ一|念《ねん》に、眼《め》も放《はな》たず讀《よ》んでゆく内《うち》、忽《たちま》ち眼《め》に着《つ》いた一|段《だん》の記事《きじ》があつた。それは本紙《ほんし》第《だい》二|面《めん》の左《さ》の如《ごと》き雜報《ざつぽう》であつた。
◎櫻木豫備海軍大佐の行衞[#「櫻木豫備海軍大佐の行衞」に二重丸傍点]==讀者《どくしや》は記臆《きおく》せらる可《べ》し、先年《せんねん》一|種《しゆ》の強力《きやうりよく》なる爆發藥《ばくはつやく》を發明《はつめい》し、つゞいて浮標水雷《ふへうすゐらい》、花環榴彈等《くわくわんりうだんとう》二三の軍器《ぐんき》に有功《いうこう》なる改良《かいりよう》を施《ほどこ》したるを以《もつ》て、海軍部内《かいぐんぶない》に其人《そのひと》ありと知《し》られたる豫備海軍大佐櫻木重雄氏《よびかいぐんたいささぐらぎしげをし》は一|昨年《さくねん》英國《エイこく》に遊《あそ》び歸朝《きてう》以來《いらい》深《ふか》く企《くわだ》つる所《ところ》あり、驚《おどろ》く可《べ》き軍事上《ぐんじじやう》の大發明《だいはつめい》をなして、我國々防上《わがくにこくぼうじやう》に貢獻《こうけん》する處《ところ》あらんと、兼《かね》て工夫《くふう》慘憺《さんたん》の由《よし》仄《ほのか》に耳《みゝ》にせしが、此度《このたび》いよ/\機《き》熟《じゆく》しけん、或《あるひ》は他《た》に慮《おもんぱか》る處《ところ》ありてにや、本月《ほんげつ》初旬《しよじゆん》横濱《よこはま》の某《ぼう》商船會社《しやうせんくわいしや》より浪《なみ》の江丸《えまる》といへる一|大《だい》帆走船《ほまへせん》を購《あがな》ひ、密《ひそ》かに糧食《りようしよく》、石炭《せきたん》、氣發油《きはつゆう》、※[#「渦」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、46−5]卷蝋《くわけんらう》、鋼索《こうさく》、化學用《くわがくよう》の諸《しよ》劇藥《げきやく》、其他《そのほか》世人《せじん》の到底《たうてい》豫想《よさう》し難《がた》き幾多《いくた》の材料《ざいりよう》を蒐集中《しうしふちう》なりしが、何時《いつ》とも吾人《われら》の氣付《きづ》かぬ間《ま》に其《その》姿《すがた》を隱《かく》しぬ。櫻木大佐《さくらぎたいさ》が其《その》姿《すがた》を隱《かく》すと共《とも》にかの帆走船《ほまへせん》も其《その》停泊港《ていはくかう》に在《あ》らずなり、併《あは》せて大佐《たいさ》が年來《ねんらい》の部下《ぶか》として神《かみ》の如《ごと》く親《おや》の如《ごと》くに氏《し》に服從《ふくじゆう》せる三十七|名《めい》の水兵《すゐへい》も其《その》姿《すがた》を失《うしな》ひたりといへば、想《おも》ふに大佐《たいさ》は暗夜《あんや》に乘《じよう》じて、竊《ひそ》かに其《その》部下《ぶか》を引連《ひきつ》れ本邦《ほんぽう》をば立去《たちさ》りしものならん、此事《このこと》は海軍部内《かいぐんぶない》に於《おい》ても極《きは》めて秘密《ひみつ》とする處《ところ》にして、何人《なんぴと》も其《その》行衞《ゆくえ》を知《し》る者《もの》なし、只《たゞ》心當《こゝろあた》りとも云《い》ふ可《べ》きは、昨夕《さくゆう》横濱《よこはま》に入港《にふかう》せし英國《エイこく》の某《ぼう》郵船《ゆうせん》は四五|日《にち》前《ぜん》の夜半《やはん》、北《きた》ボル子ヲ[#「ボル子ヲ」に二重傍線]島《たう》附近《ふきん》にて日本《につぽん》の國旗《こくき》を掲《かゝ》げし一|大《だい》帆走船《ほまへせん》を認《みと》めし由《よし》にて、其《その》船《ふね》の形状等《けいじようとう》恰《あだか》も大佐《たいさ》の帆走船《ほまへせん》に似寄《によ》りたる處《ところ》あれば、氏《し》は其《その》航路《かうろ》を取《と》りて支那海《シナかい》を※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、47−3]《す》ぎ印度洋《インドやう》の方面《はうめん》に進《すゝ》みしにあらずやとの疑《うたがひ》あり、元《もと》より氏《し》が今回《こんくわい》の企圖《くわだて》は秘中《ひちう》の秘事《ひじ》にして、到底《たうてい》測知《そくち》し得《う》可《べ》きにあらざれども、兎《と》にも角《かく》にも非凡《ひぼん》の智能《ちのう》と遠大《えんだい》の目的《もくてき》とを有《いう》する氏《し》の事《こと》なれば、何時《いつ》意外《いぐわい》の方面《はうめん》より意外《いぐわい》の大功績《だいこうせき》を齎《もた》らして再《ふたゝ》び吾人《ごじん》の眼前《がんぜん》に現《あら》はれ來《きた》るやも知《し》る可《べ》からず、刮目《くわつもく》して待《ま》つ可《べ》きなり。== 云々《うんぬん》。
何等《なにら》の關係《くわんけい》はなくとも、斯《か》かる記事《きじ》を讀《よ》んだ人《ひと》は多少《たせう》心《こゝろ》を動《うご》かすであらう。殊《こと》に私《わたくし》は櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》とは面識《めんしき》の間柄《あひだがら》で、數年《すねん》前《ぜん》の事《こと》、私《わたくし》がまだ今回《こんくわい》の漫遊《まんゆう》に上《のぼ》らぬ以前《いぜん》、ある夏《なつ》、北海道旅行《ほくかいだうりよかう》を企《くわだ》てた時《とき》、横濱《よこはま》から凾館《はこだて》へ赴《おもむ》く※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》の中《なか》で、圖《はか》らずも大佐《たいさ》と對面《たいめん》した事《こと》がある。其頃《そのころ》大佐《たいさ》は年輩《としごろ》三十二三、威風《ゐふう》凛々《りん/\》たる快男子《くわいだんし》で、其《その》眼光《がんくわう》の烱々《けい/\》たると、其《その》音聲《おんせい》の朗々《ろう/\》たるとは、如何《いか》にも有爲《いうゐ》の氣象《きしやう》と果斷《くわだん》の性質《せいしつ》に富《と》んで居《を》るかを想《おも》はしめた。其人《そのひと》今《いま》や新聞《しんぶん》の題目《だいもく》となつて世人《よのひと》の審《いぶか》る旅路《たびぢ》に志《こゝろざ》したといふ、其《その》行先《ゆくさき》は何地《いづこ》であらう、其《その》目的《もくてき》は何《なん》であらう。軍事上《ぐんじじやう》の大
前へ
次へ
全61ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
押川 春浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング