たか》く信號旗《しんがうき》が上《あが》つた。
心憎《こゝろに》くや、奇怪《きくわい》の船《ふね》は、晝間信號《ちうかんしんがう》を電燈《でんとう》の光《ひかり》に應用《おうよう》せんとするのである。
三|角《かく》、四|角《かく》、さま/″\の模樣《もやう》の信號旗《しんがうき》は風《かぜ》に動《うご》いて
「其《その》軍艦《ぐんかん》止《とゞ》まれ! 其《その》軍艦《ぐんかん》止《とゞ》まれ※[#感嘆符三つ、364−12]。」と示《しめ》す。
我《わが》日《ひ》の出《で》艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》は、一令《いちれい》を發《はつ》して滿艦《まんかん》に電光《でんくわう》を輝《かゞや》かした。
一|等《とう》信號兵《しんがうへい》は指揮《しき》の下《した》に信號檣下《しんがうしやうか》に立《た》つた。
「奇怪《きくわい》の船《ふね》! 汝《なんぢ》は何者《なにもの》ぞ。」と我《わ》が信號旗《しんがうき》上《あが》る。
ヒラ/\と動《うご》く彼方《かなた》の信號《しんがう》
「我《われ》こそは音《おと》に名高《なだか》き印度洋《インドやう》の大海賊船《だいかいぞくせん》なり、汝《なんぢ》の新造軍艦《しんざうぐんかん》を奪《うば》はんとて此處《こゝ》に待《ま》つこと久矣《ひさし》、速《すみやか》に白旗《はくき》を立《た》てゝ其《その》軍艦《ぐんかん》を引渡《ひきわた》さば可《よし》、若《も》し躊躇《ちうちよ》するに於《おい》ては、我《われ》に七|隻《せき》の堅艦《けんかん》あり、一撃《いちげき》の下《もと》に汝《なんぢ》の艦《ふね》を粉韲《ふんさい》すべきぞ。」と見《み》る/\内《うち》に長蛇《ちやうだ》の船列《せんれつ》は横形《わうけい》の列《れつ》に變《へん》じて、七|隻《せき》の海賊船《かいぞくせん》の甲板《かんぱん》には月光《げつくわう》に反射《はんしや》して、劍戟《けんげき》の晃《きらめ》くさへ見《み》ゆ、本艦《ほんかん》の士官《しくわん》水兵《すいへい》は一時《いちじ》に憤激《ふんげき》の眉《まゆ》を揚《あ》げた、中《なか》にも年少《ねんせう》士官等《しくわんら》は早《は》や軍刀《ぐんたう》[#ルビの「ぐんたう」は底本では「ぐくたう」]の※[#「革+巴」、365−11]《つか》を握《にぎ》り詰《つ》めて、艦長《かんちやう》の號令《がうれい》を待《ま》つ、舷門《げんもん》の邊《ほとり》、砲門《ほうもん》の邊《ほとり》、慓悍《へうかん》無双《ぶさう》の水兵等《すいへいら》は腕《うで》を摩《さす》つて居《を》る。濱島《はまじま》は冷然《れいぜん》と笑《わら》ひ、春枝夫人《はるえふじん》は默然《もくねん》とした。
我《わ》が勇《いさ》ましき武村兵曹《たけむらへいそう》は怒髮《どはつ》天空《てんくう》を衝《つ》き
『えい、ふざけたり/\、海賊《かいぞく》共《ども》、眼《め》に物《もの》見《み》せて呉《く》れんづ。』と矢庭《やには》に左舷《さげん》八|吋《インチ》速射砲《そくしやほう》の方《ほう》へ馳《は》せたが、忽《たちま》ち心付《こゝろづ》いた、夫《そ》れ海軍々律《かいぐんぐんりつ》は嚴《げん》として泰山《たいざん》の如《ごと》し、たとへ非凡《ひぼん》の手腕《しゆわん》ありとも艦員《かんゐん》ならぬものが砲《ほう》を動《うご》かし、銃《じう》を發《はな》つ事《こと》は出來《でき》ないのである。兵曹《へいそう》無念《むねん》の切齒《はがみ》をなし、
『えい、殘念《ざんねん》だ/\、此樣《こん》な時《とき》、本艦《ほんかん》の水兵《すいへい》が羨《うらや》ましい。』と叫《さけ》んだまゝ、空拳《くうけん》を振《ふ》つて本艦々頭《ほんかんかんとう》に仁王立《にわうだち》、轟大尉《とゞろきたいゐ》は虎髯《こぜん》逆立《さかだ》ち眦《まなじり》裂《さ》けて、右手《ゆんで》に握《にぎ》る十二|珊《サンチ》砲《ほう》の撃發機《げきはつき》は唯《た》だ艦長《かんちやう》の一令《いちれい》を待《ま》つばかり。
艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》は此時《このとき》ちつとも[#「ちつとも」に傍点]騷《さは》がず[#「騷《さは》がず」は底本では「騷《さは》がす」]、平然《へいぜん》として指揮《しき》する信號《しんがう》の言《ことば》、信號兵《しんがうへい》は命《めい》を奉《ほう》じて信號旗《しんがうき》を高《たか》く掲《かゝ》げた。
「愚《おろか》なり、海賊《かいぞく》! 我《わが》縱帆架《ガーフ》に飜《ひるがへ》る大日本帝國軍艦旗《だいにつぽんていこくぐんかんき》を見《み》ずや。」と。忽《たちま》ち海蛇丸《かいだまる》滿船《まんせん》の電燈《でんとう》はパツと消《き》えた。同時《どうじ》に七|隻《せき》の海賊船《かいぞくせん》は黒煙《こくゑん》團々《だん/\》、怒濤《どとう》を蹴《け》つて此方《こなた》に猛進《まうしん》し來《きた》る。轟然《ごうぜん》一發《いつぱつ》の彈丸《だんぐわん》は悲鳴《ひめい》をあげて、我《わ》が前檣《ぜんしやう》を掠《かす》め去《さ》つた。大佐《たいさ》一顧《いつこ》軍刀《ぐんたう》の鞘《さや》を拂《はら》つて、屹《きつ》と屹立《つゝた》つ司令塔上《しれいたうじやう》、一|令《れい》忽《たちま》ち高《たか》く、本艦々上《ほんかんかんじやう》戰鬪喇叭《せんとうらつぱ》鳴《な》る、士官《しくわん》の肩章《けんしやう》閃《きら》めく、水兵《すいへい》其《その》配置《はいち》に就《つ》く、此時《このとき》、既《すで》に早《はや》し、既《すで》に遲《おそ》し、海賊船《かいぞくせん》から打出《うちだ》す彈丸《だんぐわん》は雨《あめ》か、霰《あられ》か。本艦《ほんかん》之《これ》に應《おう》じて先《ま》づ手始《てはじめ》には八|吋《インチ》速射砲《そくしやほう》つゞいて打出《うちだ》す機關砲《きくわんほう》。月《つき》は慘《さん》たり、月下《げつか》の海上《かいじやう》に砲火《ほうくわ》迸《とばし》り、硝煙《せうゑん》朦朧《もうらう》と立昇《たちのぼ》る光景《くわうけい》は、昔《むかし》がたりのタラント[#「タラント」に二重傍線]灣《わん》の夜戰《やせん》もかくやと想《おも》はるゝばかり。士官《しくわん》水兵《すいへい》の勇《いさ》ましき働《はたら》きぶりは言《い》ふ迄《まで》もない。よし戰鬪員《せんとうゐん》にあらずとも如何《いか》でか手《て》を拱《こまぬ》いて居《を》らるべきぞと、濱島《はまじま》も、私《わたくし》も、重《おも》き上衣《うわぎ》を跳《は》ね脱《の》けて、彈丸《だんぐわん》硝藥《せうやく》を運《はこ》ぶに急《いそが》はしく。武村兵曹《たけむらへいそう》は大軍刀《おほだち》ブン/\と振《ふ》り廻《まわ》し海賊船《かいぞくせん》若《も》し近寄《ちかよ》らば吾《われ》から其《その》甲板《かんぱん》に飛移《とびうつ》らんばかりの勢《いきほ》ひ。春枝夫人《はるえふじん》の嬋娟《せんけん》たる姿《すがた》は喩《たと》へば電雷《でんらい》風雨《ふうう》の空《そら》に櫻花《わうくわ》一瓣《いちべん》のひら/\と舞《ま》ふが如《ごと》く、一兵《いつぺい》時《とき》に傷《きづゝ》き倒《たを》れたるを介抱《かいほう》せんとて、優《やさ》しく抱《いだ》き上《あ》げたる彼女《かのぢよ》の雪《ゆき》の腕《かひな》には、帝國軍人《ていこくぐんじん》の鮮血《せんけつ》の滾々《こん/\》と迸《とばし》りかゝるのも見《み》えた。
海戰《かいせん》は午前《ごぜん》二|時《じ》三十|分《ぷん》に始《はじま》つて、東雲《しのゝめ》の頃《ころ》まで終《をは》らなかつた。此方《こなた》は忠勇《ちうゆう》義烈《ぎれつ》の日本軍艦《につぽんぐんかん》なり、敵《てき》は世界《せかい》に隱《かく》れなき印度洋《インドやう》の大海賊《だいかいぞく》。海賊船《かいぞくせん》は此時《このとき》砲戰《ほうせん》もどかしとや思《おも》ひけん、中《なか》にも目立《めだ》つ三隻《さんせき》四隻《しせき》は一度《いちど》に船首《せんしゆ》を揃《そろ》へて、疾風《しつぷう》迅雷《じんらい》と突喚《とつくわん》し來《きた》る、劍戟《けんげき》の光《ひかり》晃《きらめ》く其《その》甲板《かんぱん》には、衝突《しやうとつ》と共《とも》に本艦《ほんかん》に乘移《のりうつ》らんず海賊《かいぞく》共《ども》の身構《みがまへ》。えい、ものものしや、我《わ》が神聖《しんせい》なる甲板《かんぱん》は、如何《いか》でか汝等《なんぢら》如《ごと》き汚《けが》れたる海賊《かいぞく》の血汐《ちしほ》に染《そ》むべきぞ。と我《わ》が艦《かん》ます/\奮《ふる》ふ。硝煙《せうゑん》は暗《くら》く海《うみ》を蔽《おほ》ひ、萬雷《ばんらい》一時《いちじ》に落《お》つるに異《ことな》らず。艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》の號令《がうれい》はいよ/\澄渡《すみわた》つて司令塔《しれいたふ》に高《たか》く、舵樓《だらう》には神變《しんぺん》[#ルビの「しんぺん」は底本では「しんぺ」]不可思議《ふかしぎ》の手腕《しゆわん》あり。二千八百|噸《とん》の巡洋艦《じゆんやうかん》操縱《さうじゆう》自在《じざい》。敵船《てきせん》右《みぎ》より襲《おそ》へば右舷《うげん》の速射砲《そくしやほう》之《これ》を追《お》ひ、賊船《ぞくせん》左《ひだり》より來《きた》れば左舷《さげん》の機關砲《きくわんほう》之《これ》を撃《う》つ。追《お》へども撃《う》てども敵《てき》も強者《さるもの》、再《ふたゝ》び寄《よ》する七隻《しちせき》の堅艦《けんかん》、怒濤《どたう》は逆卷《さかま》き、風《かぜ》荒《あ》れて、血汐《ちしほ》に染《そ》みたる海賊《かいぞく》の旗風《はたかぜ》いよ/\鋭《するど》く、猛《たけ》く、此《この》戰《たゝかひ》何時《いつ》果《は》つ可《べ》しとも覺《おぼ》えざりし時《とき》。忽《たちま》ち見《み》る! 東雲《しのゝめ》の、遙《はる》か/\の海上《かいじやう》より、水煙《すいゑん》を揚《あ》げ、怒濤《どとう》を蹴《け》つて、驀直《まつしぐら》に駛《か》け來《く》る一艘《いつそう》の長艇《ちやうてい》あり、やゝ近《ちか》づいて見《み》ると、其《その》艇尾《ていび》には、曉風《げふふう》に飜《ひるがへ》る帝國軍艦旗《ていこくぐんかんき》! 見《み》るより、私《わたくし》は右舷《うげん》から左舷《さげん》に躍《をど》つて
『大佐《たいさ》來《きた》! 大佐《たいさ》來《きた》る! 櫻木大佐《さくらぎたいさ》の電光艇《でんくわうてい》來《きた》る※[#感嘆符三つ、369−12]。』と叫《さけ》ぶ響《ひゞき》は砲聲《ほうせい》の絶間《たえま》、全艦《ぜんかん》に鳴《な》り渡《わた》ると、軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の士官《しくわん》水兵《すいへい》一時《いちじ》に動搖《どよ》めき。此時《このとき》艦頭《かんとう》に立《た》てる武村兵曹《たけむらへいそう》は、右鬢《うびん》に微傷《びしやう》を受《う》けて、流《なが》るゝ血汐《ちしほ》の兩眼《りようがん》に入《い》るを、拳《こぶし》に拂《はら》つて、キツと見渡《みわた》す海《うみ》の面《おも》、電光《でんくわう》の如《ごと》く近《ちか》づき來《きた》つた海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》は、本艦《ほんかん》を去《さ》る事《こと》約《やく》一千米突《いつせんメートル》――忽然《こつぜん》波間《はかん》に沈《しづ》んだと思《おも》ふ間《ま》も疾《と》しや遲《おそ》しや、唯《たゞ》見《み》る本艦《ほんかん》前方《ぜんぽう》の海上《かいじやう》、忽《たちま》ち起《おこ》る大叫喚《だいけうくわん》。瞻《なが》むれば一|隻《せき》の海賊船《かいぞくせん》は轟然《ごうぜん》たる響《ひゞき》諸共《もろとも》に、船底《せんてい》微塵《みぢん》に碎《くだ》け、潮煙《てうゑん》飛《と》んで千尋《ちひろ》の波底《はてい》に沈
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