男《をとこ》、三|年《ねん》の在學中《ざいがくちう》、常《つね》に分隊《ぶんたい》の第《だい》一|番《ばん》漕手《さうしゆ》として、漕力《さうりよく》天下無比《てんかむひ》と云《い》はれた腕前《うでまへ》。
『そら來《こ》い!。』とばかり、ヒタ[#「ヒタ」に傍点]と武村兵曹《たけむらへいそう》の所謂《いはゆる》出刄庖丁《でばほうちやう》の入《はい》つて居《を》る脛《すね》に己《おの》が鐵《てつ》の脛《すね》を合《あは》せて、双方《さうほう》眞赤《まつか》になつてエンヤ/\と押合《おしあ》つたが勝負《しようぶ》が付《つ》かない、甲板《かんぱん》の一同《いちどう》は面白《おもしろ》がつてヤンヤ/\と騷《さわ》ぐ
『もう廢《よ》せ/\、足《あし》が折《を》れるぞ/\。』と虎髯大尉《こぜんたいゐ》は二人《ふたり》の周圍《めぐり》をぐる/\廻《まは》つて、結局《とう/\》引分《ひきわけ》になつた。
艦橋《かんけう》よりは艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》、例《れい》によつて例《れい》の如《ごと》く鼻髯《びぜん》を捻《ひね》りつゝ、微笑《びせう》を浮《うか》べて眺《なが》めて居《を》つた。

    第三十回 月夜《げつや》の大海戰《だいかいせん》
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印度國コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]の港――滿艦の電光――戰鬪喇叭――惡魔印の海賊旗――大軍刀をブン/\と振廻した――大佐來! 電光艇來! 朝日輝く印度洋
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 かくて、軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」は、其《その》翌々晩《よく/\ばん》は豫定通《よていどう》りに、印度大陸《インドたいりく》の西岸《せいがん》コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]の港《みなと》に寄港《きかう》して、艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》と、私《わたくし》と、武村兵曹《たけむらへいそう》とは、椰子《やし》や芭蕉《ばせう》の林《はやし》は低《ひく》く海岸《かいがん》を蔽《おほ》ひ、波止塲《はとば》のほとりから段々《だん/″\》と高《たか》く、電燈《でんとう》の光《ひかり》は白晝《まひる》を欺《あざむ》かんばかりなる市街《しがい》に上陸《じやうりく》して、竊《ひそ》かに櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》より委任《ゐにん》を受《う》けたる、電光艇《でんくわうてい》用《よう》の秘密藥品《ひみつやくひん》を買整《かひとゝの》へ、十二の樽《たる》に密封《みつぷう》して、今《いま》は特更《ことさら》に船《ふね》を艤裝《ぎさう》する必要《ひつえう》もなく、直《たゞ》ちに軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」に搭載《たふさい》して、同時《どうじ》に暗號電報《あんがうでんぽう》をもつて、松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》は本國《ほんごく》政府《せいふ》よりの許可《きよか》を受《う》け、來《きた》る二十五|日《にち》拂曉《ふつげう》に海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》と相《あひ》會《あ》ふ可《べ》き筈《はづ》の橄欖島《かんらんたう》の方向《ほうかう》を指《さ》して進航《しんかう》した。
コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]港《かう》から橄欖島《かんらんたう》まで大約《おほよそ》一千五百|海里《かいり》。明《あ》[#ルビの「あ」は底本では「あけ」]けては、日《ひ》麗《うら》らかなる甲板《かんぱん》に、帝國軍艦旗《ていこくぐんかんき》翩飜《へんぽん》たるを仰《あほ》ぎ見《み》ては、日《ひ》ならず智勇《ちゆう》兼備《けんび》の兩《りよう》海軍大佐《かいぐんたいさ》が新《あたら》しき軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」と、新《あたら》しき電光艇《でんくわうてい》との甲板《かんぱん》にて、波《なみ》を距《へだ》てゝ相《あひ》會《くわい》し、それより二隻《にせき》[#ルビの「にせき」は底本では「たせき」]相《あひ》並《なら》んで、海原《うなばら》遠《とう》く幾千里《いくせんり》、頓《やが》て、芙蓉《ふえう》の峯《みね》の朝日《あさひ》影《かげ》を望《のぞ》み見《み》る迄《まで》の、壯快《さうくわい》なる想像《さうぞう》を胸《むね》に描《えが》き、暮《く》れては、海風《かいふう》穩《おだや》かなる艦橋《かんけう》のほとり、濱島武文《はまじまたけぶみ》や春枝夫人等《はるえふじんら》と相《あひ》語《かた》つて、日出雄少年《ひでをせうねん》の愛《あい》らしき姿《すがた》を待兼《まちか》ねつゝ。四晝夜《しちうや》の航海《かうかい》は恙《つゝが》なく※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、361−1]《す》ぎて、右舷《うげん》左舷《さげん》に寄《よ》せては返《かへ》す波《なみ》の音《おと》と共《とも》に、刻一刻《こくいつこく》に近《ちか》づき來《きた》る喜劇《きげき》に向《むか》つて、橄欖島《かんらんたう》と覺《お》ぼしき島影《しまかげ》を、雲煙《うんゑん》渺茫《べうぼう》たる邊《へん》に認《みと》めたのは、日《ひ》は二|月《ぐわつ》の二十五|日《にち》、刻《こく》は萬籟《ばんらい》寂《せき》たる午前《ごぜん》の二|時《じ》と三|時《じ》との間《あひだ》。下弦《げゞん》の月《つき》は皓々《かう/\》と冴《さ》え渡《わた》りて、金蛇《きんだ》走《はし》らす浪《なみ》の上《うへ》には、たゞ本艦《ほんかん》の蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]機關《じようききくわん》の響《ひゞき》のみぞ悽《すさ》まじかつた。
軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の艦中《かんちう》には一人《ひとり》も眠《ね》むる者《もの》は無《な》かつた。艦橋《かんけう》には艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》をはじめとし、一團《いちだん》の將校《しやうかう》は月《つき》に燦爛《さんらん》たる肩章《けんしやう》に波《なみ》を打《う》たせて、隻手《せきし》に握《にぎ》る双眼鏡《さうがんきやう》は絶《た》えず海上《かいじやう》を眺《なが》めて居《を》る。甲板《かんぱん》の其處此處《そここゝ》には水兵《すいへい》の一群《いちぐん》二群《にぐん》、ひそ/\と語《かた》るもあり、樂《たの》し氣《げ》に笑《わら》ふもあり。武村兵曹《たけむらへいそう》は兩眼《りやうがん》をまん丸《まる》にして
『サア、いよ/\橄欖島《かんらんたう》も近《ちか》づいて來《き》たぞ。大佐閣下《たいさかくか》の海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》はすでにあの島影《しまかげ》に來《き》て居《を》るであらうか、それとも未《ま》だ朝日島《あさひじま》を出發《しゆつぱつ》せぬのかしら、えい、待遠《まちどう》や/\。』と、手《て》の舞《ま》ひ、足《あし》の踏《ふ》む處《ところ》も知《し》らぬ有樣《ありさま》。濱島武文《はまじまたけぶみ》は艦尾《かんび》の巨砲《きよほう》に凭《もた》れて悠々《いう/\》と美髯《びぜん》を捻《ひね》りつゝ。春枝夫人《はるえふじん》の笑顏《えがほ》は天女《てんによ》の美《うる》はしきよりも美《うる》はしく、仰《あほ》ぐ御空《みそら》には行《ゆ》く雲《くも》も歩《あゆみ》をとゞめ、浪《なみ》に鳴《な》く鳥《とり》も吾等《われら》を讃美《さんび》するかと疑《うたが》はるゝ。此《この》快絶《くわいぜつ》の時《とき》、忽《たちま》ち舷門《げんもん》のほとりに尋常《たゞ》ならぬ警戒《けいかい》の聲《こゑ》が聽《きこ》えた。艦中《かんちう》の一同《いちどう》はヒタと鳴《なり》を靜《しづ》めたのである。只《たゞ》見《み》る本艦《ほんかん》を去《さ》る事《こと》三海里《さんかいり》餘《よ》、橄欖島《かんらんたう》と覺《おぼ》しき島《しま》の北方《ほつぽう》に當《あた》つて、毒龍《どくりよう》蟠《わだかま》るが如《ごと》き二個《にこ》の島嶼《たうしよ》がある。其《その》島陰《しまかげ》から忽然《こつぜん》として一點《いつてん》の光《ひかり》が[#「光《ひかり》が」は底本では「光《ひかり》か」]ピカリツ。つゞいて一點《いつてん》又《また》一點《いつてん》、都合《つがふ》七隻《しちせき》の奇怪《きくわい》なる船《ふね》は前檣《ぜんしやう》高《たか》く球燈《きゆうとう》を掲《かゝ》げて、長蛇《ちやうだ》の列《れつ》をなして現《あら》はれて來《き》た。月《つき》は隈《くま》ない、其《その》眞先《まつさき》に黒烟《こくゑん》を吐《は》いて進《すゝ》んで來《く》るのは、二本《にほん》烟筒《ゑんとう》に二本《にほん》檣《マスト》! 見忘《みわす》れもせぬ四|年《ねん》前《まへ》のそれ※[#感嘆符三つ、362−11]
『海蛇丸《かいだまる》來《きたる》! 海蛇丸《かいだまる》來《きたる》!。』と私《わたくし》が絶叫《ぜつけう》した時《とき》、虎髯大尉《こぜんたいゐ》は身《み》を翻《ひるが》へして戰鬪樓《せんとうらう》の方《かた》へ走《はし》り去《さ》つた。
唯《たゞ》見《み》る、海蛇丸《かいだまる》の船首《せんしゆ》よりは、閃々《せん/\》と流《なが》るゝ流星《りうせい》の如《ごと》き爆發信號《ばくはつしんがう》が揚《あが》つた、此《この》信號《しんがう》は他船《たせん》の注意《ちうゐ》を喚起《くわんき》する夜間信號《やかんしんがう》、彼《か》[#ルビの「か」は底本では「が」]れ大膽不敵《だいたんふてき》なる海賊船《かいぞくせん》は、今《いま》や何故《なにゆゑ》か其《その》信號《しんがう》を揚《あ》げて、我《わ》が帝國軍艦《ていこくぐんかん》の視線《しせん》を惹《ひ》かんとして居《を》るのである。
我《わ》が艦上《かんじやう》の視線《しせん》は果《はた》して一同《いちどう》其《その》方《ほう》へ向《むか》つた。
一度《ひとたび》戰鬪樓《せんとうらう》の方《ほう》へ走《はし》り去《さ》つた虎髯大尉《こぜんたいゐ》は此時《このとき》再《ふたゝ》び私《わたくし》の傍《そば》へ歸《かへ》つて來《き》たが大聲《おほごゑ》に
『奇怪《きくわい》な船《ふね》! 奇怪《きくわい》な船《ふね》! あの船《ふね》は我《わが》軍艦《ぐんかん》に向《むか》つて、何《なに》か信號《しんがう》を試《こゝろ》みんとして居《を》る。』と叫《さけ》んだ。實《じつ》に前後《ぜんご》の形勢《けいせい》と、かの七|隻《せき》の船《ふね》の有樣《ありさま》とで見《み》ると、今《いま》や海蛇丸《かいだまる》は明《あきらか》に何事《なにごと》をか我《わが》軍艦《ぐんかん》に向《むか》つて信號《しんがう》を試《こゝろ》みる積《つもり》だらう。けれど私《わたくし》は審《いぶ》かつた。今日《こんにち》世界《せかい》の海上《かいじやう》に於《おい》ては、晝間《ちゆうかん》の萬國信號《ばんこくしんがう》はあるが、夜間信號《やかんしんがう》は、各國《かくこく》の海軍《かいぐん》に於《おい》て、各自《めい/\》に秘密《ひみつ》なる信號《しんがう》を有《いう》する他《ほか》、難破信號《なんぱしんがう》とか、今《いま》海蛇丸《かいだまる》の揚《あ》げた爆發信號《ばくはつしんがう》のやうな、極《きは》めて重大《ぢゆうだい》なるまた單純《たんじゆん》なるものを除《のぞ》いては、萬國《ばんこく》共通《けうつう》のものは無《な》いのである。然《さ》れば奇怪《きくわい》の船《ふね》、我《われ》に信號《しんがう》を試《こゝろ》みんとならば、果《はた》して如何《いか》なる手段《しゆだん》をか取《と》ると瞻《なが》めて居《を》ると、忽《たちま》ち見《み》る、海蛇丸《かいだまる》の、檣上《しやうじやう》、檣下《しやうげ》、船首《せんしゆ》、船尾《せんび》、右舷《うげん》、左舷《さげん》に閃々《せん/\》たる電燈《でんとう》輝《かゞや》き出《い》でゝ、滿船《まんせん》を照《てら》す其《その》光《ひかり》は白晝《はくちう》を欺《あざむ》かんばかり、其《その》光《ひかり》の下《した》に一個《いつこ》の異樣《ゐやう》なる人影《ひとかげ》現《あら》はれて、忽《たちま》ち檣桁《しやうかう》高《
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