くらぎかいぐんたいさ》との奇遇《きぐう》。鐵《てつ》の響《ひゞき》と屏風岩《べうぶいわ》の奇異《きゐ》。猛犬稻妻《まうけんいなづま》の世《よ》にも稀《まれ》なる犬《いぬ》なる事《こと》。大佐《たいさ》や少年《せうねん》や其他《そのほか》三十|有餘名《いうよめい》の水兵等《すいへいら》が趣味《しゆみ》ある日常《にちじやう》の生活《せいくわつ》のさま/″\、晨《あした》には星《ほし》を戴《いたゞ》いて起《お》き、夕《ゆふべ》には月《つき》を踏《ふ》んで歸《かへ》る、其《その》職務《しよくむ》の餘暇《よか》には、睦《むつ》まじき茶話會《ちやわくわい》、面白《おもしろ》き端艇競漕《たんていきようそう》、野球競技等《やきゆうきようぎとう》の物語《ものがたり》は、如何《いか》に彼等《かれら》を驚《おどろ》かしめ笑《わら》はしめ樂《たの》しましめたらう。特《こと》に朝日島《あさひじま》紀念塔《きねんたふ》設立《せつりつ》の顛末《てんまつ》――あの異樣《ゐやう》なる自動冐險車《じどうぼうけんしや》が、縱横無盡《じうわうむじん》に[#「縱横無盡《じうわうむじん》に」は底本では「樅横無盡《じうわうむじん》に」]、深山《しんざん》大澤《たいたく》の間《あひだ》を猛進《まうしん》したる其時《そのとき》の活劇《くわつげき》。猛獸《まうじう》毒蛇《どくじや》との大奮鬪《だいふんとう》。武村兵曹《たけむらへいそう》の片足《かたあし》の危《あぶ》なかつた事《こと》。好奇心《かうきしん》から砂《すな》すべりの谷《たに》へ顛落《てんらく》して、九死一生《きうしいつしやう》になつた事《こと》。日出雄少年《ひでをせうねん》と猛犬稻妻《まうけんいなづま》との別《わか》れの一段《いちだん》。禿頭山《はげやま》の彼方《かなた》から、大輕氣球《だいけいききゆう》がふうら/\と舞《ま》ひ降《くだ》つて來《き》た事《こと》。さては、紀元節《きげんせつ》の當日《たうじつ》の盛《さかん》なる光景《くわうけい》、つゞいて、電光艇《でんくわうてい》試運轉式《しうんてんしき》の夜《よ》の大異變《だいゐへん》から、今回《こんくわい》の使命《しめい》に立到《たちいた》つた迄《まで》の奇譚《きだん》は、始終《しじう》彼等《かれら》をヤンヤ[#「ヤンヤ」に傍点]と言《い》はせて、吾等《われら》孤島《こたう》の生活中《せいくわつちう》は、いつも滑※[#「(禾+尤)/上/日」、353−5]《こつけい》と失策《しつさく》との本家本元《ほんけほんもと》で――今《いま》は私《わたくし》の傍《そば》に、威勢《ゐせい》よく話《はなし》の相槌《あひづち》を打《う》つて居《を》る武村兵曹《たけむらへいそう》は、幾度《いくたび》か軍艦《ぐんかん》日《ひ》の出《で》の水兵等《すいへいら》に、背中《せなか》叩《たゝ》かれ、手《て》を叩《たゝ》かれて、艦中《かんちう》第一《だいいち》の愛敬者《あいけふもの》とはなつた。
武村兵曹《たけむらへいそう》は今《いま》は私《わたくし》と同《おな》じやうに、此《この》軍艦《ぐんかん》の賓客《ひんきやく》ではあるが、彼《かれ》は軍艦《ふね》を家《いへ》とする水兵《すいへい》の身《み》――水兵《すいへい》の中《うち》にも氣象《きしやう》勝《すぐ》れ、特《こと》に砲術《ほうじゆつ》、航海術《かうかいじゆつ》には際立《きはだ》つて巧妙《たくみ》な男《をとこ》なので、かく軍艦《ぐんかん》に乘組《のりく》んでは一刻《いつこく》も默念《じつ》とはして居《を》られぬ、かつは艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》を始《はじ》め軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の全員《ぜんゐん》が、自分《じぶん》の最《もつと》も敬愛《けいあい》する櫻木大佐《さくらぎたいさ》のために誠心《まごゝろ》から盡力《じんりよく》して呉《く》れるのが、心《こゝろ》から※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しく、難有《ありがた》く、せめて報恩《ほうおん》の萬分《まんぶん》の一《いち》には、此《この》軍艦《ぐんかん》の水兵等《すいへいら》と同《おな》じ樣《やう》に働《はたら》きたいと、頻《しき》りに心《こゝろ》を焦立《いらだ》てたが、海軍《かいぐん》の軍律《ぐんりつ》は嚴《げん》として動《うご》かす可《べ》からず、本艦《ほんかん》在役《ざいえき》の軍人《ぐんじん》ならねば檣樓《しやうらう》に昇《のぼ》る事《こと》も叶《かな》はず、機關室《きくわんしつ》に働《はたら》く事《こと》も能《あた》はず、詮方無《せんかたな》きまゝ、立《た》つて見《み》つ、居《ゐ》て見《み》つ、艦首《かんしゆ》から縹渺《へうべう》たる太洋《たいやう》の波濤《なみ》を眺《なが》めたり、「ブルワーク」の邊《ほとり》から縱帆架《ガーフ》に飜《ひるがへ》る帝國軍艦旗《ていこくぐんかんき》を仰《あほ》いで見《み》たり、機關砲《きくわんほう》を覗《のぞ》いて見《み》たり、果《は》ては無聊《ぶれう》に堪《た》え兼《か》ねて頻《しき》りに腕《うで》をさすつて居《ゐ》たが、其内《そのうち》に夕刻《ゆふこく》にもなると、此《この》時刻《じこく》は航海中《かうかいちう》、軍艦乘組員《ぐんかんのりくみゐん》の最《もつと》も樂《たの》しき時《とき》、公務《こうむ》の餘暇《よか》ある夥多《あまた》の士官《しくわん》水兵《すいへい》は、空《そら》高《たか》く、浪《なみ》青《あを》き後部甲板《こうぶかんぱん》に集《あつま》つて、最《もつと》も自由《じゆう》に、最《もつと》も快活《くわいくわつ》に、詩《し》を吟《ぎん》ずるもある、劍《けん》を舞《ま》はすもある。武村兵曹《たけむらへいそう》も其《その》仲間《なかま》に入《い》つて、頻《しき》りに愉快《ゆくわい》だ/\と騷《さは》いで居《を》つたが、何時《いつ》何處《どこ》から聞知《きゝつけ》たものか、例《れい》の轟大尉《とゞろきたいゐ》の虎髯《とらひげ》はぬつ[#「ぬつ」に傍点]と進《すゝ》み出《で》て
『これ、武村兵曹《たけむらへいそう》、足下《おまへ》はなか/\薩摩琵琶《さつまびは》が巧《うま》い相《さう》な、一曲《いつきよく》やらんか、やる! よし來《き》た。』と傍《かたはら》の水兵《すいへい》に命《めい》じて、自分《じぶん》兼《かね》て御持參《ごぢさん》の琵琶《びは》を取寄《とりよ》せた。年少《ねんせう》士官《しくわん》、老功《らうこう》水兵等《すいへいら》は『これは面白《おもしろ》い。』と十五|珊《サンチ》速射砲《そくしやほう》のほとり、後部艦橋《こうぶかんけう》の下《もと》に耳《みゝ》を濟《す》ます、兵曹《へいそう》、此處《こゝ》ぞと琵琶《びは》おつ取《と》り、翩飜《へんぽん》と飄《ひるがへ》る艦尾《かんび》帝國軍艦旗《ていこくぐんかんき》の下《した》に膝《ひざ》を組《く》んで、シヤシヤン、シヤラ/\と彈《ひ》き出《だ》す琵琶《びは》の曲《きよく》、聲《こゑ》張上《はりあ》げて
「雲《くも》に聳《そび》ゆる高山《たかやま》も。登《のぼ》らばなどか越《こ》へざらむ。空《そら》をひたせる海原《うなばら》も。渡《わた》らば終《つひ》に渡《わた》るべし。我《わが》蜻蛉洲《あきつしま》は茜《あかね》さす。東《ひがし》の海《うみ》の離《はな》れ島《じま》。例《たと》へば海《うみ》の只中《たゞなか》に。浮《うか》べる船《ふね》にさも似《に》たり――。」と、高《たか》き調《しらべ》は荒鷲《あらわし》の、風《かぜ》を搏《たゝ》いて飛《と》ぶごとく、低《ひく》き調《しらべ》は溪水《たにみづ》の、岩《いは》に堰《せ》かれて泣《な》く如《ごと》く、檣頭《しやうとう》を走《はし》る印度洋《インドやう》の風《かぜ》、舷《げん》に碎《くだ》くる波《なみ》の音《おと》に和《わ》して、本艦々上《ほんかんかんじやう》、暫時《しばし》は鳴《なり》も止《や》まなかつた。
琵琶《びは》の調《しら》べが終《をは》ると、虎髯大尉《こぜんたいゐ》は忽《たちま》ち大拍手《だいはくしゆ》をした。
『うまい/\、本物《ほんもの》ぢや、よし、よし、あんまり安賣《やすうり》をすな。』とばかり身《み》を跳《をど》らして
『兵曹《へいそう》、どうぢや一番《いちばん》腕押《うでおし》は――。』と鐵《てつ》の樣《やう》な腕《うで》を突出《つきだ》した。虎髯大尉《こぜんたいゐ》の腕押《うでおし》と來《き》たら有名《いうめい》なものである。けれど武村兵曹《たけむらへいそう》はちつとも[#「ちつとも」に傍点]知《し》らない、自分《じぶん》も大《だい》の力自慢《ちからじまん》。
『よろしい、參《まい》りませう。』と琵琶《びは》投《な》げ捨《す》てゝ、一番《いちばん》鬪《たゝか》つたが、忽《たちま》ちウンと捩《ねぢ》り倒《たを》された。
『弱《よは》いなア。』と大尉《たいゐ》は大《おほい》に笑《わら》ふ。
『ど、ど、如何《どう》したんだらう、こ、此《この》武村《たけむら》をお負《ま》かしなすつたな、『どれもう一番《いちばん》――。』と鬪《たゝか》つたが、また負《まけ》た。
『こんな筈《はづ》ではないのだが。』と腕《うで》を摩《さす》つて見《み》たが、迚《とて》も叶《かな》ひ相《さう》もない。きよろ[#「きよろ」に傍点]/\しながら四方《しほう》を見廻《みま》はすと、「日《ひ》の出《で》」の士官《しくわん》水兵等《すいへいら》はくす[#「くす」に傍点]/\笑《わら》つて居《を》る、濱島武文《はまじまたけぶみ》はから[#「から」に傍点]/\笑《わら》つて居《を》る、春枝夫人《はるえふじん》は手巾《ハンカチーフ》の影《かげ》からそつと[#「そつと」に傍点]笑《わら》つて居《を》る。
『殘念《ざんねん》だな、よし。』と武村兵曹《たけむらへいそう》は忽《たちま》ち毛脛《けずね》を突出《つきだ》した。
『大尉閣下《たいゐかくか》、御禮《おれい》に一番《いちばん》脛押《すねおし》と參《まい》りませう。』
『脛押《すねおし》か。』と轟大尉《とゞろきたいゐ》は顏《かほ》を顰《しか》めたが、負《ま》けぬ氣《き》の大尉《たいゐ》、何程《なにほど》の事《こと》やあらんと同《おな》じく毛脛《けずね》を現《あら》はして、一押《ひとおし》押《お》したが、『あ痛《い》た、たゝゝゝ。』と後《うしろ》へ飛退《とびの》[#ルビの「とびの」は底本では「どびの」]いて
『これは痛《いた》い、武村《たけむら》の脛《すね》には出刄庖丁《でばほうちやう》が這入《はい》つて居《を》るぞ。』
『そ、そんなに強《つよ》いのですか。』と彌次馬《やじうま》の士官《しくわん》水兵《すいへい》は吾《われ》も/\とやつて來《き》たが、成程《なるほど》武村《たけむら》の脛《すね》は馬鹿《ばか》に堅《かた》い、皆《みな》一撃《いちげき》の下《もと》に押倒《おしたを》されて、痛《いた》い/\と引退《ひきさが》る。武村兵曹《たけむらへいそう》は些《いさ》さか得意《とくゐ》の色《いろ》を浮《うか》べて鼻《はな》を蠢《うご》めかしたが、軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の甲板《かんぱん》には未《ま》だ仲々《なか/\》豪傑《がうけつ》が居《を》る。
『武村《たけむら》、怪《け》しからんな、我《わが》軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の道塲破《だうじやうやぶ》りをやつたな、よし、乃公《おれ》が相手《あひて》にならう。』と突然《とつぜん》大檣《だいしやう》の影《かげ》から現《あら》はれて來《き》たのは、色《いろ》の黒々《くろ/″\》とした、筋骨《きんこつ》の逞《たく》ましい年少《ねんせう》少尉《せうゐ》、此人《このひと》は海軍兵學校《かいぐんへいがくかう》の生活中《せいくわつちう》、大食黨《たいしよくたう》の巨魁《おやだま》で、肺量《はいりやう》五千二百、握力《あくりよく》七十八、竿飛《さをとび》は一|丈《じやう》三|尺《じやく》まで飛《と》んで、徒競走《フートレース》六百ヤードを八十六|秒《びやう》に走《はし》つたといふ
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