、私共《わたくしども》に濟《す》まぬと尼《あま》になつたのですよ。其《その》事柄《ことがら》は一塲《いちじやう》の悲劇《トラジデー》です。亞尼《アンニー》に一人《ひとり》の息子《むすこ》があつて、極《ご》く放蕩《ほうたう》無頼《ぶらい》な男《をとこ》で、十|幾年《いくねん》か前《まへ》に家出《いへで》をして、行衞不明《ゆくゑふめい》になつたといふ事《こと》は兼《かね》て聞《き》いて居《を》りましたが、亞尼《アンニー》は、それをば常《つね》に口僻《くちぐせ》のやうに、斯《か》う言《い》つて居《を》りました「私《わたくし》の忰《せがれ》は私《わたくし》の言《い》ふ事《こと》を容《き》かずに、十月《じふぐわつ》の祟《たゝり》の日《ひ》に家出《いへで》をしたばかりに、海蛇《うみへび》に捕《と》られてしまひました。」と。海蛇《うみへび》に捕《と》られたとは、眞《しん》に妙《めう》な事《こと》だと思《おも》つて居《を》りましたが、それがよく隱語《いんご》を使《つか》ふ伊太利人《イタリーじん》の僻《くせ》で、其《その》書面《しよめん》ではじめて分《わか》りましたよ。其《その》息子《むすこ》が海蛇《うみへび》に捕《と》られたといふのは、生命《いのち》の事《こと》ではなく、實《じつ》は、印度洋《インドやう》の惡魔《あくま》と世《よ》に隱《かく》れもなき海賊船《かいぞくせん》の仲間《なかま》に入《い》り、血《ち》をすゝつて、海蛇[#「海蛇」に蛇の目傍点]丸《まる》とかいへる海賊船《かいぞくせん》の水夫《すいふ》となつたのだ相《さう》です。其爲《そのため》に亞尼《アンニー》は一人《ひとり》淋《さび》しく家《いへ》に殘《のこ》されて、遂《つひ》に私《わたくし》の家《いへ》に奉公《ほうこう》に出《で》る樣《やう》になつたのですが、御存《ごぞん》じの通《とう》り、極《ご》く正直《しやうじき》な女《をんな》ですから、私共《わたくしども》も目《め》をかけて使《つか》つて居《を》る内《うち》、丁度《ちやうど》私共《わたくしども》が子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]港《かう》を出發《しゆつぱつ》するといふ前《まへ》の前《まへ》の晩《ばん》です。亞尼《アンニー》は鳥渡《ちよつと》使《つか》ひに出《で》ました時《とき》、波止塲《はとば》のほとりで圖《はか》らずも、絶《たえ》て久《ひさ》しき其《その》子《こ》に出會《であ》つたのです。いくら惡人《あくにん》でも、親子《おやこ》の情《じやう》はまた格別《かくべつ》と見《み》へ、正直《しやうじき》なる亞尼《アンニー》は「一寸《ちよつと》お出《い》で。」と其《その》子《こ》をば、其邊《そのへん》の小《ちい》さい料理屋《れうりや》へ連《つ》れて行《い》つて、自分《じぶん》の貧《さび》しい財嚢《さいふ》を傾《かたむ》けて、息子《むすこ》の嗜好《すき》な色々《いろ/\》の物《もの》を御馳走《ごちさう》して「さて、忰《せがれ》や、お前《まへ》は此頃《このごろ》はどうしておいでだえ。矢張《やはり》惡《わる》い業《しわざ》を改《あらた》めませんのかえ。」と涙《なみだ》ながらに諫《いさ》めかけると、息子《むすこ》は平氣《へいき》なものです「また始《はじ》まつたよ。おつかさん、お前《まへ》は相變《あひかは》らず馬鹿正直《ばかしやうじき》だねえ、其樣《そん》なけち/\した事《こと》で此世《このよ》が渡《わた》れるかえ。」と大酒《おほざけ》飮《の》んで、醉《ゑ》ふたまきれに「乃公《おれ》なんかは近《ちか》い内《うち》に大仕事《おほしごと》があるのだ、其《その》仕事《しごと》の爲《ため》に今《いま》此《この》港《みなと》へ來《き》て、明後晩《めうごばん》にはまた此處《こゝ》を出發《しゆつぱつ》するのだが、其《その》一件《いつけん》さへ首尾《しゆび》よく行《い》けば、百《ひやく》や二百《にひやく》の目腐《めくさ》れ金《がね》はお前《まへ》にもあげるよ。内秘《ないしよ》/\。」なんかと、思《おも》はず知《し》らず口走《くちばし》つたのでせう。之《これ》を聽《き》いた亞尼《アンニー》ははつ[#「はつ」に傍点]と愕《おどろ》いたのです。其頃《そのころ》弦月丸《げんげつまる》が、今迄《いままで》に無《な》い程《ほど》澤山《たくさん》の、黄金《わうごん》と眞珠《しんじゆ》とを搭載《たふさい》して、ネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]港《かう》を出發《しゆつぱつ》して、東洋《とうやう》に向《むか》ふといふのは評判《ひやうばん》でしたが、誰《たれ》も世《よ》に恐《おそ》る可《べ》き海蛇丸《かいだまる》が、竊《ひそ》かに其《その》舷側《そば》に停泊《ていはく》して、樣子《やうす》を窺《うかゞ》つて居《を》るとは氣付《きづ》いた人《ひと》はありませんかつたが、今《いま》現《げん》に海賊《かいぞく》仲間《なかま》の其《その》息子《むすこ》が此《この》港《みなと》に居《を》る事《こと》と、今《いま》の話《はなし》の樣子《やうす》で、朧《おぼろ》ながらも其《そ》れと覺《さと》つた亞尼《アンニー》の驚愕《おどろき》はまアどんなでしたらう。私共《わたくしども》の乘組《のりく》む筈《はづ》の弦月丸《げんげつまる》と、同《おな》じ日《ひ》、同《おな》じ刻《こく》に、ネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]港《かう》を出發《しゆつぱつ》する海蛇丸《かいだまる》の目的《もくてき》は云《い》ふ迄《まで》もありません。其《その》息子《むすこ》が大仕事《おほしごと》と云《い》つたのはまさしく弦月丸《げんげつまる》を襲撃《しふげき》して、其《その》貨財《くわざい》を掠奪《りやくだつ》する目的《もくてき》だなと心付《こゝろづ》いた時《とき》、彼女《かのぢよ》は切《せつ》に其《その》非行《ひかう》を諫《いさ》めた相《さう》ですが、素《もと》より思《おも》ひ止《とゞ》まらう筈《はづ》はなく、其《その》暴惡《ぼうあく》なる息子《むすこ》は、斯《か》く推察《すいさつ》された上《うへ》はと、急《きふ》に語勢《ことばつき》荒々《あら/\》しく「おつかさん、左樣《さう》覺《さと》られたからは百年目《ひやくねんめ》、若《も》し此《この》一件《いつけん》を他人《たにん》に洩《もら》すものならば、乃公《おれ》の笠《かさ》の臺《だい》の飛《と》ぶは知《し》れた事《こと》、左樣《さう》なれば破《やぶ》れかぶれ、お前《まへ》の御主人《ごしゆじん》の家《いへ》だつて用捨《ようしや》はない、火《ひ》でもかけて、一人《ひとり》も生《い》かしては置《お》かないぞ。」と鬼《おに》のやうになつて、威迫《おど》したんでせう。亞尼《アンニー》は心《こゝろ》も心《こゝろ》でなく、急《いそ》ぎ私共《わたくしども》の家《いへ》へ歸《かへ》つて來《き》たものゝ、如何《どう》する事《こと》も出來《でき》ません、明瞭《あからさま》に言《い》へば、其《その》子《こ》の首《くび》の飛《と》ぶばかりではなく、私共《わたくしども》の一家《いつか》にも、何處《どこ》からか恐《おそ》ろしい復讐《あだうち》が來《く》るものと信《しん》じて、千々《ちゞ》に心《こゝろ》を碎《くだ》いた揚句《あげく》、遂《つひ》にあんな妙《めう》な事《こと》に托《たく》して、私共《わたくしども》の弦月丸《げんげつまる》に乘組《のりく》む事《こと》を留《と》めやうと企《くわだ》てたのです。けれど、誰《だれ》だつて信《しん》ぜられませんはねえ。船《ふね》の出發《しゆつぱつ》が魔《ま》の日《ひ》魔《ま》の刻《こく》だなんて。あゝ亞尼《アンニー》がまた妙《めう》な事《こと》をと、少《すこ》しも心《こゝろ》に止《と》めずに出帆《しゆつぱん》したのが、あんな災難《さいなん》の原因《げんゐん》となつたのです。それで、亞尼《アンニー》は、いよ/\弦月丸《げんげつまる》が沈沒《ちんぼつ》したと聞《き》いた時《とき》、身《み》も世《よ》にあられず、私共《わたくしども》に濟《す》まぬといふ一念《いちねん》と、其《その》息子《むすこ》の悔悟《くわいご》とを祈《いの》るが爲《ため》に、浮世《うきよ》の外《そと》の尼寺《あまでら》に身《み》を隱《かく》したのです。で、亞尼《アンニー》は、今《いま》は、眞如《しんによ》の月影《つきかげ》清《きよ》き、ウルピノ[#「ウルピノ」に二重傍線]山中《さんちう》の草《くさ》の庵《いほり》に、罪《つみ》もけがれもなく、此世《このよ》を送《おく》つて居《を》る事《こと》でせうが、あの惡《にく》むべき息子《むすこ》の海賊《かいぞく》は、矢張《やはり》印度洋《インドやう》の浪《なみ》を枕《まくら》に、不義《ふぎ》非道《ひだう》の業《しわざ》を逞《たくま》しうして居《を》る事《こと》でせう。』と、語《かた》り終《をは》つて、春枝夫人《はるえふじん》は明眸《めいぼう》一轉《いつてん》※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はる》かの空《そら》を仰《あほ》いだ。
私《わたくし》は思《おも》はず膝《ひざ》を叩《たゝ》いた。短慮《たんりよ》一徹《いつてつ》の武村兵曹《たけむらへいそう》は腕《うで》を鳴《なら》して、漫々《まん/\》たる海洋《かいやう》を睨《にら》み廻《まわ》しつゝ
『此處《こゝ》は所《ところ》も印度洋《インドやう》、其《その》不屆《ふとゞき》な小忰《こせがれ》めは何處《どこ》に居《を》る。』と艦上《かんじやう》の速射砲《そくしやほう》に眼《め》を注《そゝ》いで
『今《いま》は無上《むじやう》に愉快《ゆくわい》な時《とき》だぞ、今《いま》一層《いつそう》の望《のぞ》みには、新《あらた》に鑄《きた》へた此《この》速射砲《そくしやほう》で、彼奴等《きやつら》惡《に》つくき海賊《かいぞく》共《ども》を鏖殺《みなごろし》にして呉《く》れんに。』
『ヒヤ/\、壯快《さうくわい》! 壯快《さうくわい》!。』と轟大尉《とゞろきたいゐ》は掌《て》を鳴《なら》した。艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》、濱島武文《はまじまたけぶみ》、其他《そのた》同席《どうせき》の二三|士官等《しくわんら》は、凛々《りゝ》たる面《おもて》に微笑《びせう》を浮《うか》べて、互《たがひ》に顏《かほ》を見合《みあは》す時《とき》、軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の右舷《うげん》左舷《さげん》には、潮《うしほ》の花《はな》は玉《たま》と亂《みだ》れて、艦《かん》の速力《そくりよく》は飛《と》ぶが樣《やう》であつた。
それより、私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》とは、艦中《かんちう》の一同《いちどう》から筆《ふで》にも言《ことば》にも盡《つく》されぬ優待《いうたい》を受《う》けて、印度洋《インドやう》の波濤《はたう》を蹴《け》つて、コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]の港《みなと》へと進《すゝ》んで行《ゆ》く。日《ひ》うらゝかに、風《かぜ》清《きよ》き甲板《かんぱん》で、大佐《たいさ》や、濱島《はまじま》や、春枝夫人《はるえふじん》や、轟大尉《とゞろきたいゐ》や、其他《そのた》乘組《のりくみ》の士官《しくわん》水兵等《すいへいら》を相手《あひて》に、私《わたくし》の小説《せうせつ》にも似《に》たる經歴談《けいれきだん》は、印度洋《インドやう》の波《なみ》のごとく連綿《れんめん》として盡《つ》くる時《とき》もなかつた。ずつと以前《いぜん》に溯《さかのぼ》つて、弦月丸《げんげつまる》の沈沒《ちんぼつ》當時《たうじ》の實况《じつけう》。小端艇《せうたんてい》で漂流中《へうりうちう》のさま/″\の辛苦《しんく》。驟雨《にわかあめ》の事《こと》。沙魚《ふか》釣《つ》りの奇談《きだん》。腐《くさ》つた魚肉《さかな》に日出雄少年《ひでをせうねん》が鼻《はな》を摘《つま》んだ話《はなし》。それから朝日島《あさひじま》に漂着《へうちやく》して、椰子《やし》の果實《み》の美味《うま》かつた事《こと》。猛狒《ゴリラ》の襲撃《しふげき》一件《いつけん》。櫻木海軍大佐《さ
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