ら。』
『そればかりか、少年《せうねん》の活溌《くわつぱつ》な事《こと》ツたら話《はなし》になりませんよ。獅子狩《しゝがり》もやります、相撲《すまふ》も取《と》ります。弱《よわ》い水兵《すいへい》なんかは負《ま》かされます。』と彼《かれ》は至極《しごく》眞面目《まじめ》に
『然《しか》し、其代《そのかは》り、大分《だいぶん》色《いろ》は黒《くろ》くなりましたよ。はい。』
『おほゝゝゝ。』と春枝夫人《はるえふじん》は半顏《はんがん》を蔽《おほ》ふて
『其樣《そんな》に黒《くろ》くなりましたの、まア。』
『イヤ、中黒《ちうぐろ》です。』と滑※[#「(禾+尤)/上/日」、333−3]《こつけい》なる兵曹《へいそう》の一言《いちごん》に、大佐《たいさ》も、濱島《はまじま》も、私《わたくし》も大聲《おほごゑ》に笑《わら》ひ崩《くづ》るゝ時《とき》、春枝夫人《はるえふじん》の優《やさ》しい眼《め》は、遙《はる》か/\の南《みなみ》の方《ほう》の水《みづ》と空《そら》とを懷《なつ》かし相《さう》に眺《なが》めて居《を》つた。
其時《そのとき》私《わたくし》は膝《ひざ》を進《すゝ》めて
『今迄《いまゝで》は吾等《われら》の經歴《けいれき》をのみ語《かた》つたが、サア今度《こんど》は、貴方等《あなたがた》のお答《こたへ》の順番《じゆんばん》ですよ。』と先《ま》づ春枝夫人《はるえふじん》に向《むか》ひ
『夫人《おくさん》! 先刻《せんこく》貴女《あなた》も左樣《さう》仰《お》つしやいましたねえ。私《わたくし》も眞個《ほんたう》に、此世《このよ》でまた貴女《あなた》にお目《め》にかゝらうとは思《おも》ひ設《まう》けませんでした、實《じつ》に不思議《ふしぎ》ですよ、一體《いつたい》あの時《とき》は如何《どう》して御助命《おたすかり》になりました。』と口《くち》を切《き》つて
『回想《くわいさう》すれば今《いま》から四|年《ねん》前《まへ》、私《わたくし》が日出雄少年《ひでをせうねん》を抱《いだ》いて、弦月丸《げんげつまる》の沈沒《ちんぼつ》と共《とも》に、海中《かいちう》に飛込《とびこ》んだ時《とき》、二度《にど》、三度《さんど》、貴女《あなた》のお名《な》をお呼《よ》び申《もう》したが、聽《きこ》ゆるものは、風《かぜ》の音《おと》と、浪《なみ》の響《ひゞき》ばかり、イヤ、只《たゞ》一度《いちど》、微《かす》かに/\、お答《こたへ》のあつた樣《やう》にも思《おも》はれたが、それも心《こゝろ》の迷《まよひ》と信《しん》じて、其後《そのゝち》朝日島《あさひじま》に漂着《へうちやく》して、或《ある》時《とき》、櫻木大佐《さくらぎたいさ》に此事《このこと》を語《かた》つた時《とき》、大佐《たいさ》は貴女《あなた》の運命《うんめい》を卜《ぼく》して、夫人《ふじん》は屹度《きつと》無事《ぶじ》であらうと言《い》はれたに拘《かゝは》らず、日出雄少年《ひでをせうねん》も、私《わたくし》も、最早《もはや》貴女《あなた》とは、現世《このよ》でお目《め》に掛《かゝ》る事《こと》は出來《でき》まいとばかり斷念《だんねん》して居《を》りましたに。』
春枝夫人《はるえふじん》は、四年《よねん》以前《いぜん》の恐《おそ》ろしき夜《よ》の光景《くわうけい》を回想《くわいさう》して
『あゝ、あの時《とき》は、眞個《ほんたう》に物凄《ものすご》う御坐《ござ》いましたねえ。轟然《がうぜん》たる響《ひゞき》と共《とも》に、弦月丸《げんげつまる》は沈沒《ちんぼつ》して、妾《わたくし》は一時《いちじ》は逆卷《さかま》く波間《なみま》に數《すう》十|尺《しやく》深《ふか》く沈《しづ》みましたが、再《ふたゝ》び海面《かいめん》に浮《うか》び上《あが》つた時《とき》、丁度《ちやうど》貴方《あなた》のお聲《こゑ》で、私《わたくし》の名《な》をお呼《よ》びになるのが聽《きこ》えました。私《わたくし》は、一たび、二たび、お答《こた》へ申《まう》しましたが、四邊《あたり》は眞《しん》の闇《やみ》で、何處《どこ》とも分《わか》らず、其儘《そのまゝ》永《なが》いお別《わか》れになりました。幸《さひは》ひ、沈沒《ちんぼつ》の間際《まぎわ》に、貴方《あなた》が投《な》げて下《くだ》さつた浮標《うき》にすがつて、浪《なみ》のまに/\漂《たゞよ》つて居《を》る内《うち》、其《その》翌朝《よくあさ》になつて見《み》ると、漫々《まん/\》たる大海原《おほうなばら》の遙《はる》か彼方《かなた》に、昨夜《さくや》の海賊船《かいぞくせん》らしい一艘《いつそう》の船《ふね》が、頻《しき》りに潜水器《せんすいき》を沈《しづ》めて居《を》るのが見《み》えましたが、其時《そのとき》、丁度《ちやうど》通《とう》りかゝつた英國《エイこく》の郵便船《いうびんせん》に救《すく》はれて、廻《めぐ》りめぐつて、再《ふたゝ》びネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]の家《いへ》へ皈《かへ》つたのは、夫《それ》から一月《ひとつき》程《ほど》※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、335−8]《すぎ》ての事《こと》でした。』
夫人《ふじん》は一息《ひといき》つきて
『妾《わたくし》が子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]の家《いへ》へ歸《かへ》つて、涙《なみだ》ながらに良人《をつと》の濱島《はまじま》に再會《さいくわい》した時《とき》には、弦月丸《げんげつまる》の沈沒《ちんぼつ》の噂《うわさ》は大層《たいそう》でした。何事《なにごと》も天命《てんめい》と諦《あきら》めても、本當《ほんたう》に悲《かな》しう御坐《ござ》んしたよ。いろ/\の噂《うわさ》を聞《き》くにつけ、最早《もはや》貴方《あなた》も、日出雄《ひでを》も、全《まつた》く世《よ》に亡《な》き人《ひと》とのみ思《おも》ひ定《さだ》め、また、一方《いつぽう》には、本國《ほんごく》の兄《あに》の病《やまひ》を思《おも》ひ煩《わずら》つて居《を》りましたが、幸《さひは》ひ、兄《あに》の病《やまひ》はだん/″\と快方《くわいほう》の由《よし》、其後《そのご》の便船《びんせん》で通知《つうち》が參《まい》りましたので、其《その》方《ほう》は漸《やうや》く胸《むね》撫《な》でおろし、日本《につぽん》へ皈《かへ》る事《こと》も其儘《そのまゝ》思《おも》ひ止《とゞま》つたのです。それから四年※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、336−4]《よねんす》ぎての今《いま》、圖《はか》らずも貴方《あなた》に再會《さいくわい》して、いろ/\のお話《はなし》を伺《うかゞ》つて見《み》ると、まるで夢《ゆめ》のやうで、霖雨《ながあめ》の後《のち》に天日《てんじつ》を拜《はい》するよりも嬉《うれ》しく、たゞ/\天《てん》に感謝《かんしや》するの他《ほか》はありません。はい、兄《あに》の病氣《びやうき》は、妾《わたくし》が子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]に歸《かへ》つてから、三月《みつき》程《ほど》※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、336−8]《すぎ》て、名殘《なごり》なく全快《ぜんくわい》して、今《いま》は人一倍《ひといちばい》に健全《すこやか》に、英國《エイこく》から新造軍艦《しんざうぐんかん》の廻航中《くわいかうちう》、此《この》「日《ひ》の出《で》」に乘《の》つて居《を》る事《こと》は貴方《あなた》も御覽《ごらん》の通《とう》りです。』と語《かた》り終《をは》つて令兄《れいけい》なる大佐《たいさ》と良君《をつと》武文《たけぶみ》との顏《かほ》を婉然《にこやか》に見《み》た。

    第二十八回 紀念軍艦《きねんぐんかん》
[#ここから5字下げ]
帝國軍艦「日の出」――此虎髯が御話申す――テームス[#「テームス」に二重傍線]造船所の製造――「明石」に髣髴たる巡洋艦――人間萬事天意のまゝ
[#ここで字下げ終わり]
 松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》は相《あひ》も變《かは》らず鼻髯《びぜん》を捻《ひね》りつゝ、面白相《おもしろさう》に我等《われら》の談話《だんわ》を聽《き》いて居《を》る。
濱島武文《はまじまたけぶみ》は春枝夫人《はるえふじん》に次《つ》いで口《くち》を開《ひら》いた。
『春枝《はるえ》は大分《だいぶん》愚痴《ぐち》が出《で》ます。女《をんな》はあれだからいかんです。はゝゝゝゝ。けれど私《わたくし》も、弦月丸《げんげつまる》の沈沒《ちんぼつ》を耳《みゝ》にした時《とき》には實《じつ》に愕《おどろ》きました。春枝《はるえ》丈《だ》けは其後《そのご》無事《ぶじ》に皈《かへ》つて來《き》たものゝ、君《きみ》の行衞《ゆくゑ》は知《し》れず、私《わたくし》が兼《かね》てより、有爲《りつぱ》な帝國海軍々人《ていこくかいぐんぐんじん》に養成《やうせい》して、國《くに》に獻《さゝ》げんと心《こゝろ》に樂《たの》しんで居《を》つた日出雄《ひでを》は、君《きみ》と共《とも》に、印度洋《インドやう》の藻屑《もくづ》と消《き》えてしまつたと斷念《だんねん》した時《とき》には、實《じつ》に泣《な》くより辛《つら》かつたです。』といひ掛《か》けて、彼《かれ》は忽《たちま》ち聲《こゑ》高《たか》く笑《わら》ひ
『ほー。私《わたくし》まで愚痴《ぐち》が出《で》た。イヤ、愚痴《ぐち》でない。實際《じつさい》失望落膽《しつぼうらくたん》したです。其頃《そのころ》歐羅巴《エウロツパ》の諸《しよ》新聞《しんぶん》は筆《ふで》を揃《そろ》へて、弦月丸《げんげつまる》の遭難《さうなん》を詳報《しやうほう》し、かの臆病《をくびやう》なる船長等《せんちやうら》の振舞《ふるまひ》をば痛《いた》く攻撃《こうげき》すると共《とも》に『日本人《につぽんじん》の魂《たましひ》。』なんかと標題《みだし》を置《お》いて、君等《きみら》の其時《そのとき》の擧動《ふるまひ》を賞讃《しようさん》するのを見《み》るにつけても、實《じつ》に斷膓《だんちやう》の念《ねん》に堪《た》えなかつたです――何《なに》、あの卑劣《ひれつ》なる船長等《せんちやうら》は如何《どう》したと問《と》はるゝか。左樣《さやう》さ、一旦《いつたん》は無事《ぶじ》に本國《ほんごく》へ歸《かへ》つて來《き》たが、法律《ほふりつ》と、社會《しやくわい》の制裁《せいさい》とは許《ゆる》さない、嚴罰《げんばつ》を蒙《かうむ》つて、酷《ひど》い目《め》に逢《あ》つて、何處《いづく》へか失奔《しつぽん》してしまいましたよ。』
『愉快《ゆくわい》だ! 愉快《ゆくわい》だ!。』と武村兵曹《たけむらへいそう》は不意《ふゐ》に叫《さけ》んだ。
私《わたくし》は失笑《しつせう》しながら問《とひ》をつゞけて
『濱島君《はまじまくん》、して、其後《そのゝち》、君《きみ》も、夫人《おくさん》も、引續《ひきつゞ》いてネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]港《かう》にのみお在留《いで》でしたか。今《いま》また此《この》軍艦《ぐんかん》[#ルビの「ぐんかん」は底本では「ぐんがん」]に便乘《びんじよう》して日本《につぽん》へお歸國《かへり》になるのは如何《どう》いう次第《しだい》です。』と胸《むね》に手《て》を置《お》いて
『ちと想像《さうぞう》に※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、339−3]《すぎ》るかも知《し》れないが、私《わたくし》は先刻《せんこく》から考《かんが》へて居《を》つたのです。今《いま》此《この》新造巡洋艦《しんざうじゆんやうかん》に君《きみ》の愛兒《あいじ》日出雄少年《ひでをせうねん》の名《な》と何《なに》かの因縁《ゐんねん》ある如《ごと》く「日《ひ》の出《で》」と命名《めいめい》されて居《を》るのは何《なに》か深《ふか》い仔細《しさい》のあるではありませんか。』
『其事《そのこと》は此《この》虎髯《ひげ》がお話《はなし》申《もう》すのが順當《じゆんたう》でせう。』と不意《ふゐ》に室内《しつない》へ飛込《とびこ》んで來《き》たのは、例《れい》の磊落《
前へ 次へ
全61ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
押川 春浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング