櫻木大佐《さくらぎたいさ》と、其《その》海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》のに會《あひ》合《あ》ふべき筈《はづ》の、橄欖島《かんらんたう》附近《ふきん》の地勢《ちせい》、海深等《かいしんとう》を調《しら》ぶるに餘念《よねん》もなかつた。
暫時《ざんじ》、船室《せんしつ》内《ない》は寂《しん》となる。
室外《しつぐわい》には舷《げん》に碎《くだ》くる浪《なみ》の音《おと》、檣頭《しやうとう》に走《はし》る風《かぜ》の聲《こゑ》、艦橋《ブリツヂ》に響《ひゞ》く士官《しくわん》の號令《がうれい》。
私《わたくし》は何氣《なにげ》なく倚子《ゐす》より離《はな》れて、檣樓《しやうらう》に、露砲塔《ろほうたふ》に、戰鬪樓《せんとうらう》に、士官《しくわん》水兵《すいへい》の活動《はたらき》目醒《めざ》ましき甲板《かんぱん》を眺《なが》めたが、忽《たちま》ち電氣《でんき》に打《う》たれし如《ごと》く躍上《をどりあが》つたよ。今《いま》しも、後部甲板《こうぶかんぱん》昇降口《しやうかうぐち》より現《あら》はれて、一群《いちぐん》の肩章《けんしやう》に波《なみ》を打《う》たせたる年少《ねんせう》士官等《しくわんら》と語《かた》りながら、徐《しづ》かに此方《こなた》に來《き》かゝる二個《ふたり》の人《ひと》――軍艦々上《ぐんかん/\じやう》には珍《めづ》らしき平服《へいふく》の姿《すがた》、一個《ひとり》は威風堂々《ゐふうどう/\》たる肥滿《ひまん》の紳士《しんし》、他《た》の一個《ひとり》は天女《てんによ》の如《ごと》き絶世《ぜつせ》の佳人《かじん》! 誰《たれ》か知《し》らん、此《この》二人《ふたり》は、四|年《ねん》以前《いぜん》にネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]で別《わか》れた濱島武文《はまじまたけぶみ》と、今《いま》は此世《このよ》に亡《な》き人《ひと》とのみ思《おも》つて居《を》つた彼《かれ》の妻《つま》――松島大佐《まつしまたいさ》の令妹《れいまい》――日出雄少年《ひでをせうねん》の母君《はゝぎみ》なる春枝夫人《はるえふじん》であつた。
急《いそ》ぎ眼《め》を押拭《おしぬぐ》つて見《み》たが、矢張《やはり》其人《そのひと》※[#感嘆符三つ、326−6]
私《わたくし》は狂喜《きやうき》のあまり、唐突《いきなり》武村兵曹《たけむらへいそう》の首《くび》を捻《ね》ぢ向《む》けて
『兵曹《へいそう》! あれを見《み》よ/\、濱島君《はまじまくん》に、春枝夫人《はるえふじん》!。』と叫《さけ》ぶと、不意《ふゐ》に愕《おどろ》いたる武村兵曹《たけむらへいそう》は
『ど、ど、ど、何處《どこ》に! どの人《ひと》が?。』と伸上《のびあが》る。
側面《そくめん》の卓上《たくじやう》にあつて、此《この》有樣《ありさま》を認《みと》めたる松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》は不審《ふしん》の眉《まゆ》を揚《あ》げ
『いぶかしや、貴君《きくん》は何人《なにびと》なれば[#「何人《なにびと》なれば」は底本では「何人《なにびと》なれは」]、濱島武文《はまじまたけぶみ》と春枝《はるえ》とを御在《ごぞん》じですか。』
私《わたくし》はツト身《み》を乘《の》り出《だ》した
『私《わたくし》こそ、四年《よねん》前《まへ》に、春枝夫人《はるえふじん》と弦月丸《げんげつまる》の沈沒《ちんぼつ》に別《わか》れた柳川《やながは》です。』
松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》の端然《たんぜん》たる顏色《がんしよく》は微《かすか》に動《うご》いて
『では、貴君《きくん》は、若《も》しや我《わ》が娚《おい》日出雄少年《ひでをせうねん》の安否《あんぴ》を――。』と言《い》ひかけて、急《いそ》ぎ艦尾《かんび》なる濱島武文《はまじまたけぶみ》と春枝夫人《はるえふじん》とに眸《ひとみ》を移《うつ》すと、彼方《かなた》の二人《ふたり》も忽《たちま》ち私《わたくし》の姿《すがた》を見付《みつ》けた。春枝夫人《はるえふじん》の美《うる》はしき顏《かほ》は『あら。』とばつかり、其《その》良君《おつと》を顧見《かへりみ》る。私《わたくし》は彼方《かなた》へ! 彼方《かなた》は此方《こなた》へ! 轉《まろ》ぶがごとく※[#感嘆符三つ、327−11]

    第二十七回 艦長室《かんちやうしつ》
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鼻髯を捻つた――夢では[#「夢では」は底本では「夢でば」]ありますまいか――私は何より※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]しい――大分色は黒くなりましたよ、はい――今度は貴女の順番――四年前の話
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 日《ひ》は高《たか》く、風《かぜ》は清《すゞ》しき軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の艦上《かんじやう》、縱帆架《ガーフ》には帝國軍艦旗《ていこくぐんかんき》舞《ま》ひ、「ブルワーク」の邊《ほとり》には克砲《クルツプほう》、俄砲《ガツトリングほう》、四十七|粍《ミリ》速射砲《そくしやほう》、砲門《ほうもん》をならべ、遠《とほ》く一碧《いつぺき》の水天《すいてん》を望《のぞ》み、近《ちか》く破浪《はらう》の音《おと》を聽《き》きつゝ、絶《たえ》て久《ひさ》しき顏《かほ》と顏《かほ》とは艦長室《かんちやうしつ》の美《うる》はしき長倚子《ながゐす》に倚《よ》つて向《むか》ひ合《あ》つた。
濱島武文《はまじまたけぶみ》は言葉《ことば》もなく私《わたくし》の手《て》を握《にぎ》つた。
春枝夫人《はるえふじん》は
『あゝ、柳川《やながは》さん、妾《わたくし》は、貴方《あなた》と此世《このよ》で御目《おめ》に掛《か》からうとは――。』と言《い》つたまゝ、其《その》美《うる》はしき顏《かほ》は私《わたくし》の身邊《しんぺん》を見廻《みまは》した。
武村兵曹《たけむらへいそう》は私《わたくし》の横側《よこて》で五里霧中《ごりむちう》の顏《かほ》。
艦長松島海軍大佐《かんちやうまつしまかいぐんたいさ》は春枝夫人《はるえふじん》の言《げん》をば奪《うば》ふがごとく私《わたくし》に向《むか》ひ
『して、日出雄少年《ひでをせうねん》[#ルビの「ひでをせうねん」は底本では「びでをせうねん」]は――安全《あんぜん》ですか――それとも――。』
私《わたくし》は欣然《きんぜん》として叫《さけ》んだ。
『おゝ、松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》よ、濱島武文君《はまじまたけぶみくん》よ、春枝夫人《はるえふじん》よ、貴方等《あなたがた》の喜悦《よろこび》にまで、少年《せうねん》は無事《ぶじ》です、無事《ぶじ》です※[#感嘆符三つ、329−6]。』
松島大佐《まつしまたいさ》と濱島武文《はまじまたけぶみ》とは言《い》ひ合《あ》はした樣《やう》に喜色《えみ》を浮《うか》べて鼻髯《びぜん》を捻《ひね》つた。春枝夫人《はるえふじん》は流石《さすが》に女性《によしよう》の常《つね》
『あゝ、夢《ゆめ》ではありますまいか、之《これ》が夢《ゆめ》でなかつたら、どんなに嬉《うれ》しいんでせう。』と、止《とゞ》め兼《かね》たる喜悦《よろこび》の涙《なみだ》をソツ[#「ソツ」に傍点]と紅絹《くれない》の手巾《ハンカチーフ》に押拭《おしぬぐ》ふ。
『夢《ゆめ》ぢやありませんとも/\。』と武骨《ぶこつ》なる武村兵曹《たけむらへいそう》は、此時《このとき》ヒヨツコリと顏《かほ》を突出《つきだ》した。
『貴夫人《きふじん》! 何《な》んで夢《ゆめ》だなんぞと仰《お》つしやる。あの可憐《かれん》なる日出雄少年《ひでをせうねん》は、今《いま》は我《わ》が敬愛《けいあい》する櫻木海軍大佐閣下《さくらぎかいぐんたいさかくか》と共《とも》に朝日島《あさひじま》に元氣《げんき》よく、今頃《いまごろ》は屹度《きつと》、例《れい》の可愛《かあい》らしい樣子《やうす》で、水兵《すいへい》共《ども》や、愛犬《あいけん》の稻妻《いなづま》なんかと、海岸《かいがん》の岩《いわ》の上《うへ》から、遙《はる》かに日本《につぽん》の空《そら》を眺《なが》めて、早《はや》く孤島《こたう》を出發《しゆつぱつ》して、一日《いちにち》も速《すみや》かに貴方等《あなたがた》に再會《さいくわい》したいと待望《まちのぞ》んで居《を》る事《こと》でせう。』と叫《さけ》ぶ。
『貴方《あなた》は――。』と二人《ふたり》の眼《まなこ》は懷《なつ》かし相《さう》に武村兵曹《たけむらへいそう》の上《うへ》に轉《てん》じた。
『此人《このひと》は武村兵曹《たけむらへいそう》とて、吾等《われら》が三年《さんねん》の間《あひだ》孤島《こたう》の生活中《せいくわつちう》、日出雄少年《ひでをせうねん》とは極《きは》めて仲《なか》のよかつた一人《ひとり》です。』と私《わたくし》は彼《かれ》を二人《ふたり》に紹介《ひきあは》せて、それより武村兵曹《たけむらへいそう》と私《わたくし》とは交《かは》る/″\、朝日島《あさひじま》へ漂流《へうりう》の次第《しだい》、稀世《きせい》の海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の事《こと》、孤島《こたう》生活中《せいくわつちう》の有樣《ありさま》、それから四年《よねん》以前《いぜん》には、穉氣《あどけ》なく母君《はゝぎみ》と別《わか》れたりし日出雄少年《ひでをせうねん》の今《いま》は大《おほ》きくなりて、三年《さんねん》の間《あひだ》、智勇《ちゆう》絶倫《ぜつりん》の櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》の愛育《あいいく》の下《した》に、何《なに》から何《なに》まで、父君《ちゝぎみ》が甞《かつ》て望《のぞ》める如《ごと》き海軍々人《かいぐんぐんじん》風《ふう》[#ルビの「ふう」は底本では「ぶう」]の男兒《をのこ》となりて、毎日《まいにち》/\賢《かし》こく、勇《いさ》ましく、日《ひ》を送《おく》つて居《を》る有樣《ありさま》をば目《め》に見《み》る如《ごと》くに語《かた》り、大佐《たいさ》よ、濱島君《はまじまくん》よ、春枝夫人《はるえふじん》よ、されば吾等《われら》は今《いま》や天運《てんうん》開《ひら》けて、遠《とほ》からず非常《ひじやう》の喜《よろこ》びに會《くわい》する時《とき》を待《ま》つばかりです。と語《かた》り終《をは》ると、聽《き》く三人《みたり》は或《あるひ》は驚《おどろ》き或《あるひ》はよろこび。大佐《たいさ》は相變《あひかは》らず鼻髯《びぜん》を捻《ひね》りつゝ。豪壯《がうさう》なる濱島武文《はまじまたけぶみ》は胸《むね》を叩《たゝ》いて
『私《わたくし》は何《なに》よりも嬉《うれ》しい。弦月丸《げんげつまる》の沈沒《ちんぼつ》は、日出雄《ひでを》の爲《ため》には、寧《むし》ろ幸福《かうふく》であつたかも知《し》れません。今《いま》彼《かれ》が當世《たうせい》に隱《かく》れも無《な》き、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》から、斯《か》くも懇篤《こんとく》なる薫陶《くんとう》を受《う》けて生長《せいちやう》した事《こと》は、世界《せかい》第一《だいいち》の學校《がくかう》を卒業《そつげふ》したよりも、私《わたくし》の爲《ため》には※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しいです。』
春枝夫人《はるえふじん》は包《つゝ》み兼《か》ねたる喜悦《よろこび》の聲《こゑ》で
『皆樣《みなさま》は、其樣《そんな》にあの兒《こ》を可愛《かあい》がつて下《くだ》さつたのですか。妾《わたくし》は何《なん》と御禮《おれい》の言葉《ことば》もございません[#「ございません」は底本では「こざいません」]。』と雪《ゆき》のやうなる頬《ほう》に微※[#「渦」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、332−3]《えくぼ》の波《なみ》を湛《たゝ》えて
『そして、あの兒《こ》はもう其樣《そんな》に大《おほ》きくなりまして。』
『大《おほ》きくなりました段《だん》か。近々《きん/\》に橄欖島《かんらんたう》でお逢《あ》ひになつたら、そりや喫驚《びつくり》なさる』とまた兵曹《へいそう》が飛《と》び出《だ》した。
『あ
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