大佐《まつしまかいぐんたいさ》であつたのかと。そゞろに床《ゆか》しく、懷《なつ》かしく、眼《まなこ》を揚《あ》げて、目前《もくぜん》に端然《たんぜん》たる松島大佐《まつしまたいさ》の面《おもて》を瞻《なが》めると、松島大佐《まつしまたいさ》も意味《ゐみ》あり氣《げ》に、私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》の顏《かほ》とを見《み》くらべたが、例《れい》の虎髯大尉《こぜんたいゐ》と一寸《ちよいと》顏《かほ》を見合《みあ》はせて、言葉《ことば》靜《しづ》かに問《と》ひかけた。先《ま》づ私《わたくし》に向《むか》ひ
『貴君《きくん》、今《いま》本艦《ほんかん》水兵《すいへい》と貴君《きくん》の同伴者《どうはんしや》なる武村兵曹《たけむらへいそう》との談話《だんわ》によると、貴君等《きくんら》は、我《わ》が最《もつと》も親密《しんみつ》なる海軍大佐櫻木重雄君《かいぐんたいささくらぎしげをくん》と縁故《えんこ》の人《ひと》の樣《やう》に思《おも》はれるが、果《はた》して左樣《さう》ですか。』といひかけ、頷《うな》づく私《わたくし》の顏《かほ》を打守《うちまも》りて、屹《きつ》と面《おもて》を改《あら》ため
『實《じつ》は先刻《せんこく》貴君等《きくんら》が不思議《ふしぎ》にも大輕氣球《だいけいきゝゆう》と共《とも》に此《この》印度洋《インドやう》の波上《はじやう》に落下《らくか》したと聞《き》いた時《とき》から、私《わたくし》は心《こゝろ》に或《ある》想像《さうざう》を描《えが》いて居《を》るのです。想像《さうざう》とは他《ほか》でもない、貴君等《きくんら》が果《はた》して我《わ》が親愛《しんあい》なる櫻木君《さくらぎくん》と縁故《えんこ》の人《ひと》ならば、今度《こんど》此《この》不思議《ふしぎ》なる出來事《できごと》も、或《あるひ》は櫻木大佐《さくらぎたいさ》の運命《うんめい》に或《ある》關係《くわんけい》を有《いう》して居《を》るのではあるまいかと。私《わたくし》は櫻木君《さくらぎくん》の大望《たいまう》をばよく知《し》つて居《を》ります。また、彼《かれ》が、人《ひと》の知《し》らない此《この》印度洋《インドやう》中《ちう》の一《いつ》孤島《こたう》に、三十|有餘名《いうよめい》の水兵《すいへい》と共《とも》に、身《み》を潜《ひそ》めて居《を》る次第《しだい》をもよく存《ぞん》じて居《を》ります。五年《ごねん》前《まへ》、彼《かれ》が横須賀《よこすか》の軍港《ぐんかう》に於《おい》て永《なが》き袂別《わかれ》を私《わたくし》に告《つ》ぐる時《とき》、彼《かれ》は决然《けつぜん》たる顏色《がんしよく》を以《もつ》て言《い》つたです「今《いま》より五|年《ねん》の後《のち》には、必《かなら》ず一大《いちだい》功績《こうせき》を立《た》てゝ、君《きみ》に再會《さいくわい》する事《こと》が出來《でき》るだらう」と。それから五|年《ねん》の星霜《せいさう》は※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、320−8]去《すぎさ》つたが、未《ま》だ彼《かれ》の消息《せうそく》は少《すこ》しも聞《きこ》えません、其間《そのあひだ》、私《わたくし》は一日《いちにち》でも彼《かれ》の健康《けんこう》と、彼《かれ》の大事業《だいじげふ》の成功《せいこう》とを祈《いの》らぬ時《とき》はないのです。あゝ、櫻木君《さくらぎくん》は遂《つひ》に其《その》大目的《だいもくてき》を達《たつ》しましたらうか。彼《かれ》が潜心苦慮《せんしんくりよ》せる大軍器《だいぐんき》は遂《つひ》に首尾《しゆび》よく竣成《しゆんせい》しましたらうか。』と言《い》ひながら、聲《こゑ》を沈《しづ》まし
『けれど、私《わたくし》は今《いま》、時《とき》ならぬ輕氣球《けいきゝゆう》を此《この》印度洋上《インドやうじやう》に認《みと》め、特《こと》に其《その》乘組人《のりくみにん》の一人《ひとり》は櫻木大佐《さくらぎたいさ》の片腕《かたうで》と言《い》はれた武村兵曹《たけむらへいそう》であつたので想《かんが》へると、今《いま》や孤島《こたう》の櫻木君《さくらぎくん》の身邊《しんぺん》には、何《なに》か非常《ひじやう》の異變《ゐへん》が起《おこ》つて、其爲《そのため》に貴君等《きくんら》兩人《りやうにん》は大佐《たいさ》と袂別《わかれ》を告《つ》げ、一|大《だい》使命《しめい》を帶《お》びて此《この》空中《くうちう》を飛行《ひかう》して來《き》たのではありませんか。』と眤《じつ》と吾等《われら》兩人《りようにん》を見詰《みつ》めた。
『其事《そのこと》! 實《じつ》に御明察《ごめいさつ》の通《とう》りです。』と私《わたくし》はツト身《み》を進《すゝ》めた。武村兵曹《たけむらへいそう》は胸《むね》をうつて
『艦長閣下《かんちやうかくか》、實《じつ》に容易《ようゐ》ならぬ事變《じへん》は我《わ》が大佐閣下《たいさかくか》の上《うへ》に起《おこ》りました。』と、それより、兵曹《へいそう》と私《わたくし》とは迭代《かたみがはり》に、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》の海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の事《こと》、其《その》大成功《だいせいこう》の實情《ありさま》、及《およ》び二|月《ぐわつ》十一|日《にち》の夜半《やはん》、大佐《たいさ》功《こう》成《な》り將《まさ》に朝日島《あさひじま》を出發《しゆつぱつ》せんとする瞬時《わづか》前《まへ》、震天動地《しんてんどうち》の大海嘯《おほつなみ》の爲《ため》に、秘密造船所《ひみつざうせんじよ》の倉庫《さうこ》碎《くだ》けて、十二の樽《たる》の流失《りうしつ》した事《こと》から、遂《つひ》に今回《こんくわい》の大使命《だいしめい》に立到《たちいた》つた迄《まで》の大略《あらまし》を述《の》べ
『大佐閣下《たいさかくか》よ、されば吾等《われら》兩名《りようめい》は今《いま》より急《いそ》ぎ印度國《インドこく》コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]の港《みなと》に到《いた》り、十二|種《しゆ》の秘密藥液《ひみつやくえき》を凖備《とゝの》へて、本月《ほんげつ》二十五|日《にち》拂曉《ふつげう》までには、電光艇《でんくわうてい》が待合《まちあ》はすべき筈《はづ》の橄欖島《かんらんたう》まで赴《おもむ》かねばなりません。』と語《かた》り終《をは》ると、聽《き》く水兵等《すいへいら》は驚嘆《きやうたん》の顏《かほ》を見合《みあ》はせ、勇烈《ゆうれつ》なる虎髯大尉《こぜんたいゐ》は、歡《よろこ》び且《か》つ愕《おどろ》きの叫聲《さけび》をもつて倚子《ゐす》より起《た》ちて、松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》の面《おもて》を見《み》ると、松島大佐《まつしまたいさ》は握《にぎ》れる軍刀《ぐんたう》の※[#「革+巴」、322−7]《つか》の碎《くだ》くるをも覺《おぼ》えぬまで、滿足《まんぞく》と熱心《ねつしん》との色《いろ》をもつて、屹《きつ》と面《おもて》を揚《あ》げ
『快《くわい》なる哉《かな》、櫻木君《さくらぎくん》の海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》は遂《つひ》に竣工《しゆんこう》しましたか。』と、暫時《しばし》は言《げん》もなく、東天《とうてん》の一方《いつぽう》を眺《なが》めたが、忽《たちま》ち腕拱《うでこま》ぬき
『して、櫻木君《さくらぎくん》の一行《いつかう》は意外《ゐぐわい》の天變《てんぺん》のために、來《きた》る二十五|日《にち》拂曉《ふつげう》、橄欖島《かんらんたう》の附近《ふきん》にて貴下等《きから》の應援《おうえん》を待《ま》つのですか、よろしい、斯《か》く承《うけたま》はる以上《いじやう》は最早《もはや》憂慮《いうりよ》するには及《およ》びません。日本帝國《につぽんていこく》のため、帝國海軍《ていこくかいぐん》のため、また櫻木大佐《さくらぎたいさ》の光譽《くわうよ》のために、我等《われら》は全力《ぜんりよく》を盡《つく》して電光艇《でんくわうてい》の應援《おうえん》に赴《おもむ》きませう。』と立《た》つて傍《かたはら》なる卓上《たくじやう》に一面《いちめん》の海圖《かいづ》を押擴《おしひろ》げ、具《つぶ》さに緯度《ゐど》を計《はか》りつゝ
『此處《こゝ》から最《もつと》も便宜《べんぎ》なる、また最《もつと》も近《ちか》き貿易港《ぼうえきかう》は矢張《やはり》印度國《インドこく》コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]の港《みなと》で、海上《かいじやう》大約《おほよそ》千二百|哩《マイル》、それより橄欖島《かんらんたう》までは千五百|哩《マイル》弱《じやく》、されば、本艦《ほんかん》は明後晩《めうごばん》コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]に錨《いかり》を投《とう》じ、電光艇《でんくわうてい》に必要《ひつえう》なる十二の秘密藥液《ひみつやくえき》を凖備《じゆんび》して、直《たゞ》ちに暗號電報《あんがうでんぽう》をもつて本國《ほんごく》政府《せいふ》の許可《きよか》を受《う》け、全速力《ぜんそくりよく》をもつて橄欖島《かんらんたう》へ向《むか》ふ事《こと》が出來《でき》ます、さらば!。』とばかり側《かたばら》の虎髯大尉《こぜんたいゐ》に向《むか》ひ、
『轟大尉《とゞろきたいゐ》! 本艦《ほんかん》全速力《ぜんそくりよく》、方向《ほうかう》は矢張《やはり》コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]港《かう》、右《みぎ》號令《がうれい》を傳《つた》へて下《くだ》さい※[#感嘆符三つ、323−12]。』
虎髯大尉《こぜんたいゐ》、本名《ほんめい》は轟大尉《とゞろきたいゐ》であつた。『諾《だく》。』と應《こた》えたまゝ、身《み》を飜《ひるが》へして前甲板《ぜんかんぱん》の方《かた》へ走《はし》り去《さ》つた。
松島大佐《まつしまたいさ》は再《ふたゝ》び海圖《かいづ》の面《めん》に向《むか》つた。
此時《このとき》中部甲板《ちうぶかんぱん》には、午前《ごぜん》十一|時《じ》を報《ほう》ずる六點鐘《ろくてんしやう》、カヽン! カヽン! カヽン! カヽン! カヽン! カヽン!
武村兵曹《たけむらへいそう》と私《わたくし》とは、實《じつ》に双肩《さうけん》の重荷《おもに》を降《おろ》した樣《やう》な心地《こゝち》がしたのである。實《じつ》に、※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しい、※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しい、※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しい。
此《この》※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しい時《とき》――すでに我《わ》が大使命《だいしめい》をば語《かた》り終《をは》つたる今《いま》、一個人《わたくし》の事《こと》ではあるが、私《わたくし》は松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》に向《むか》つて、問《と》ひもし、語《かた》りもしたき事《こと》は澤山《たくさん》ある。大佐《たいさ》の令妹《れいまい》春枝夫人《はるえふじん》の安否《あんぴ》――其《その》良君《をつと》濱島武文《はまじまたけぶみ》の消息《せうそく》――それより前《さき》に私《わたくし》から語《かた》らねばならぬのは(大佐《たいさ》は屹度《きつと》死《し》んだと思《おも》つて居《を》るだらう)※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、324−12]去《くわこ》三|年《ねん》の間《あひだ》、私《わたくし》と共《とも》に朝日島《あさひじま》の月《つき》を眺《なが》めて、今《いま》も猶《な》ほ健康《すこやか》で居《を》る彼《かれ》の娚《をい》なる日出雄少年《ひでをせうねん》の消息《せうそく》である。
私《わたくし》は幾度《いくたび》か口《くち》を開《ひら》きかけたが、此時《このとき》大佐《たいさ》の顏色《がんしよく》は、私《わたくし》が突然《にはか》に此事《このこと》を言《い》ひ出《だ》し兼《か》ねた程《ほど》、海圖《かいづ》に向《むか》つて熱心《ねつしん》に、頓《やが》て
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