すこ》しも無《な》く。機關兵《きくわんへい》は機關室《きくわんしつ》を護《まも》り、信號兵《しんがうへい》は戰鬪樓《せんとうらう》に立《た》ち、一|等《とう》、二|等《とう》、三|等《とう》水兵等《すいへいら》は士官《しくわん》の指揮《しき》の下《した》に、今《いま》引揚《ひきあ》げた端艇《たんてい》を收《をさ》めつゝ。たゞ公務《こうむ》の餘暇《よか》ある一團《いちだん》の士官《しくわん》水兵等《すいへいら》が吾等《われら》を唯《と》ある船室《せんしつ》に導《みちび》き、濡《ぬ》れたる衣服《きもの》を脱《ぬ》がせ、新《あたら》しき衣服《ゐふく》を與《あた》へ、中《なか》にも機轉《きてん》よき一|士官《しくわん》は興奮《こうふん》の爲《ため》にと、急《いそ》ぎ「ブランデー」の一|杯《ぱい》をさへ惠《めぐ》んで呉《く》れた。實《じつ》に其《その》軍律《ぐんりつ》の嚴然《げんぜん》たるは今更《いまさら》ながら感嘆《かんたん》の他《ほか》は無《な》いのである。
此時《このとき》、前《さき》に端艇《たんてい》を指揮《しき》して、吾等《われら》兩人《りやうにん》を救《すく》ひ上《あ》げて呉《く》れた、勇《いさ》ましき虎髯大尉《こぜんたいゐ》は、武村兵曹《たけむらへいそう》も私《わたくし》も漸《やうや》く平常《へいじやう》に復《ふく》した顏色《かほいろ》を見《み》て、ツト[#「ツト」に傍点]身《み》を進《すゝ》めた、微笑《びせう》を浮《うか》べながら
『兩君《りようくん》! 君等《きみら》の幸運《かううん》を祝《しゆく》します。』と言《い》つたまゝ、頭《かうべ》を廻《めぐ》らして左右《さいう》を顧見《かへりみ》た時《とき》、忽《たちま》ち、艦《かん》の後部艦橋《こうぶかんけう》を降《くだ》つて、歩調《ほちよう》ゆたかに吾等《われら》の方《かた》に歩《あゆ》んで來《き》た一個《いつこ》の海軍大佐《かいぐんたいさ》があつた。風采《ふうさい》端然《たんぜん》、威風《ゐふう》凛々《りん/\》、言《い》ふ迄《まで》もない、本艦《ほんかん》の艦長《かんちやう》である。
艦長《かんちやう》は既《すで》に虎髯大尉《こぜんたいゐ》よりの報告《ほうこく》によつて、輕氣球《けいきゝゆう》と共《とも》に落下《らくか》した吾等《われら》の二人《ふたり》の日本人《につぽんじん》である事《こと》も、一人《ひとり》は冐險家《ぼうけんか》らしい紳士《しんし》風《ふう》で、他《た》の一人《ひとり》は同《おな》じ海軍《かいぐん》の兵曹《へいそう》である事《こと》も知《しつ》て居《を》つたと見《み》え、今《いま》、吾等《われら》の前《まへ》に立《た》つて、武村兵曹《たけむらへいそう》と私《わたくし》との顏《かほ》を眺《なが》めたが、左迄《さまで》驚《おどろ》く色《いろ》がない、目禮《もくれい》をもつて傍《かたはら》の倚子《ゐす》に腰《こし》打《う》ち掛《か》け、鼻髯《びぜん》を捻《ひね》つて靜《しづ》かに此方《こなた》に向直《むきなを》つた。
兵曹《へいそう》と私《わたくし》とは、恭《うや/\》しく敬禮《けいれい》を施《ほどこ》しつゝ、ふと[#「ふと」に傍点]、其人《そのひと》の顏《かほ》を眺《なが》めたが、あゝ、此《この》艦長《かんちやう》の眼元《めもと》――其《その》口元《くちもと》――私《わたくし》が甞《かつ》て記臆《きおく》せし、誰人《たれ》かの懷《なつ》かしい顏《かほ》に、よくも/\似《に》て居《を》る事《こと》と思《おも》つたが、咄嗟《とつさ》の急《きふ》には思《おも》ひ浮《うか》ばなかつた。何《なに》は兎《と》もあれ、今《いま》、かく心《こゝろ》が落付《おちつ》いて見《み》ると、今度《こんど》吾等《われら》が此《この》大危難《だいきなん》をば、同《おな》じ日本人《につぽんじん》の――しかも忠勇《ちうゆう》義烈《ぎれつ》なる帝國海軍々人《ていこくかいぐんぐんじん》の手《て》によつて救《すく》はれたのは、實《じつ》に吾等《われら》兩人《りようにん》の幸福《こうふく》のみではない、天《てん》は今《いま》やかの朝日島《あさひたう》に苦《くるし》める櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》の誠忠《せいちう》をば遂《つひ》に見捨《みす》てなかつたかと、兩人《ふたり》は不測《そゞろ》に感涙《かんるい》の流《なが》るゝ樣《やう》に覺《おぼ》えて、私《わたくし》は垂頭《うつむ》き、武村兵曹《たけむらへいそう》は顏《かほ》を横向《よこむ》けると、此時《このとき》吾等《われら》の傍《かたはら》に、何《なに》か艦長《かんちやう》の命《めい》を聽《き》かんとて、姿勢《しせい》を正《たゞ》して立《た》てる三四|名《めい》の水兵《すいへい》は、先刻《せんこく》より熱心《ねつしん》に武村兵曹《たけむらへいそう》の顏《かほ》を見詰《みつ》めて居《を》つたが、其《その》中《うち》の一名《いちめい》、一歩《いつぽ》進《すゝ》み出《い》でゝ、恭《うや/\》しく虎髯大尉《こぜんたいゐ》と艦長《かんちやう》とに向《むか》ひ、意味《いみ》あり氣《げ》に
『閣下《かくか》、私《わたくし》は此《この》兵曹《へいそう》に一言《いちごん》話《はな》したう厶《ござ》ります。』と言《い》ふ。
『よろしい。』と艦長《かんちやう》の許可《ゆるし》を得《え》て、水兵《すいへい》はやをら武村兵曹《たけむらへいそう》に眼《まなこ》を轉《てん》じ
『久濶《ひさし》や、兵曹《へいそう》、足下《おまへ》は本國《ほんごく》で名高《なだか》い櫻木海軍大佐閣下《さくらぎかいぐんたいさかくか》の部下《ぶか》の武村兵曹《たけむらへいそう》ではないか。』と問《と》ひかけた。武村兵曹《たけむらへいそう》と云《い》へば快活《くわいくわつ》な事《こと》と、それから砲術《ほうじゆつ》に巧《たくみ》な事《こと》と、また腕力《わんりよく》の馬鹿《ばか》に強《つよ》い事《こと》とで、日本海軍《につぽんかいぐん》の水兵仲間《すいへいなかま》には少《すく》なからず顏《かほ》の賣《う》れて居《を》つた男《をとこ》なので、今《いま》や圖《はか》らずも、天涯《てんがい》萬里《ばんり》の此《この》帝國軍艦《ていこくぐんかん》の艦上《かんじやう》にて、昔馴染《むかしなじみ》の水兵等《すいへいら》に對面《たいめん》したものと見《み》える。
兵曹《へいそう》驚《おどろ》いて眼《め》を見張《みは》り
『おゝ、乃公《おれ》は如何《いか》にも櫻木大佐閣下《さくらぎたいさかくか》の部下《ぶか》なる武村新八郎《たけむらしんぱちらう》だ。』と言《い》ひながら、額《ひたひ》を叩《たゝ》いて
『濟《す》まない、すつかり[#「すつかり」に傍点]忘《わす》れた、足下《おまへ》は誰《だれ》だつたかな。』
『前《もと》の高雄艦長《たかをかんちやう》、今《いま》は軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の艦長《かんちやう》、松島[#「松島」に蛇の目傍点]海軍大佐閣下《かいぐんたいさかくか》の部下《ぶか》の信號兵《しんがうへい》だよ。』と、水兵《すいへい》は膝《ひざ》を進《すゝ》ませ
『今《いま》、松島海軍大佐閣下《まつしまかいぐんたいさかくか》は、英國《エイこく》テームス[#「テームス」に二重傍線]河口《かこう》の造船所《ざうせんじよ》から、新造軍艦《しんざうぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の廻航中《くわいかうちう》で、本艦《ほんかん》は昨曉《さくげう》アデン[#「アデン」に二重傍線]海口《かいこう》を出《い》で、今《いま》しも此印度洋[#「此印度洋」に蛇の目傍点]を進航《しんかう》して來《く》ると、丁度《ちやうど》輕氣球《けいきゝゆう》が天上《てんじやう》から落《お》ちて來《き》たので、急《いそ》ぎ助《たす》けて見《み》たら足下等《そくから》だ、實《じつ》に不思議《ふしぎ》な縁《ゑん》ではないか。』と語《かた》り終《をは》つて一歩《いつぽ》退《しりぞ》いた。
此《この》一言《いちごん》! 心《こゝろ》なき人《ひと》が聽《き》いたら何《なん》でもなからうが、私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》とは思《おも》はず顏《かほ》を見合《みあ》はして莞爾《につこ》としたよ。
先《ま》づ第一《だいいち》の喜悦《よろこび》は、先刻《せんこく》輕氣球《けいきゝゆう》の上《うへ》で疑《うたが》つた樣《やう》に、今《いま》の今《いま》まで、我等《われら》が泛《うか》べる此《この》太洋《たいやう》は、大西洋《たいせいやう》か[#「大西洋《たいせいやう》か」は底本では「太西洋《たいせいやう》か」]、はたアラビアン[#「アラビアン」に二重傍線]海《かい》かも分《わか》らなかつたのが、只今《たゞいま》の水兵《すいへい》の言《ことば》で、矢張《やはり》私《わたくし》の想《おも》つた通《どう》り、此《この》洋《うみ》は、我等《われら》兩人《りようにん》が目指《めざ》すコロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]市《し》にも、また櫻木海軍大佐等《さくらぎかいぐんたいさら》と再會《さいくわい》すべき筈《はづ》の橄欖島《かんらんたう》にも左迄《さま》では遠《とほ》くない印度洋《インドやう》中《ちう》であつた事《こと》と。今一《いまひと》[#ルビの「いまひと」は底本では「いまいと」]つ、私《わたくし》は松島[#「松島」に蛇の目傍点]海軍大佐《かいぐんたいさ》なる姓名《せいめい》を耳《みゝ》にして、忽《たちま》ち小膝《こひざ》をポンと叩《たゝ》いたよ。讀者《どくしや》諸君《しよくん》! 松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》とは誰《たれ》であらう?
私《わたくし》は未《ま》だ此《この》大佐《たいさ》とは甞《かつ》て面會《めんくわい》した事《こと》は無《な》いが、兼《かね》て聞《き》く櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》とは無二《むに》の親友《しんいう》で、また、私《わたくし》の爲《ため》には終世《しゆうせい》忘《わす》るゝ事《こと》の出來《でき》ない、かの春枝夫人《はるえふじん》の令兄《れいけい》――日出雄少年《ひでをせうねん》の爲《ため》には叔父君《おぢぎみ》に當《あた》つて居《を》る人《ひと》。今《いま》から足掛《あしか》け四|年《ねん》以前《いぜん》に、私《わたくし》の親友《しんゆう》濱島武文《はまじまたけぶみ》の妻《つま》なる春枝夫人《はるえふじん》が、本國《ほんごく》の令兄《れいけい》松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》の病床《やまひ》を訪《と》はんが爲《た》めに、其《その》良君《をつと》と別《わか》れ、愛兒《あいじ》日出雄少年《ひでをせうねん》を伴《ともな》ふて、伊太利《イタリー》の國《くに》子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]港《かう》を發《はつ》し、私《わたくし》と同《おな》じ※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《ふね》で、はる/″\日本《につぽん》へ歸國《きこく》の途中《とちう》、暗黒《あんこく》なる印度洋《インドやう》の眞中《たゞなか》で恐《おそ》る可《べ》き海賊船《かいぞくせん》の襲撃《しふげき》に遭《あ》ひ、不運《ふうん》なる弦月丸《げんげつまる》の沈沒《ちんぼつ》と共《とも》に、夫人《ふじん》の生死《せいし》は未《ま》だ私《わたくし》には分《わか》らぬ次第《しだい》だが、一時《いちじ》は病《やまひ》の爲《た》めに待命中《たいめいちう》と聞《き》いた其《その》大佐《たいさ》が、今《いま》は却《かへつ》て健康《すこやか》に、此《この》新《あたら》しき軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の廻航中《くわいかうちう》とか――さては、と私《わたくし》は忽《たちま》ち思《おも》ひ當《あた》つたのでわる。先刻《せんこく》一目《ひとめ》見《み》て直《す》ぐ誰人《たれ》かに似《に》て居《を》ると想《おも》つたのは其《その》筈《はづ》よ、誰《たれ》あらう、此《この》日《ひ》の出《で》艦長《かんちやう》こそ、春枝夫人《はるえふじん》の令兄《れいけい》、日出雄少年《ひでをせうねん》の叔父君《おぢぎみ》なる松島海軍
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