》を[#「輕氣球《けいきゝゆう》を」は底本では「輕氣珠《けいきゝゆう》を」]目懸《めが》けて、襲《おそ》つて來《き》たのである。吾等《われら》兩人《りやうにん》は非常《ひじやう》に喫驚《きつきよう》した。此《この》種《しゆ》の海鳥《かいてう》は、元來《ぐわんらい》左迄《さまで》に性質《せいしつ》の猛惡《まうあく》なもので無《な》いから、此方《こなた》さへ落付《おちつ》いて居《を》れば、或《あるひ》は無難《ぶなん》に免《まぬが》れる事《こと》が出來《でき》たかも知《し》れぬが、不意《ふい》の事《こと》とて、心《しん》から顛倒《てんだう》して居《を》つたので、其樣《そん》な事《こと》を考《かんが》へ出《だ》す暇《いとま》もない、急《いそ》ぎ追《お》ひ拂《はら》ふ積《つも》りで、一發《いつぱつ》小銃《せうじう》を發射《はつしや》したのが※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、306−10]失《あやまり》であつた。彈丸《だんぐわん》は物《もの》の見事《みごと》に其《その》一羽《いちは》を斃《たを》したが、同時《どうじ》に他《た》の鳥群《てうぐん》は、吾等《われら》に敵對《てきたい》の色《いろ》があると看《み》て取《と》つたから堪《たま》らない。三羽《さんば》四羽《しは》憤怒《ふんぬ》の皷翼《はゞたき》と共《とも》に矢《や》の如《ごと》く氣球《きゝゆう》に飛掛《とびか》かる、あつといふ間《ま》に、氣球《きゝゆう》は忽《たちま》ち其《その》鋭《するど》き嘴《くちばし》に突破《つきやぶ》られた。其時《そのとき》、先刻《せんこく》の白色巡洋艦《はくしよくじゆんやうかん》は既《すで》に吾《わ》が輕氣球《けいきゝゆう》を去《さ》る事《こと》一|海里《かいり》許《ばかり》の海上《かいじやう》に進《すゝ》んで來《き》たので船《ふね》の全體《ぜんたい》も手《て》に取《と》る如《ごと》く見《み》える、今《いま》しも、ふと其《その》「ガーフ」の軍艦旗《ぐんかんき》を認《みと》めた武村兵曹《たけむらへいそう》は
『や、や、あの旗《はた》は、あの艦《ふね》は。』とばかり、焦眉《せうび》の急《きふ》も忘《わす》れて跳《をど》り立《た》つ、私《わたくし》も急《いそ》ぎ其《その》方《ほう》に眼《まなこ》を轉《てん》ぜんとしたが、時《とき》既《すで》に遲《おそ》かつた。
「ガンブロー鳥《てう》」に突破《つきやぶ》られたる輕氣球《けいきゝゆう》は、水素瓦斯《すいそぐわす》の洩《も》るゝ音《おと》と共《とも》に、キリヽ/\と天空《てんくう》を舞《ま》ひ降《くだ》つて、『あはや』といふ間《ま》に、大洋《たいやう》の眞唯中《まつたゞなか》へ落込《おちこ》んだのである。

    第二十六回 顏《かほ》と顏《かほ》と顏《かほ》
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帝國軍艦旗――虎髯大尉、本名轟大尉――端艇諸共引揚げられた――全速力――賣れた顏――誰かに似た顏――懷かしき顏
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 輕氣球《けいきゝゆう》と共《とも》に、海洋《かいやう》の唯中《たゞなか》に落込《おちこ》んだ吾等《われら》兩人《りやうにん》は、一時《いちじ》は數《すう》十|尺《しやく》深《ふか》く海底《かいてい》に沈《しづ》んだが、幸《さひはひ》にも、落下《らくか》の速力《そくりよく》の割合《わりあひ》に緩慢《くわんまん》であつた爲《ため》と、また浪《なみ》に氣球《きゝゆう》が抵杭《ていかう》した爲《ため》に、絶息《ぜつそく》する程《ほど》でもなく、再《ふたゝ》び海面《かいめん》に浮《うか》び出《い》でゝ、命《いのち》を限《かぎ》りに泳《およ》いで居《を》ると、暫《しばら》くして、彼方《かなた》の波上《はじやう》から、人《ひと》の呼聲《よびごゑ》と、櫂《オール》の音《ね》とが近《ちか》づいて來《き》て、吾等《われら》兩人《りやうにん》は遂《つひ》に情《なさけ》ある一艘《いつそう》の端艇《たんてい》に救《すく》ひ上《あ》げられたのである。今《いま》、端艇《たんてい》を出《いだ》して、吾等《われら》の九死一生《きゆうしいつしやう》の難《なん》を救《すく》つて呉《く》れたのは、疑《うたがひ》もない、先刻《せんこく》の白色巡洋艦《はくしよくじゆんやうかん》である。
端艇《たんてい》に引上《ひきあ》げられた武村兵曹《たけむらへいそう》は、此時《このとき》忽《たちま》ち叫《さけ》んだ。
『おー。矢張《やつぱり》左樣《さう》だつた! あの巡洋艦《じゆんやうかん》のガーフの旗《はた》は、我《わ》が帝國《ていこく》の軍艦旗《ぐんかんき》であつた※[#感嘆符三つ、309−2]。』と、彼《かれ》は、今《いま》しも、輕氣球《けいきゝゆう》から墮落《ついらく》の瞬間《しゆんかん》に、ちらり[#「ちらり」に傍点]と認《みと》めた同《おな》じ模樣《もやう》の海軍旗《かいぐんき》を、此《この》端艇《たんてい》の艇頭《トツプ》に見出《みいだ》したのである。
私《わたくし》も艇中《ていちう》の一同《いちどう》を見《み》て、實《じつ》に驚《おどろ》き飛立《とびた》つたよ。
『や! 帝國軍人《ていこくぐんじん》! 日本海軍々人《につぽんかいぐんぐんじん》!。』と叫《さけ》びつゝ、頭《かうべ》を廻《めぐ》らすと、此《この》端艇《たんてい》を去《さ》ること程遠《ほどとほ》からぬ洋上《やうじやう》には、先刻《せんこく》の白色巡洋艦《はくしよくじゆんやうかん》は小山《こやま》の如《ごと》き浪《なみ》に漂蕩《へうたう》しつゝ、其《その》後檣縱帆架《ガーフ》と船尾《せんび》とには、旭《あさひ》輝《かゞや》く大日本帝國《だいにつぽんていこく》の軍艦旗《ぐんかんき》は翩飜《へんぽん》と南風《なんぷう》に飜《ひるがへ》つて居《を》つた。
端艇《たんてい》の右舷《うげん》左舷《さげん》に櫂《オール》を握《にぎ》り詰《つ》めたる水兵等《すいへいら》も、吾等《われら》兩人《りようにん》の顏《かほ》を見《み》て、一齊《いつせい》に驚《おどろき》と不審《いぶかり》の眼《まなこ》を見張《みは》つた。艇尾《ていび》には色《いろ》淺黒《あさぐろ》く[#「色《いろ》淺黒《あさぐろ》く」は底本では「黒《いろ》淺黒《あさぐろ》く」]、虎髯《こぜん》を海風《かいふう》に吹《ふ》かせたる雄風《ゆうふう》堂々《どう/″\》たる海軍大尉《かいぐんたいゐ》あり、舵柄《だへい》を握《にぎ》れる身《み》を延《のば》して、『やゝ、貴下等《きから》も日本人《につぽんじん》ではないか。』とばかり、私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》の面《おもて》を見詰《みつ》めたが、西《にし》も東《ひがし》も果《はて》しなき大洋《たいやう》の面《めん》では、荒浪《あらなみ》騷《さわ》ぎ、艇《てい》跳《をど》つて、とても仔細《こま》かい話《はなし》などは出來《でき》ない、かく言《い》ふ間《ま》も巨濤《おほなみ》は、舷《げん》に碎《くだ》けて艇《てい》覆《くつがへ》らんとす、大尉《たいゐ》舵《ラタ》をば右方《うほう》に廻《まは》し、『進《すゝめ》!。』の一聲《いつせい》。端艇《たんてい》は忽《たちま》ち艇頭《ていとう》を右《みぎ》に轉《てん》じて、十二の「オール」の波《なみ》を切《き》る音《おと》と共《とも》に、本艦《ほんかん》指《さ》して矢《や》のやうに進《すゝ》んだ。
私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》とは夢《ゆめ》に夢見《ゆめみ》る心地《こゝち》。自分《じぶん》が濡鼠《ぬれねずみ》の樣《やう》になつて居《を》る事《こと》も、少《すく》なからず潮水《しほみづ》を飮《の》んで腹《はら》が苦《くる》しくなつて居《を》る事《こと》も忘《わす》れて、胸《むね》は驚《おどろき》と悦《よろこび》に、跳《をど》りつゝ、眤《じつ》と眺《なが》むる前方《かなた》の海上《かいじやう》、「ガーフ」に懷《なつ》かしき我《わ》が帝國《ていこく》の軍艦旗《ぐんかんき》を飜《ひるがへ》せるかの白色《はくしよく》の巡洋艦《じゆんやうかん》は、此邊《このへん》海底《かいてい》深《ふか》くして、錨《いかり》を投《たう》ずることも叶《かな》はねば、恰《あだか》も小山《こやま》の動搖《ゆる》ぐが如《ごと》く、右《みぎ》に左《ひだり》に漂蕩《へうたう》して居《を》る。此《この》軍艦《ふね》、排水《はいすい》噸數《とんすう》二千七百ばかり、二本《にほん》烟筒《ゑんとう》の極《きは》めて壯麗《さうれい》なる裝甲巡洋艦《さうかうじゆんやうかん》である。今《いま》しも波浪《なみ》に揉《も》まれて、此方《こなた》に廻《まは》りし其《その》艦尾《かんび》には、赫々《かく/\》たる日輪《にちりん》に照《てら》されて「日の出[#「日の出」に蛇の目傍点]」の三|字《じ》が鮮《あざや》かに讀《よ》まれた。軍艦《ぐんかん》日《ひ》の出《で》! 軍艦《ぐんかん》日《ひ》の出《で》! と私《わたくし》は何故《なぜ》ともなく二|度《ど》三|度《ど》口《くち》の中《うち》で繰返《くりかへ》す内《うち》に、端艇《たんてい》はだん/\と本艦《ほんかん》に近《ちか》くなる。軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の甲板《かんぱん》では、後部艦橋《こうぶかんけう》のほとりより軍艦旗《ぐんかんき》飜《ひるがへ》る船尾《せんび》に到《いた》るまで、多《おほ》くの乘組《のりくみ》は、列《れつ》を正《たゞ》して、我《わが》端艇《たんてい》の歸艦《きかん》を迎《むか》へて居《を》る。
頓《やが》て本艦《ほんかん》の間際《まぎは》になつたが、海《うみ》は盤水《ばんすい》を動《うご》かすがごとく、二千七百|餘《よ》噸《とん》の巨艦《きよかん》ゆらり/\と高《たか》く、低《ひく》く、我《わ》が端艇《たんてい》は秋《あき》の木《こ》の葉《は》のごとく波浪《なみ》に跳《をど》つて、迚《とて》も左舷々梯《さげんげんてい》に寄着《よりつ》く事《こと》が出來《でき》ない。水煙《すいゑん》は飛《と》ぶ、逆浪《さかなみ》は打込《うちこ》む、見上《みあ》ぐる舷門《げんもん》の邊《ほとり》、「ブルワーク」のほとり、士官《しくわん》、水兵《すいへい》頻《しき》りに叫《さけ》んで、我《わ》が艇尾《ていび》の大尉《たいゐ》は舵《ラタ》の柄《え》を碎《くだ》けんばかりに握《にぎ》り詰《つ》めて、奈落《ならく》に落《お》ち、天空《てんくう》に舞《ま》ひ、艇《てい》は幾度《いくたび》か艦《かん》の水線甲帶《すいせんかうたい》に碎《くだ》けんとしたが、漸《やうや》くの事《こと》で起重機《きぢゆうき》をもつて、我等《われら》十|餘人《よにん》の乘《の》れるまゝ端艇《たんてい》が「日《ひ》の出《で》」の甲板《かんぱん》に引揚《ひきあ》げられた時《とき》には、はじめてホツ[#「ホツ」に傍点]と一息《ひといき》ついたよ。本艦《ほんかん》は一令《いちれい》の下《した》に推進螺旋《スクルー》波《なみ》を蹴《け》つて進航《しんかう》を始《はじ》めた。規律《きりつ》正《たゞ》しき軍艦《ぐんかん》の甲板《かんぱん》、かゝる活劇《さわぎ》の間《あひだ》でも决《けつ》して其《その》態度《たいど》を亂《みだ》す樣《やう》な事《こと》はない。
『輕氣球《けいきゝゆう》が天空《てんくう》より落《お》ちた。本艦《ほんかん》より端艇《たんてい》を下《おろ》した。救《すく》ひ上《あ》げたる二個《ふたり》の人《ひと》は日本人《につぽんじん》である。一人《ひとり》は冐險家《ぼうけんか》らしい年少《ねんせう》の紳士《ゼントルマン》、他《た》の一人《ひとり》は我《わ》が海軍《かいぐん》の兵曹《へいそう》である。いぶかしや、何故《なにゆゑ》ぞ。』と、此《この》噂《うはさ》は早《はや》くも軍艦《ぐんかん》「日《ひ》の出《で》」の全體《ぜんたい》に傳《つたは》つたが、誰《た》れも其《その》本分《ほんぶん》を忘《わす》れて「どれ、どんな男《をとこ》だ」などゝ、我等《われら》の側《そば》に飛《と》んで來《く》る樣《やう》な不規律《ふきりつ》な事《こと》は少《
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