まつた》く顏色《がんしよく》を失《うしな》つた。今一息《いまひといき》といふ間際《まぎわ》になつて、此《この》異變《ゐへん》は何事《なにごと》であらう。あゝ、天《てん》は飽迄《あくまで》我等《われら》に祟《たゝ》るのかと、心《こゝろ》を焦立《いらだ》て、身《み》を藻掻《もが》いたが、如何《いかん》とも詮方《せんかた》が無《な》い。見《み》る/\内《うち》に、大陸《たいりく》の影《かげ》も名殘《なご》りなく、眼界《がんかい》の外《そと》に消《き》え失《う》せてしまうと、其内《そのうち》に風《かぜ》はだん/\烈《はげ》しくなつて來《き》て、はては印度洋《インドやう》で、著名《なだい》の颶風《タイフン》と變《かは》つてしまつた。下界《げかい》を見《み》ると眼《まなこ》も眩《くら》むばかりで、限《かぎ》りなき大洋《たいやう》の面《めん》には、波瀾《はらん》激浪《げきらう》立騷《たちさわ》ぎ、數萬《すまん》の白龍《はくりよう》の一時《いちじ》に跳《をど》るがやうで、ヒユー、ヒユーと帛《きぬ》を裂《さ》くが如《ごと》き風《かぜ》の聲《こゑ》と共《とも》に、千切《ちぎ》つた樣《やう》な白雲《はくうん》は眼前《がんぜん》を掠《かす》めて飛《と》ぶ、實《じつ》に悽愴《せいさう》極《きはま》りなき光景《くわうけい》。勿論《もちろん》、旋風《つむじかぜ》の常《つね》とて一定《いつてい》の方向《ほうかう》はなく、西《にし》に、東《ひがし》に、南《みなみ》に、北《きた》に、輕氣球《けいきゝゆう》は恰《あだか》も鵞毛《がもう》のごとく、天空《てんくう》に舞《ま》ひ揚《あが》り、舞《ま》ひ降《さが》り、マルダイヴ[#「マルダイヴ」に二重傍線]群島《ぐんたう》の上《うへ》を斜《なゝめ》に飛《と》び、ラツカダイヴ[#「ラツカダイヴ」に二重傍線]諸島《しよたう》の空《そら》を流星《りうせい》の如《ごと》く驅《かけ》つて、それから何處《いづく》へ、如何《いか》に行《ゆ》くものやら、四晝夜《しちうや》の間《あひだ》は全《まつた》く夢中《むちう》に空中《くうちう》を飛走《ひさう》したが、其《その》五日目《いつかめ》の午前《ごぜん》になつて、風《かぜ》も漸《やうや》くをさまり、氣球《きゝゆう》の動搖《どうえう》も靜《しづ》まつたので、吾等《われら》ははじめて再生《さいせい》の思《おもひ》をなし。恐《おそ》[#ルビの「おそ」は底本では「おる」]る/\搖籃《ゆれかご》から半身《はんしん》を現《あら》はして下界《げかい》を見《み》ると、今《いま》は何處《いづこ》の空《そら》に吹流《ふきなが》されたものやら、西《にし》も東《ひがし》も方角《ほうがく》さへ分《わか》らぬ程《ほど》だが、身《み》は矢張《やはり》渺々《べう/\》たる大海原《おほうなばら》の天空《てんくう》に飛揚《ひやう》して居《を》るのであつた。此處《こゝ》は地球上《ちきゆうじやう》の何《いづ》れの邊《へん》に當《あた》つて居《を》るだらうと、二人《ふたり》は首《くび》を捻《ひね》つて見《み》たが少《すこ》しも分《わか》らない。武村兵曹《たけむらへいそう》の考《かんがへ》では。最早《もはや》亞弗利加大陸《アフリカたいりく》を横斷《わうだん》して、ずつと西《にし》の方《ほう》に吹《ふ》き飛《と》ばされて、今《いま》、下邊《かへん》に見《み》ゆる大海《おほうみ》は、大西洋《たいせいやう》に[#「大西洋《たいせいやう》に」は底本では「太西洋《たいせいやう》に」]相違《さうゐ》はあるまい。と言《い》つたが、私《わたくし》はどうも左樣《さう》とは信《しん》じられなかつた。數日《すうじつ》以來《いらい》の風《かぜ》は、隨分《ずいぶん》悽《すさ》まじいものであつたが、颶風《タイフン》の常《つね》として、吾《わ》が輕氣球《けいきゝゆう》は幾度《いくたび》も同《おな》じ空《そら》に吹《ふ》き廻《まわ》されて居《を》つた樣《やう》だから、左迄《さまで》遠方《ゑんぽう》へ飛《と》ぶ氣遣《きづかひ》はない、私《わたくし》の考《かんがへ》では、下方《した》に見《み》ゆるのは矢張《やはり》印度洋《インドやう》の波《なみ》で、事《こと》によつたらマダカツスル[#「マダカツスル」に二重傍線]島《じま》の西方《せいほう》か、アデン[#「アデン」に二重傍線]灣《わん》の沖《おき》か、兎《と》に角《かく》歐羅巴《エウロツパ》邊《へん》の沿岸《えんがん》には、左程《さほど》遠《とほ》い所《ところ》ではあるまいと思《おも》はれた。
然《しか》し、今《いま》は其樣《そん》な事《こと》を悠長《いうちやう》に考《かんが》へて居《を》るべき塲合《ばあひ》でない。此時《このとき》の心痛《しんつう》は實《じつ》に非常《ひじやう》であつた。櫻木大佐《さくらぎたいさ》との約束《やくそく》の日《ひ》は既《すで》に切迫《せつぱく》して居《を》る。指《ゆび》を屈《くつ》して見《み》ると、吾等《われら》が豫定通《よていどう》りに印度國《インドこく》コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]市《し》の附近《ふきん》に降下《かうか》して、秘密藥品《ひみつやくひん》を買整《かひとゝの》へ、船《ふね》に艤裝《ぎさう》して橄欖島《かんらんたう》へ到着《たうちやく》す可《べ》き筈《はづ》の二十五|日《にち》迄《まで》には、最早《もはや》六日《むいか》を餘《あま》すのみで。約束《やくそく》の日《ひ》には、櫻木大佐《さくらぎたいさ》は日出雄少年等《ひでをせうねんら》と共《とも》に、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》に乘《じやう》じて朝日島《あさひじま》を離《はな》れ、竊《ひそ》かに橄欖島《かんらんたう》に到《いた》りて、吾等《われら》兩人《りようにん》の應援《おうゑん》を、今日《けふ》か、明日《あす》かと、待《ま》ち暮《くら》す事《こと》であらうが。今《いま》の吾等《われら》の境遇《きやうぐう》では、果《はた》して其《その》大任《たいにん》を果《はた》す事《こと》が出來《でき》るであらうか。見渡《みわた》す限《かぎ》り雲煙《うんゑん》渺茫《べうぼう》たる大空《おほぞら》[#ルビの「おほぞら」は底本では「おはぞら」]に漂蕩《へうたう》して、西《にし》も、東《ひがし》も定《さだ》めなき今《いま》、何時《いつ》大陸《たいりく》に達《たつ》して、何時《いつ》橄欖島《かんらんたう》に赴《おもむ》き得《う》べしといふ目的《あて》もなければ、其内《そのうち》に豫定《よてい》の廿五|日《にち》も※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、303−9]《す》ぎ、其後《そのご》の一週間《いつしゆうかん》も空《むな》しく※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、303−10]去《すぎさ》つたならば、櫻木大佐《さくらぎたいさ》も終《つひ》には覺悟《かくご》を定《さだ》めて、稀世《きせい》の海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》と共《とも》に、海《うみ》の藻屑《もくづ》と消《き》えてしまう事《こと》であらう。嗚呼《あゝ》、大事切迫《だいじせつぱく》/\と、私《わたくし》は武村兵曹《たけむらへいそう》と顏《かほ》を見合《みあ》はしたる儘《まゝ》、身體《しんたい》の置塲《おきば》も知《し》らぬ程《ほど》心《こゝろ》を惱《なや》まして居《を》る、時《とき》しも忽《たちま》ち見《み》る、遙《はる》か/\の水平線上《すいへいせんじやう》に薄雲《うすぐも》の如《ごと》き煙《けむり》先《ま》づ現《あら》はれ、つゞゐて鳥《とり》か船《ふね》か見《み》え分《わ》かぬ程《ほど》、一點《いつてん》ポツンと白《しろ》い影《かげ》、それが段々《だん/″\》と近《ちか》づいて來《く》るとそは一艘《いつそう》の白色巡洋艦《はくしよくじゆんやうかん》であつた。後檣縱帆架《ガーフ》に飜《ひるがへ》る旗《はた》は、まだ朦乎《ぼんやり》として、何國《いづこ》の軍艦《ぐんかん》とも分《わか》らぬが、今《いま》や、團々《だん/\》たる黒煙《こくゑん》を吐《は》きつゝ、波《なみ》を蹴立《けた》てゝ吾《わ》が輕氣球《けいきゝゆう》の飛揚《ひやう》せる方角《ほうがく》へ進航《しんかう》して來《く》るのであつた。此時《このとき》私《わたくし》は急《きふ》に一策《いつさく》を案《あん》じた。今《いま》吾等《われら》は、重大《ぢゆうだい》の使命《しめい》を帶《お》びながら、何時《いつ》大陸《たいりく》へ着《つ》くといふ目的《あて》も無《な》く、此儘《このまゝ》に空中《くうちう》に漂蕩《へうたう》して居《を》つて、其間《そのあひだ》に空《むな》しく豫定《よてい》の期日《きじつ》を經※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、304−9]《けいくわ》してしまつた事《こと》ならば、後悔《こうくわい》臍《ほぞ》を噛《か》むとも及《およ》ぶまい。幸《さひは》ひ、彼處《あれ》に見《み》ゆる白色巡洋艦《はくしよくじゆんやうかん》、あれは何國《いづこ》の軍艦《ぐんかん》で、何處《どこ》から何處《どこ》へ指《さ》しての航海中《かうかいちう》かは分《わか》らぬが、一應《いちおう》かの船《ふね》の助《たす》けを求《もと》めては如何《どう》だらう。勿論《もちろん》、吾等《われら》が空中旅行《くうちうりよかう》の目的《もくてき》と、櫻木大佐《さくらぎたいさ》の海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の秘密《ひみつ》とは、輕々《かろ/″\》しく外國船《ぐわいこくせん》などに覺《さと》られてはならぬが、それは臨機應變《りんきおうへん》に何《なに》とか言脱《いひのが》れの工夫《くふう》の無《な》いでも無《な》い。兎《と》も角《かく》も、目下《もつか》の急《きふ》丈《だ》けを、かの軍艦《ぐんかん》に助《たす》けられて、何處《いづこ》でもよい、最近《さいきん》の大陸地方《たいりくちほう》に送《おく》り屆《とゞ》けて貰《もら》つたならば、其後《そのゝち》は必死《ひつし》に奔走《ほんさう》して、如何《どう》にかして、豫定《よてい》の期日《きじつ》までに約束《やくそく》の凖備《じゆんび》を整《とゝの》へて、櫻木大佐等《さくらぎたいさら》が待《ま》てる橄欖島《かんらんたう》に到着《たうちやく》する事《こと》の出來《でき》ぬでもあるまい。
斯《か》う考《かんが》へたので、急《いそ》ぎ武村兵曹《たけむらへいそう》に談合《だんがふ》すると、兵曹《へいそう》も無論《むろん》不同意《ふどうゐ》はなく、直《たゞ》ちに白《しろ》い手巾《ハンカチーフ》を振廻《ふりまわ》して、救難《きゆうなん》の信號《しんがう》をすると、彼方《かなた》の白色巡洋艦《はくしよくじゆんやうかん》でも、吾等《われら》の輕氣球《けいきゝゆう》を認《みと》めたと見《み》え、其《その》前甲板《ぜんかんぱん》に白《しろ》と赤《あか》との旗《はた》が、上下《うへした》にヒラ/\と動《うご》くやうに見《み》えた。此《この》途端《とたん》! 武村兵曹《たけむらへいそう》は、忽《たちま》ち何者《なにもの》をか見出《みいだ》したと見《み》へ、割《わ》れるやうな聲《こゑ》で叫《さけ》んだ。
『大變《たいへん》! 大變《たいへん》! 大變《たいへん》だア』
私《わたくし》も愕然《がくぜん》として振向《ふりむ》くと、今迄《いまゝで》は白色巡洋艦《はくしよくじゆんやうかん》の一方《いつぽう》に氣《き》を取《と》られて、少《すこ》しも心付《こゝろづ》かなかつたが、只《たゞ》見《み》る、西方《せいほう》の空《そら》一面《いちめん》に「ダンブロー鳥《てう》」とて、印度洋《インドやう》に特産《とくさん》の海鳥《かいてう》――其《その》形《かたち》は鷲《わし》に似《に》て嘴《くちばし》鋭《するど》く、爪長《つめなが》く、大《おほき》[#ルビの「おほき」は底本では「おほい」]さは七|尺《しやく》乃至《ないし》一|丈《じやう》二三|尺《じやく》位《ぐら》いの巨鳥《きよてう》が、天日《てんじつ》も暗《くら》くなる迄《まで》夥《おびたゞ》しく群《ぐん》をなして、吾《わ》が輕氣球《けいきゝゆう
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