《かくご》。實《じつ》に非常《ひじやう》の手段《しゆだん》ではあるが、今《いま》の塲合《ばあひ》に於《おい》て、目的《もくてき》もなく、希望《きぼう》もなく漸《やうや》く竣成《しゆんせい》せし海底戰鬪艇《かいていせんたうてい》を目前《もくぜん》に瞻《なが》めつゝ、空《むな》しく此《この》孤島《はなれじま》に朽果《くちは》てんよりは、寧《むし》ろ吾等《われら》の採《と》る可《べ》き道《みち》は是《これ》であらう。』と、語《かた》り終《をは》つて、大佐《たいさ》は、决心《けつしん》の色《いろ》動《うご》かし難《がた》く吾等《われら》一同《いちどう》を見《み》た。無論《むろん》大佐《たいさ》の言《げん》に異議《ゐぎ》を挾《はさ》むものゝあらう筈《はづ》は無《な》く、遂《つひ》に此事《このこと》は確定《くわくてい》したが、さて、輕氣球《けいきゝゆう》に乘《の》つて、此《この》大使命《だいしめい》を果《はた》さんものは誰《たれ》ぞといふ段《だん》になつて、勇壯《ゆうさう》なる水兵等《すいへいら》は、吾先《われさき》にと[#「吾先《われさき》にと」は底本では「吾先《われさき》とに」]其《その》任《にん》に當《あた》らんと競《きそ》ひ立《た》つたが、大佐《たいさ》は思《おも》ふ所《ところ》ある如《ごと》く容易《ようゐ》に許《ゆる》さない。實《じつ》に、此《この》大使命《だいしめい》は重大《ぢゆうだい》な事《こと》である。氣球《きゝゆう》がいよ/\大陸《たいりく》の都邑《とゆう》に降下《かうか》して後《のち》、秘密藥品《ひみつやくひん》の買收《ばいしう》から、竊《ひそ》かに船《ふね》に艤裝《ぎさう》して、橄欖島《かんらんたう》へ赴《おもむ》く迄《まで》の間《あひだ》の駈引《かけひき》は尋常《じんじやう》な事《こと》で無《な》い、私《わたくし》は早《はや》くも櫻木大佐《さくらぎたいさ》の心《こゝろ》を讀《よ》み得《え》たので、自《みづか》ら進《すゝ》み出《で》た。
『此《この》大使命《だいしめい》には不肖《ふせう》ながら私《わたくし》が當《あた》りませう。』といふと大佐《たいさ》は大《おほい》に喜《よろこ》び
『實《じつ》は其《その》お言葉《ことば》を待《ま》つて居《を》つたのです。此《この》任務《にんむ》は、單《たん》に勇氣《ゆうき》と、膽力《たんりよく》とのみでは出來《でき》ません。氣球《きゝゆう》の降下《かうか》する處《ところ》は無論《むろん》異邦《ゐほう》の地《ち》、外國語《ぐわいこくご》、其他《そのた》の便宜上《べんぎじやう》、君《きみ》に依頼《ゐらい》するより他《ほか》は無《な》かつたのです。』と左右《さゆう》を顧見《かへりみ》て
『そこで、今《いま》一人《ひとり》助手《じよしゆ》として誰《だれ》か。』
『私《わたくし》が參《まい》ります。』と例《れい》の武村兵曹《たけむらへいそう》は勇躍《ゆうやく》して進《すゝ》み出《で》た。大佐《たいさ》眼《まなこ》を定《さだ》めて眤《じつ》と兵曹《へいそう》の顏《かほ》を眺《なが》め
『汝《なんぢ》、此度《このたび》の使命《しめい》の成敗《せいばい》は、我《わ》が海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》が、日本帝國《につぽんていこく》の守護《まもり》として、世《よ》に現出《げんしゆつ》する事《こと》が出來《でき》るか、否《いな》かの分《わか》れ目《め》であるぞ。極《きは》めて機敏《きびん》に、極《きは》めて愼重《しんちよう》なれ。』
兵曹《へいそう》言《ことば》はなく、涙《なみだ》[#ルビの「なみだ」は底本では「なんだ」]を垂《た》れて大佐《たいさ》の顏《かほ》を見返《みかへ》した。
斯《か》く大使命《だいしめい》の役《やく》も私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》とに定《さだ》まると、本島《ほんたう》に殘《のこ》る櫻木大佐等《さくらぎたいさら》と吾等《われら》兩人《りようにん》との間《あひだ》には、極《きは》めて細密《さいみつ》なる打合《うちあは》せを要《えう》するのである。其《その》打合《うちあは》せは斯《か》うであつた。今日《けふ》は二|月《ぐわつ》の十二|日《にち》、風《かぜ》の方向《ほうかう》は極《きわ》めて順當《じゆんたう》であるから、本日《ほんじつ》輕氣球《けいきゝゆう》が此《この》島《しま》を出發《しゆつぱつ》すれば、印度洋《インドやう》の大空《おほそら》を横斷《わうだん》して、來《きた》る十六|日《にち》か十七|日《にち》には、大陸《たいりく》で一番《いちばん》に近《ちか》い印度國《インドこく》コロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]市《し》の附近《ふきん》に降下《かうか》する事《こと》が出來《でき》るであらう。其處《そこ》で秘密藥品《ひみつやくひん》の買入《かひい》れや、船舶《せんぱく》の雇入《やとひい》れに五日間《いつかかん》を費《ついや》すとして吾等《われら》が橄欖島《かんらんたう》に赴《おもむ》く事《こと》の出來《でき》るのは、本月《ほんげつ》の廿四|日《か》から廿七八|日《にち》迄《まで》の間《あひだ》と豫定《よてい》せらるゝから、櫻木大佐等《さくらぎたいさら》は二十四|日《か》の夜半《やはん》に電光艇《でんくわうてい》に乘《じやう》じて、本島《ほんたう》を離《はな》れ、其《その》翌日《よくじつ》の拂曉《ふつぎよう》には、橄欖島《かんらんたう》の島蔭《しまかげ》に到着《たうちやく》する約束《やくそく》。そこで、何方《どちら》でも、早《はや》く橄欖島《かんらんたう》に到着《たうちやく》した方《ほう》は、向《むか》ふ一週間《いつしゆうかん》の間《あひだ》、其《その》島《しま》の附近《ふきん》で待合《まちあ》はせ、一週間《いつしゆうかん》※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、297−5]《すぎ》て後《のち》も他《た》の一方《いつぽう》が見《み》えぬ時《とき》には、最早《もはや》運命《うんめい》の盡《つき》と覺悟《かくご》を定《さだ》める筈《はづ》であつた。
此《この》打合《うちあは》せが終《をは》ると、大佐《たいさ》の命令《めいれい》で、輕氣球《けいきゝゆう》は海岸《かいがん》の砂上《しやじやう》に引出《ひきいだ》され、水素瓦斯《すいそがす》は充分《じふぶん》に滿《み》たされ、數日分《すうじつぶん》の食料《しよくれう》と、飮料水《いんれうすい》と、藥品《やくひん》の買入《かひい》れや、船舶《せんぱく》の雇入《やとひい》れの爲《た》めに費《つひや》す可《べ》き、巨額《きよがく》の金銀貨《きんぎんくわ》の積込《つみこ》みも終《をは》ると、私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》とは身輕《みがる》に旅裝《たびじたく》を整《とゝの》へて搖籃《ゆれかご》の中《なか》へと乘込《のりこ》んだ。あゝ、之《これ》が一生《いつしやう》の別《わか》れとなるかも分《わか》らぬ。櫻木大佐《さくらぎたいさ》も、日出雄少年《ひでをせうねん》も、默《だま》つて吾等《われら》兩人《りやうにん》の顏《かほ》を眺《なが》め、力《ちから》を込《こ》めて吾等《われら》の手《て》を握《にぎ》つた。一隊《いつたい》三十|有餘名《いうよめい》の三年《さんねん》以來《いらい》の馴染《なじみ》の水兵等《すいへいら》は、別《わかれ》を惜《をし》まんとて、輕氣球《けいきゝゆう》の周圍《ぐるり》を取卷《とりま》いたが、誰《たれ》も一言《いちごん》も發《はつ》する者《もの》が無《な》い、中《なか》には感慨《かんがい》極《きはま》つて、涙《なみだ》を流《なが》した者《もの》もあつた。私《わたくし》も武村兵曹《たけむらへいそう》も實《じつ》に心《こゝろ》で泣《な》いたよ。此時《このとき》、吾等《われら》一同《いちどう》の沈默《ちんもく》は、千萬言《せんまんげん》よりも深《ふか》い意味《ゐみ》を有《いう》して居《を》るのであつた。
兎角《とかく》する程《ほど》に結《むす》びの綱《つな》は解《と》かれて、吾等《われら》兩人《りやうにん》を乘《の》せたる輕氣球《けいきゝゆう》は、遂《つひ》に勢《いきほひ》よく昇騰《しようたう》をはじめた。櫻木大佐等《さくらぎたいさら》は一齊《いつせい》にハンカチーフを振《ふ》つた。武村兵曹《たけむらへいそう》と私《わたくし》とは、帽《ぼう》を脱《だつ》して下方《した》を瞻《なが》めたが、風《かぜ》は南《みなみ》から北《きた》へと、吾《わ》が輕氣球《けいきゝゆう》は、三千|數《すう》百|尺《しやく》の大空《たいくう》を、次第《しだい》/\に大陸《たいりく》の方《ほう》へと、やがて、住《す》み馴《な》れし朝日島《あさひじま》も、蒼渺《さうべう》たる水平線上《すいへいせんじやう》に豆《まめ》のやうになつて消《き》え去《さ》つた。

    第二十五回 白色巡洋艦《はくしよくじゆんやうかん》
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大陸の影――矢の如く空中を飛走した――ポツンと白い物――海鳥の群――「ガーフ」の軍艦旗――や、や、あの旗は! あの艦は!
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 朝日島《あさひじま》を去《さ》つてから、三日《みつか》は何事《なにごと》もなく※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、299−4]去《すぎさ》つた。吾等《われら》兩人《りやうにん》を乘《の》せたる輕氣球《けいきゝゆう》は、印度洋《インドやう》の天空《てんくう》を横切《よこぎ》つて、北《きた》へ/\と二千哩《にせんマイル》以上《いじやう》も、櫻木大佐等《さくらぎたいさら》の家《いへ》から離《はな》れたと思《おも》はるゝ頃《ころ》、遙《はる》か/\の天《てん》の一角《いつかく》に、雲《くも》か、煙《けぶり》のやうに、大陸《たいりく》の影《かげ》が認《みと》められた。私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》とは眼《め》[#ルビの「め」は底本では「み」]を見合《みあ》はせて、はじめてホツと一息《ひといき》ついた。あの大陸《たいりく》は、疑《うたがひ》も無《な》き印度《インド》の大陸《たいりく》であらう。すると、今《いま》から三四|時間《じかん》の後《のち》には、目的《もくてき》のコロンボ[#「コロンボ」に二重傍線]市《し》の附近《ふきん》に降下《かうか》して、櫻木大佐《さくらぎたいさ》より委任《いにん》されたる、此度《このたび》の大役《たいやく》をも首尾《しゆび》よく果《はた》す事《こと》が出來《でき》るであらうと、互《たがひ》に喜悦《きえつ》の眉《まゆ》を展《ひら》く時《とき》しも、又々《また/\》一大《いちだい》異變《ゐへん》が起《おこ》つた。それは他《ほか》でも無《な》い、今迄《いまゝで》は恰《あだか》も天《てん》の恩惠《おんけい》の如《ごと》く、極《きは》めて順當《じゆんたう》に、南《みなみ》から北《きた》へと、吾《わ》が輕氣球《けいきゝゆう》をだん/″\陸地《りくち》の方《ほう》へ吹《ふ》き送《おく》つて居《を》つた風《かぜ》が、此時《このとき》、俄然《がぜん》として、東《ひがし》から西《にし》へと變《かは》つた事《こと》である。はじめ朝日島《あさひじま》を出《い》づる時《とき》、櫻木大佐《さくらぎたいさ》は天文《てんもん》を觀測《くわんそく》して、多分《たぶん》此《この》三四|日《か》の間《あひだ》は、風位《ふうゐ》に激變《げきへん》は無《な》からうと言《い》はれたが、天《てん》の仕業《しわざ》程《ほど》豫知《よち》し難《がた》いものはない。此《この》東風《ひがしかぜ》が吹《ふ》いて來《き》た爲《ため》に、吾《わ》が輕氣球《けいきゝゆう》は、忽《たちま》ち進行《しんかう》の方向《ほうかう》を變《へん》じて、今度《こんど》は、陸《りく》の方面《ほうめん》[#ルビの「ほうめん」は底本では「ほんめん」]から斜《なゝめ》に、海洋《かいやう》の方《ほう》へと吹《ふ》きやられた。私《わたくし》と武村兵曹《たけむらへいそう》とは今迄《いまゝで》の喜悦《よろこび》も何處《どこ》へやら、驚愕《おどろき》と憂慮《うれひ》とのために、全《
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