まくん》よ、心豐《こゝろゆた》かにいよ/\榮《さか》え玉《たま》へ、君《きみ》が夫人《ふじん》と愛兒《あいじ》の御身《おんみ》は、此《この》柳川《やながは》の生命《いのち》にかけても守護《しゆご》しまいらすべし。』と答《こた》へると彼《かれ》は莞爾《につこ》と打笑《うちえ》み、こも/″\三人《みたり》と握手《あくしゆ》して、其儘《そのまゝ》舷梯《げんてい》を降《くだ》り、先刻《せんこく》から待受《まちう》けて居《を》つた小蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《こじやうきせん》に身《み》を移《うつ》すと、小蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《こじやうきせん》は忽《たちま》ち波《なみ》を蹴立《けた》てゝ、波止塲《はとば》の方《かた》へと歸《かへ》つて行《ゆ》く、其《その》仇浪《あだなみ》の立騷《たちさわ》ぐ邊《ほとり》海鳥《かいてう》二三|羽《ば》夢《ゆめ》に鳴《な》いて、うたゝ旅客《たびゞと》の膓《はらわた》を斷《た》つばかり、日出雄少年《ひでをせうねん》は無邪氣《むじやき》である
『あら、父君《おとつさん》は單獨《ひとり》で何處《どこ》へいらつしやつたの、もうお皈《かへ》りにはならないのですか。』と母君《はゝぎみ》の纎手《て》に依《よ》りすがると春枝夫人《はるえふじん》は凛々《りゝ》しとはいひ、女心《をんなごゝろ》のそゞろに哀《あはれ》を催《もよほ》して、愁然《しゆうぜん》と見送《みおく》る良人《をつと》の行方《ゆくかた》、月《つき》は白晝《まひる》のやうに明《あきらか》だが、小蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《こじようきせん》の形《かたち》は次第々々《しだい/\》に朧《おぼろ》になつて、殘《のこ》る煙《けむり》のみぞ長《なが》き名殘《なごり》を留《とゞ》めた。
『夫人《おくさん》、すこし、甲板《デツキ》の上《うへ》でも逍遙《さんぽ》して見《み》ませうか。』と私《わたくし》は二人《ふたり》を誘《いざな》つた。かく氣《き》の沈《しづ》んで居《を》る時《とき》には、賑《にぎ》はしき光景《くわうけい》にても眺《なが》めなば、幾分《いくぶん》か心《こゝろ》を慰《なぐさ》むる因《よすが》ともならんと考《かんが》へたので、私《わたくし》は兩人《ふたり》を引連《ひきつ》れて、此時《このとき》一|番《ばん》に賑《にぎ》はしく見《み》えた船首《せんしゆ》の方《かた》へ歩《ほ》を移《うつ》した。
最早《もはや》、出港《しゆつかう》の時刻《じこく》も迫《せま》つて居《を》る事《こと》とて、此邊《このへん》は仲々《なか/\》の混雜《こんざつ》であつた。輕《かろ》き服裝《ふくさう》せる船丁等《ボーイら》は宙《ちう》になつて驅《か》けめぐり、逞《たく》ましき骨格《こつかく》せる夥多《あまた》の船員等《せんゐんら》は自己《おの》が持塲《もちば》/\に列《れつ》を作《つく》りて、後部《こうぶ》の舷梯《げんてい》は既《すで》に引揚《ひきあ》げられたり。今《いま》しも船首甲板《せんしゆかんぱん》に於《お》ける一等運轉手《チーフメート》の指揮《しき》の下《した》に、はや一|團《だん》の水夫等《すいふら》は捲揚機《ウインチ》の周圍《しゆうゐ》に走《は》せ集《あつま》つて、次《つぎ》の一|令《れい》と共《とも》に錨鎖《べうさ》を卷揚《まきあ》げん身構《みがまへ》。船橋《せんけう》の上《うへ》にはビール樽《だる》のやうに肥滿《ひまん》した船長《せんちやう》が、赤《あか》き頬髯《ほゝひげ》を捻《ひね》りつゝ傲然《がうぜん》と四|方《はう》を睥睨《へいげい》して居《を》る。私《わたくし》は三々五々《さん/\ごゞ》群《むれ》をなして、其處此處《そここゝ》に立《た》つて居《を》る、顏色《いろ》の際立《きはだ》つて白《しろ》い白耳義人《ベルギーじん》や、「コスメチツク」で鼻髯《ひげ》を劍《けん》のやうに塗《ぬ》り固《かた》めた佛蘭西《フランス》の若紳士《わかしんし》や、あまりに酒《さけ》を飮《の》んで酒《さけ》のために鼻《はな》の赤《あか》くなつた獨逸《ドイツ》の陸軍士官《りくぐんしくわん》や、其他《そのほか》美人《びじん》の標本《へうほん》ともいふ可《べ》き伊太利《イタリー》の女俳優《をんなはいゆう》や、色《いろ》の無暗《むやみ》に黒《くろ》い印度《インド》邊《へん》の大富豪《おほがねもち》の船客等《せんきやくら》の間《あひだ》に立交《たちまじら》つて、此《この》目醒《めざ》ましき光景《くわうけい》を見廻《みまは》しつゝ、春枝夫人《はるえふじん》とくさ/″\の物語《ものがたり》をして居《を》つたが、此時《このとき》不意《ふい》にだ、實《じつ》に不意《ふい》に私《わたくし》の背部《うしろ》で、『や、や、や、しまつたゾ。』と一度《いちど》に※[#「口+斗」、32−5]《さけ》ぶ水夫《すゐふ》の聲《こゑ》、同時《どうじ》に物《もの》あり、甲板《かんぱん》に落《お》ちて微塵《みじん》に碎《くだ》けた物音《ものおと》のしたので、私《わたくし》は急《いそ》ぎ振返《ふりかへ》つて見《み》ると、其處《そこ》では今《いま》しも、二三の水夫《すゐふ》が滑車《くわつしや》をもつて前檣《ぜんしやう》高《たか》く掲《かゝ》げんとした一個《いつこ》の白色燈《はくしよくとう》――それは船《ふね》が航海中《かうかいちゆう》、安全《あんぜん》進航《しんかう》の表章《ひやうしよう》となるべき球形《きゆうけい》の檣燈《しやうとう》が、何《なに》かの機會《はづみ》で糸《いと》の縁《えん》を離《はな》れて、檣上《しやうじやう》二十|呎《フヒート》ばかりの所《ところ》から流星《りうせい》の如《ごと》く落下《らくか》して、あはやと言《い》ふ間《ま》に船長《せんちやう》が立《た》てる船橋《せんけう》に衝《あた》つて、燈《とう》は微塵《みじん》に碎《くだ》け、燈光《とうくわう》はパツと消《き》える、船長《せんちやう》驚《おどろ》いて身《み》を躱《かわ》す拍子《へうし》に足《あし》踏滑《ふみすべ》らして、船橋《せんけう》の階段《かいだん》を二三|段《だん》眞逆《まつさかさま》に落《お》ちた。水夫《すゐふ》共《ども》は『あツ』とばかり顏《かほ》の色《いろ》を變《かへ》た。船長《せんちやう》は周章《あは》てゝ起上《おきあが》つたが、怒氣《どき》滿面《まんめん》、けれど自己《おの》が醜態《しゆうたい》に怒《おこ》る事《こと》も出來《でき》ず、ビール樽《だる》のやうな腹《はら》に手《て》を當《あ》てゝ、物凄《ものすご》い眼《まなこ》に水夫《すゐふ》共《ども》を睨《にら》み付《つ》けると、此時《このとき》私《わたくし》の傍《かたはら》には鬚《ひげ》の長《なが》い、頭《あたま》の禿《はげ》た、如何《いか》にも古風《こふう》らしい一個《ひとり》の英國人《エイこくじん》が立《た》つて居《を》つたが、此《この》活劇《ありさま》を見《み》るより、ぶるぶる[#「ぶるぶる」に傍点]と身慄《みぶるひ》して
『あゝ、あゝ、縁起《えんぎ》でもない、南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》! 此《この》船《ふね》に惡魔《あくま》が魅《みいつ》て居《ゐ》なければよいが。』と呟《つぶや》いた。
えい。また御幣《ごへい》擔《かつ》ぎ! 今日《けふ》は何《な》んといふ日《ひ》だらう。
勿論《もちろん》、此樣《こんな》事《こと》には何《なに》も深《ふか》い仔細《しさい》のあらう筈《はづ》はない。つまり偶然《ぐうぜん》の出來事《できごと》には相違《さうゐ》ないのだが、私《わたくし》は何《なん》となく異樣《ゐやう》に感《かん》じたよ。誰《たれ》でも左樣《さう》だが、戰爭《いくさ》の首途《かどで》とか、旅行《たび》の首途《かどで》に少《すこ》しでも變《へん》な事《こと》があれば、多少《たせう》氣《き》に懸《か》けずには居《を》られぬのである。特《こと》に我《わが》弦月丸《げんげつまる》は今《いま》や萬里《ばんり》の波濤《はたう》を志《こゝろざ》して、音《おと》に名高《なだか》き地中海《ちちゆうかい》、紅海《こうかい》、印度洋等《インドやうとう》の難所《なんしよ》に進《すゝ》み入《い》らんとする其《その》首途《かどで》に、※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》が安全《あんぜん》航行《かうかう》の表章《しるし》となるべき白色檣燈《はくしよくしやうとう》が微塵《みじん》に碎《くだ》けて、其《その》燈光《ともしび》は消《き》え、同時《どうじ》に、此《この》船《ふね》の主長《しゆちやう》ともいふべき船長《せんちやう》が船橋《せんけう》より墮落《ついらく》して、心《こゝろ》の不快《ふくわい》を抱《いだ》き、顏《かほ》に憤怒《ふんぬ》の相《さう》を現《あら》はしたなど、或《ある》意味《いみ》からいふと、何《なに》か此《この》弦月丸《げんげつまる》に禍《わざはひ》の起《おこ》る其《その》前兆《ぜんてう》ではあるまいかと、どうも好《よ》い心持《こゝち》はしなかつたのである。無論《むろん》此樣《こん》な妄想《もうざう》は、平生《いつも》ならば苦《く》もなく打消《うちけ》されるのだが、今日《けふ》は先刻《せんこく》から亞尼《アンニー》が、魔《ま》の日《ひ》だの魔《ま》の刻《こく》だのと言《い》つた言葉《ことば》や、濱島《はまじま》が日頃《ひごろ》に似《に》ぬ氣遣《きづか》はし氣《げ》なりし樣子《やうす》までが、一時《いちじ》に心《こゝろ》に浮《うか》んで來《き》て、非常《ひじやう》に變《へん》な心地《こゝち》がしたので、寧《むし》ろ此《この》塲《ば》を立去《たちさ》らんと、春枝夫人《はるえふじん》を見返《みか》へると、夫人《ふじん》も今《いま》の有樣《ありさま》と古風《こふう》なる英國人《エイこくじん》の獨言《ひとりごと》には幾分《いくぶん》か不快《ふくわい》を感《かん》じたと見《み》へ
『あの艫《とも》の方《はう》へでもいらつしやいませんか。』と私《わたくし》を促《うなが》しつゝ蓮歩《れんぽ》を彼方《かなた》へ移《うつ》した。
頓《やが》て船尾《せんび》の方《かた》へ來《き》て見《み》ると、此處《こゝ》は人影《ひとかげ》も稀《まれ》で、既《すで》に洗淨《せんじよう》を終《をは》つて、幾分《いくぶん》の水氣《すゐき》を帶《お》びて居《を》る甲板《かんぱん》の上《うへ》には、月《つき》の色《ひかり》も一段《いちだん》と冴渡《さへわた》つて居《を》る。
『矢張《やはり》靜《しづ》かな所《ところ》が宜《よ》う厶《ござ》いますねえ。』と春枝夫人《はるえふじん》は此時《このとき》淋《さび》しき笑《えみ》を浮《うか》べて、日出雄少年《ひでをせうねん》と共《とも》にずつと船端《せんたん》へ行《い》つて、鐵欄《てすり》に凭《もた》れて遙《はる》かなる埠頭《はとば》の方《はう》を眺《なが》めつゝ
『日出雄《ひでを》や、あの向《むか》ふに見《み》える高《たか》い山《やま》を覺《おぼ》えておいでかえ。』と住馴《すみな》れし子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]市街《まち》の東南《とうなん》に聳《そび》ゆる山《やま》を指《ゆびざ》すと、日出雄少年《ひでをせうねん》は
『モリス[#「モリス」に二重傍線]山《ざん》でせう、私《わたくし》はよつく覺《おぼ》えて居《ゐ》ますよ。』とパツチリとした眼《め》で母君《はゝぎみ》の顏《かほ》を見上《みあ》げた。
『おゝ、それなら、あの電氣燈《でんきとう》が澤山《たくさん》に輝《かゞや》いて、大《おほ》きな煙筒《けむりだし》が五|本《ほん》も六|本《ぽん》も並《なら》んで居《を》る處《ところ》は――。』
『サンガロー[#「サンガロー」に二重傍線]街《まち》――おつかさん、私《わたくし》の家《いへ》も彼處《あそこ》にあるんですねえ。』と少年《せうねん》は兩手《りようて》を鐵欄《てすり》の上《うへ》に載《の》せて
『父君《おとつさん》はもう家《うち》へお皈《かへ》りになつたでせうか。』
『おゝ、お皈《かへ》りになりま
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