等《われら》の胸《むね》を打《う》つたのは、櫻木大佐等《さくらぎたいさら》の乘込《のりこ》める海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の安否《あんぴ》である。天《てん》は暗《くら》い、地《ち》も暗《くら》い、海《うみ》の面《おもて》は激浪《げきらう》逆卷《さかま》き、水煙《すいゑん》跳《をど》つて、咫尺《しせき》も辨《べん》ぜぬ有樣《ありさま》、私《わたくし》は氣《き》も氣《き》でなく、直《たゞ》ちに球燈《きゆうとう》を點《てん》じて驅《か》け出《だ》すと、日出雄少年《ひでをせうねん》も水兵等《すいへいら》も齊《ひと》しく手《て》に/\松明《たいまつ》をかざして、斷崖《だんがい》の尖端《せんたん》に立《た》ち、聲《こゑ》を限《かぎ》りに叫《さけ》びつゝ火光《くわくわう》を縱横《じゆうわう》に振廻《ふりまわ》した。吾等《われら》の叫聲《さけびごゑ》は忽《たちま》ち怒濤《どたう》の響《ひゞき》に打消《うちけ》されてしまつたが、只《たゞ》見《み》る、黒暗々《こくあん/\》たる遙《はる》か/\の沖《おき》に當《あた》つて、一點《いつてん》の燈光《とうくわう》ピカリ/\。
まさしく、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》よりの夜間信號《やかんしんがう》!
其《その》信號《しんがう》に曰《いは》く
 電光艇《でんくわうてい》は無事《ぶじ》なり! 電光艇《でんくわうてい》は無事《ぶじ》なり!

    第二十三回 十二の樽《たる》
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海底戰鬪艇の生命――人煙の稀な橄欖島――鐵の扉は微塵――天上から地獄の底――其樣な無謀な事は出來ません――無念の涙
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 大海嘯《おほつなみ》後《ご》の光景《くわうけい》は、實《じつ》に慘憺《さんたん》たるものであつた。
翌朝《よくてう》になつて見《み》ると、海潮《かいてう》は殆《ほとん》ど平常《へいじやう》に復《ふく》したが、見渡《みわた》す限《かぎ》り、海岸《かいがん》は、濁浪《だくらう》怒濤《どたう》の爲《ため》に荒《あら》されて、昨日《きのふ》美《うる》はしく飾立《かざりた》てゝあつた砂上《しやじやう》の清正《きよまさ》の人形《にんぎよう》も、二見《ふたみ》ヶ|浦《うら》の模形《もけい》も、椰子林《やしばやし》の陣屋《ぢんや》も、何處《いづく》へ押流《おしなが》されたか影《かげ》も形《かたち》もなく、秘密造船所《ひみつざうせんじよ》も一時《いちじ》は全《まつた》く海水《かいすい》に浸《ひた》されたと見《み》えて、水面《すいめん》から餘程《よほど》高《たか》い屏風岩《べうぶいわ》の尖頭《せんとう》にも、醜《みにく》き海草《かいさう》の殘《のこ》されて、其《その》海草《かいさう》から滴《したゝ》り落《お》つる水玉《みづたま》に、朝日《あさひ》の光《ひかり》の異樣《ゐやう》に反射《はんしや》して居《を》るなど、實《じつ》に荒凉《くわうりよう》たる有樣《ありさま》であつた。
此時《このとき》、電光艇《でんくわうてい》は遙《はる》かの沖《おき》から海岸《かいがん》に近《ちかづ》き來《きた》り、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は、無事《ぶじ》に一隊《いつたい》の水兵《すいへい》と共《とも》に上陸《じやうりく》して來《き》たので、陸上《りくじやう》の一同《いちどう》は直《たゞ》ちに其處《そこ》に驅付《かけつ》けた。吾等《われら》の爲《ため》には、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》が無事《ぶじ》であつた事《こと》が何《な》より※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しい。
私《わたくし》は滿面《まんめん》に笑《えみ》を湛《たゝ》えて大佐《たいさ》の手《て》を握《にぎ》り、かゝる災難《さいなん》の間《あひだ》にも互《たがひ》の身《み》の無事《ぶじ》なりし事《こと》をよろこび、さて
『昨夜《さくや》、海上《かいじやう》の光景《くわうけい》はどんなでしたか。』と言《い》ひながら、しげ/\と大佐《たいさ》の顏《かほ》を眺《なが》めたが、實《じつ》に驚《おどろ》いた。日頃《ひごろ》沈着《ちんちやく》で、何事《なにごと》にも動顛《どうてん》した事《こと》のない大佐《たいさ》の面《おもて》には、此時《このとき》何故《なにゆゑ》か、心痛《しんつう》極《きはま》りなき色《いろ》が見《み》えたのである。大佐《たいさ》ばかりでない、快活《くわいくわつ》なる武村兵曹《たけむらへいそう》も、其他《そのた》の水兵等《すいへいら》も、電光艇《でんくわうてい》より上陸《じやうりく》した一同《いちどう》は、悉《こと/″\》く色蒼《いろあほ》ざめ、頭《かうべ》を垂《た》れて、何事《なにごと》をか深《ふか》く考《かんが》へて居《を》る樣子《やうす》。
私《わたくし》は胸《むね》うたれて、急《いそ》ぎ問《と》ひかけた。
『何《なに》か變《かは》つた事《こと》でも起《おこ》りましたか、若《も》しや、昨夜《さくや》の海嘯《つなみ》のために、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》に破損《はそん》でも生《せう》じたのではありませんか。』
『否《いや》。』と大佐《たいさ》は靜《しづ》かに顏《かほ》を上《あ》げた。
『電光艇《でんくわうてい》の船體《せんたい》には、何《なに》も異状《ゐじやう》はありませんが――。』といひながら、眤《じつ》と私《わたくし》の顏《かほ》を眺《なが》めて
『然《しか》し、昨夜《さくや》の海嘯《つなみ》は、吾等《われら》一同《いちどう》を希望《きぼう》の天上《てんじやう》より、絶望《ぜつぼう》の谷底《たにそこ》へ蹴落《けおと》したと思《おも》はれます。』
『な、な、何故《なぜ》ですか。』と、陸《りく》の仲間《なかま》は一時《いちじ》に顏色《がんしよく》を變《か》へたのである。大佐《たいさ》は、直《たゞ》ちに此《この》問《とひ》には答《こた》へんとはせで、頭《かうべ》を廻《めぐ》らして、彼方《かなた》なる屏風岩《べうぶいわ》の方《ほう》を眺《なが》めたが、沈欝《ちんうつ》なる調子《ちようし》で
『君《きみ》は今朝《こんてう》になつて、秘密造船所《ひみつざうせんじよ》[#「秘密造船所《ひみつざうせんじよ》」は底本では「秘密船造所《ひみつざうせんじよ》」]の内部《ないぶ》を檢査《けんさ》しましたか。』
『いや、未《ま》だです。』と私《わたくし》は答《こた》へた。若《も》し、大海嘯《おほつなみ》が今《いま》から二三|日《にち》以前《いぜん》の事《こと》で、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》が未《ま》だ船渠《ドツク》を出《で》ぬ内《うち》なら、第一《だいいち》に警戒《けいかい》すべき塲所《ばしよ》は其處《そこ》だが、今《いま》は、左迄《さま》で急《いそ》いで、檢査《けんさ》する必要《ひつえう》も無《な》いと考《かんが》へたのである。然《しか》るに、大佐《たいさ》の言葉《ことば》と、其《その》顏色《かほいろ》とで察《さつ》すると、其《その》心痛《しんつう》の源《みなもと》は何《な》んでも其處《そこ》に起《おこ》つたらしい、私《わたくし》は急《いそ》ぎ言《げん》をつゞけた。
『未《ま》だ實見《じつけん》はしませんが、御覽《ごらん》の通《とう》り、海面《かいめん》から餘程《よほど》高《たか》いあの屏風岩《べうぶいわ》の尖頭《せんとう》にも、海草《かいさう》が打上《うちあ》げられた程《ほど》ですから、秘密造船所《ひみつざうせんじよ》の内部《ないぶ》は無論《むろん》海潮《かいてう》の浸入《しんにう》のために、大損害《だいそんがい》を蒙《かうむ》つた事《こと》でせう、それが何《なに》か憂《うれ》ふ可《べ》き事《こと》の原因《げんゐん》となるのですか。』
『無論《むろん》です。』と大佐《たいさ》は胸《むね》に手《て》を措《お》いて
『君《きみ》は忘《わす》れましたか、秘密造船所《ひみつざうせんじよ》の中《なか》には、未《ま》だ海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の生命《せいめい》の殘《のこ》されて居《を》つた事《こと》を。』
『海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》[#「海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》」は底本では「海底戰艇鬪《かいていせんとうてい》」]の生命《せいめい》とは。』と、私《わたくし》は審《いぶか》つた。
『十二の樽《たる》です。君《きみ》も御存《ごぞん》じの如《ごと》く、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の總《すべ》ての機關《きくわん》は、秘密《ひみつ》なる十二|種《しゆ》の化學藥液《くわがくやくえき》の作用《さよう》で活動《くわつどう》するのでせう、其《その》活動《くわつどう》の根源《もと》となる可《べ》き藥液《やくえき》は、盡《ことごと》く十二の樽《たる》に密封《みつぷう》されて、造船所《ざうせんじよ》内《ない》の一部《いちぶ》に貯藏《ちよぞう》されてあつたのだが、あゝ、昨夜《さくや》の大海嘯《おほつなみ》では其《その》一個《いつこ》も無事《ぶじ》では居《を》るまい、イヤ、决《けつ》して無事《ぶじ》で居《を》る筈《はづ》はありません。』
『え、え、え。』と、初《はじ》めて此事《このこと》に氣付《きづ》いた吾等《われら》一|同《どう》は、殆《ほとん》ど卒倒《そつたう》するばかりに愕《おどろ》いた。大佐《たいさ》は深《ふか》き嘆息《ためいき》を洩《もら》して
『恐《おそ》らく私《わたくし》の想像《さうぞう》は誤《あやま》るまい、實《じつ》に天《てん》の禍《わざはひ》は人間《にんげん》の力《ちから》の及《およ》ぶ處《ところ》ではないが、今更《いまさら》斯《かゝ》る災難《さいなん》に遭《あ》ふとは、實《じつ》に無情《なさけな》い次第《しだい》です。今《いま》、十二の樽《たる》が盡《ことごと》く流失《りうしつ》したものならば、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の神變《しんぺん》不思議《ふしぎ》の力《ちから》も、最早《もはや》活用《くわつよう》するに道《みち》が無《な》いのです。丁度《ちやうど》普通《ふつう》の蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《じようきせん》に石炭《せきたん》の缺乏《けつぼう》したと同《おな》じ事《こと》で、波上《はじやう》に停止《ていし》したまゝ、朽果《くちは》つるの他《ほか》はありません。勿論《もちろん》、電光艇《でんくわうてい》には試運轉式《しうんてんしき》の時《とき》に積入《つみい》れた發動藥液《はつどうやくえき》が、今《いま》も多少《たせう》は殘《のこ》つて居《を》るが、艇《てい》に殘《のこ》つて居《を》る丈《だ》けでは、一千|海里《かいり》以上《いじやう》を進航《しんこう》するに足《た》らぬ程《ほど》で、本島《ほんとう》から一千|海里《かいり》といへば此處《こゝ》から一番《いちばん》に近《ちか》いあの人煙《じんゑん》の稀《まれ》なるマルダイ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82][#「マルダイ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」に二重傍線]群島《ぐんたう》の一《ひと》つ橄欖島《かんらんたう》の附近《ふきん》までは到達《たうたつ》する事《こと》は出來《でき》ませうが、橄欖島《かんらんたう》へ達《たつ》した所《ところ》で何《なん》にもならない、却《かへつ》て其處《そこ》で、全然《ぜんぜん》進退《しんたい》の自由《じゆう》を失《うしな》つたら夫《それ》こそ大變《たいへん》、自《みづか》ら進《すゝ》んで奇禍《きくわ》を招《まね》くやうなものです。橄欖島《かんらんたう》は荒凉《くわうりやう》たる島《しま》、とても其《その》種《しゆ》の發動藥液《はつどうやくえき》を得《う》る事《こと》は出來《でき》ず、其他《そのた》の諸島《しよたう》、又《また》は大陸《たいりく》に通信《つうしん》して、供給《きようきふ》を仰《あほ》ぐといふ事《こと》も、决《けつ》して出來《でき》る事《こと》では無《な》いのです。加《くわ》ふるに橄欖島《かんらんたう》の附近《ふきん》には、始終《しじう》有名《いうめい》なる海賊船《かいぞくせん》が横行《わうかう》し、また屡々《しば/\》、歐洲
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