ふ》り、大喝采《だいかつさい》をやる積《つも》りだ。
九|時《じ》三十|分《ぷん》、第二《だいに》の砲聲《ほうせい》と共《とも》に、我《わ》が驚《おどろ》く可《べ》き海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》は遂《つひ》に海中《かいちう》に進水《しんすい》した。艇長《ていちやう》百三十|呎《フヒート》、全面《ぜんめん》雪白《せつはく》の電光艇《でんくわうてい》が、靜《しづ》かに[#「靜《しづ》かに」は底本では「靜《しづ》がに」]波上《はじやう》に泛《うか》んだ時《とき》の勇《いさ》ましさ、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は軍刀《ぐんたう》をかざして觀外塔上《くわんぐわいたふじやう》に立《た》ち、一聲《いつせい》[#ルビの「いつせい」は底本では「いつせん」]叫《さけ》ぶ號令《がうれい》の下《した》に、艇《てい》は流星《りうせい》の如《ごと》く疾走《しつさう》した、第二《だいに》の號令《がうれい》と共《とも》に、甲板《かんぱん》は自然《しぜん》に閉《と》ぢ、水煙《すいゑん》空《そら》に飛《と》ぶよと見《み》えし、艇《てい》は忽然《こつぜん》波底《はてい》に沈《しづ》み、沈《しづ》んでは浮《うか》び、浮《うか》んでは沈《しづ》み、右《みぎ》に、左《ひだり》に、前《まへ》に、後《うしろ》に、神出鬼沒《しんしゆつきぼつ》の活動《くわつどう》は、げにや天魔《てんま》の業《わざ》かと疑《うたが》はるゝ、折《をり》から遙《はる》かの沖《おき》に當《あた》つて、小山《こやま》の如《ごと》き數頭《すうとう》の鯨群《くじらのむれ》は、潮《うしほ》を吹《ふ》いて游《およ》いで來《き》た。物《もの》の數《かず》にも足《た》らぬ海獸《かいじう》なれど、あれを敵國《てきこく》の艦隊《かんたい》に譬《たと》ふれば如何《いか》にと、電光艇《でんくわうてい》は矢庭《やにわ》に三尖衝角《さんせんしようかく》を運轉《うんてん》して、疾風《しつぷう》電雷《でんらい》の如《ごと》く突進《とつしん》すれば、あはれ、海《うみ》の王《わう》なる巨鯨《きよげい》の五頭《ごとう》七頭《しちとう》は微塵《みぢん》となつて、浪《なみ》を血汐《ちしほ》に染《そ》めた。更《さら》に新式魚形水雷《しんしきぎよけいすいらい》の實力《じつりよく》如何《いか》にと、艇《てい》は海底《かいてい》を龍《りよう》の如《ごと》[#ルビの「ごと」は底本では「ごく」]く疾走《しつさう》しつゝ洋上《やうじやう》の巨巖《きよがん》[#「巨巖《きよがん》」は底本では「巨嚴《きよがん》」]目掛《めが》けて射出《ゐいだ》す一發《いつぱつ》二發《にはつ》、巨巖《きよがん》碎《くだ》け飛《と》んで、破片《はへん》波《なみ》に跳《をど》つた。忽《たちま》ち電光艇《でんくわうてい》の甲板《かんぱん》には歡呼《くわんこ》の聲《こゑ》が起《おこ》つた。それと同時《どうじ》に、吾等《われら》陸上《りくじやう》の一同《いちどう》は萬歳《ばんざい》を叫《さけ》ぶ、花火《はなび》を揚《あ》げる、旗《はた》を振《ふ》る、日出雄少年《ひでをせうねん》は夢中《むちう》になつて、猛犬稻妻《まうけんいなづま》と共《とも》に、飛鳥《ひちやう》の如《ごと》く海岸《かいがん》の砂《すな》を蹴立《けた》てゝ奔走《ほんさう》した。實《じつ》に此《この》島《しま》在《あ》つて以來《いらい》の大盛况《だいせいけう》※[#感嘆符三つ、277−1]
兎角《とかく》する程《ほど》に、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》は[#「海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》は」は底本では「海底戰國艇《かいていせんとうてい》は」]試運轉《しうんてん》を終《をは》り、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は再《ふたゝ》び一隊《いつたい》を指揮《しき》して上陸《じやうりく》した。電光艇《でんくわうてい》は恰《あだか》も勇士《ゆうし》の憩《いこ》うが如《ごと》く、海岸《かいがん》間近《まぢか》く停泊《ていはく》して居《を》る。
さて夫《それ》よりは、紀元節《きげんせつ》の祝賀《しゆくが》と、此《この》大《おほい》なる成功《せいこう》の祝《いわひ》とで沸《わ》くが如《ごと》き騷《さわ》ぎ、夜《よる》になると、兼《かね》て設《まう》けられたる海岸《かいがん》の陣屋《ぢんや》で大祝賀會《だいしゆくがくわい》が始《はじ》まつた。其塲《そのば》の盛况《せいけう》は筆《ふで》にも言葉《ことば》にも盡《つく》されない。茶番《ちやばん》をやる水兵《すいへい》もある、軍樂《ぐんがく》を奏《そう》する仲間《なかま》もある、武村兵曹《たけむらへいそう》は得意《とくい》に、薩摩琵琶《さつまびわ》『河中島《かはなかじま》』の一段《いちだん》を語《かた》つた。此《この》男《をとこ》に、此樣《こん》な隱《かく》し藝《げい》があらうとは今日《けふ》まで氣付《きづ》かなかつた。特《こと》に櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》の朗々《らう/\》たる詩吟《しぎん》につれて、何時《いつ》覺《おぼ》えたか、日出雄少年《ひでをせうねん》の勇《いさ》ましき劍舞《けんぶ》は當夜《たうや》の華《はな》で、私《わたくし》が無藝《むげい》のために、只更《ひたすら》頭《あたま》を掻《か》いたのと共《とも》に、大拍手《だいはくしゆ》大喝釆《だいかつさい》であつた。
かくて、此《この》會《くわい》の全《まつた》く終《をは》つたのは夜《よる》の十一|時《じ》※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、278−1]《すぎ》であつた。櫻木大佐《さくらぎたいさ》は、すでに海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》も海上《かいじやう》に浮《うか》んだので、其《その》甲板《かんぱん》を守《まも》らんが爲《た》めに、武村兵曹《たけむらへいそう》をはじめ一隊《いつたい》の水兵《すいへい》を引卒《いんそつ》して艇中《ていちう》に赴《おもむ》いた。殘《のこ》り一群《いちぐん》の水兵《すいへい》と、私《わたくし》と、日出雄少年《ひでをせうねん》とは、未《ま》だ艇《てい》に乘組《のりく》む必要《ひつえう》も無《な》いので、再《ふたゝ》び海岸《かいがん》の家《いへ》へ歸《かへ》つたのである。
誰《だれ》でも左樣《さう》だが、非常《ひじやう》に※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しい時《とき》にはとても睡眠《すいみん》などの出來《でき》るものでない。で、家《いへ》に歸《かへ》つたる吾等《われら》の仲間《なかま》は、それからまた一室《ひとま》に集《あつま》つて、種々《しゆ/″\》の雜談《ざうだん》に耽《ふけ》つた。※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]《まど》の硝子越《がらすご》しに海上《かいじやう》を眺《なが》めると、電光艇《でんくわうてい》は星《ほし》の光《ひかり》を浴《あ》びて悠然《いうぜん》と波上《はじやう》に浮《うか》んで居《を》る、あゝ此《この》艇《てい》もかく竣成《しゆんせい》した以上《いじやう》は、今《いま》から一週間《いつしゆうかん》か、十|日《か》以内《いない》には、萬端《ばんたん》の凖備《じゆんび》を終《をは》つて、此《この》島《しま》を出發《しゆつぱつ》する事《こと》が出來《でき》るであらう。此《この》島《しま》を出發《しゆつぱつ》したらもう締《しめ》たものだ、一時間《いちじかん》百海里《ひやくかいり》前後《ぜんご》の大速力《だいそくりよく》は、印度洋《インドやう》を横切《よこぎ》り、支那海《シナかい》を※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、278−12]《す》ぎ、懷《なつ》かしき日本海《につぽんかい》の波上《はじやう》より、仰《あほ》いで芙蓉《ふえう》の峰《みね》を拜《はい》する事《こと》も遠《とほ》い事《こと》ではあるまい。無邪氣《むじやき》なる水兵等《すいへいら》の想像《さうぞう》するが如《ごと》く、其時《そのとき》の光景《くわうけい》はまあどんなであらう。電光艇《でんくわうてい》の評判《ひやうばん》、櫻木大佐《さくらぎたいさ》の榮譽《ほまれ》、各自《めい/\》の胸《むね》にある種々《しゆ/″\》の樂《たのし》み、それ等《ら》は管々《くだ/\》しく言《い》ふに及《およ》ばぬ。一度《いちど》死《し》んだと思《おも》はれた日出雄少年《ひでをせうねん》と、私《わたくし》とが、無事《ぶじ》に此《この》譽《ほまれ》ある電光艇《でんくわうてい》と共《とも》に世《よ》に現《あら》はれて來《き》たと聞《き》いたなら、ネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]に在《あ》る濱島武文《はまじまたけぶみ》――若《も》しまた春枝夫人《はるえふじん》が此世《このよ》にあるものならば、如何《いか》に驚《おどろ》き且《か》つ喜《よろこ》ぶ事《こと》であらう。斯《か》う考《かんが》へると、實《じつ》に愉快《ゆくわい》で/\堪《たま》らぬ、今《いま》や吾等《われら》の眼《まなこ》には、たゞ希望《きぼう》の光《ひかり》の輝《かゞや》くのみで、誰《たれ》か人間《にんげん》の幸福《さひはひ》を嫉《ねた》む惡魔《あくま》の手《て》が、斯《かゝ》る時《とき》――かゝる間際《まぎは》に兎角《とかく》大厄難《だいやくなん》を誘起《ひきおこ》すものであるなどゝ心付《こゝろづ》く者《もの》があらう。
然《しか》るに、人間《にんげん》の萬事《ばんじ》は、實《じつ》に意外《いぐわい》の又《また》意外《いぐわい》、此《この》喜悦《よろこび》の最中《さいちう》に非常《ひじやう》な事變《じへん》が起《おこ》つた。
刻《こく》は、草木《くさき》も眠《ねむ》る、一時《いちじ》と二時《にじ》との間《あひだ》、談話《だんわ》暫時《しばし》途絶《とだ》えた時《とき》、ふと、耳《みゝ》を澄《すま》すと、何處《いづこ》ともなく轟々《ごう/\》と、恰《あだか》も遠雷《えんらい》の轟《とゞろ》くが如《ごと》き響《ひゞき》、同時《どうじ》に戸外《こぐわい》では、猛犬稻妻《まうけんいなづま》がけたゝましく吠立《ほえた》てるので、吾等《われら》は驚《おどろ》いて立上《たちあが》る、途端《とたん》もあらせず! 響《ひゞき》は忽《たちま》ち海上《かいじやう》に當《あた》つて、天軸《てんじく》一時《いちじ》に碎《くだ》け飛《と》ぶが如《ごと》く、一陣《いちぢん》の潮風《ていふう》は波《なみ》の飛沫《とばしり》と共《とも》に、サツと室内《しつない》に吹付《ふきつ》けた。
『大海嘯《おほつなみ》! 大海嘯《おほつなみ》!。』と一同《いちどう》は絶叫《ぜつけう》したよ。
周章狼狽《あわてふためき》戸外《こぐわい》に飛出《とびだ》して見《み》ると、今迄《いまゝで》は北斗七星《ほくとしちせい》の爛々《らん/\》と輝《かゞや》いて居《を》つた空《そら》は、一面《いちめん》に墨《すみ》を流《なが》せる如《ごと》く、限《かぎ》りなき海洋《かいやう》の表面《ひやうめん》は怒濤《どたう》澎湃《ぼうはい》、水煙《すいえん》天《てん》に漲《みなぎ》つて居《を》る。
此《この》海嘯《つなみ》は後《のち》に分《わか》つたが、印度洋《インドやう》中《ちう》マルダイ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82][#「マルダイ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」に二重傍線]島《たう》附近《ふきん》の海底《かいてい》の地滑《ちすべ》りに原因《げんいん》して、亞弗利加《アフリカ》の沿岸《えんがん》から、亞剌比亞《アラビヤ》地方《ちほう》へかけて、非常《ひじやう》な損害《そんがい》を與《あた》へた相《さう》だが、其《その》餘波《よは》が此《この》孤島《はなれじま》まで押寄《おしよ》せて來《き》たのである。
兎《と》に角《かく》非常《ひじやう》な騷動《さうどう》!
幸福《さひはひ》にも吾等《われら》の家《いへ》は、斷崖《だんがい》の絶頂《ぜつてう》に建《た》てられて居《を》つたので、此《この》恐《おそ》る可《べ》き惡魔《あくま》の犧牲《ぎせい》となる事《こと》丈《だ》けは免《まぬ》かれた。けれど、それと同時《どうじ》に、第一《だいいち》に吾
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