》の白絹《しろぎぬ》をば、悉皆《すつかり》使用《しよう》してしまつた相《さう》だ。此事《このこと》を語《かた》つて櫻木大佐《さくらぎたいさ》は笑《わら》ひながら
『諸君《しよくん》は好奇心《こうきしん》から禍《わざはひ》を招《まね》いた罰《ばつ》として、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の竣成《しゆんせい》した曉《あかつき》にも、裝飾《かざり》の無《な》い船室《せんしつ》に辛房《しんぼう》せねばなりませんよ。』
一同《いちどう》はたゞ頭《あたま》を掻《か》くのみ
『はい、はい、どんな事《こと》でも/\。』と、答《こた》へたが、夫《それ》に就《つ》けても氣遣《きづか》はしきは海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の工事《こうじ》の、吾等《われら》が斯《かゝ》る騷動《さわぎ》を引起《ひきおこ》した爲《ため》に、痛《いた》く妨《さまた》げられたのではあるまいかと、私《わたくし》は口籠《くちごも》りながら問《と》ひかけると、大佐《たいさ》は悠々《いう/\》として
『いや、豫定通《よていどう》り、明日《めうにち》が試運轉式《しうんてんしき》で、それより一週間《いつしゆうかん》以内《いない》には、本島《ほんたう》を出發《しゆつぱつ》する事《こと》が出來《でき》ませう。』と言《い》ひつゝ、日出雄少年《ひでをせうねん》に向《むか》つて
『少年《せうねん》よ、待《まち》に待《ま》つたる富士山《ふじさん》を見《み》るのも遠《とほ》い事《こと》ではないよ。』
一同《いちどう》は意外《ゐぐわい》の喜悦《よろこび》に顏《かほ》を見合《みあ》はした。武村兵曹《たけむらへいそう》は我《われ》を忘《わす》れて大聲《おほごゑ》に
『ほー、えれい勢《いきほひ》だ、一方《いつぽう》では輕氣球《けいきゝゆう》を作《こしら》へながら、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》も豫定通《よていどう》りに竣成《しゆんせい》したとなると、吾等《われら》が馬鹿《ばか》を見《み》て居《を》つた間《あひだ》に、大佐閣下《たいさかくか》も、其《その》餘《よ》の水兵《すいへい》共《ども》も、寢《ね》ないで働《はたら》いた譯《わけ》だな。』
大佐《たいさ》は微笑《びせう》と共《とも》に
『武村兵曹《たけむらへいそう》、お前《まへ》の失策《しくさく》の爲《た》めに、八日間《やうかかん》一睡《いつすい》もしないで働《はたら》いた水兵《すいへい》もあつたよ。』
兵曹《へいそう》は頭《あたま》を垂《た》れた、私《わたくし》も耳《みゝ》が痛《いた》かつた。話《はなし》の間《あひだ》に、輕氣球《けいきゝゆう》は、かの恐《おそ》ろしき山《やま》と森《もり》と谷《たに》と、又《ま》た惜《をし》む可《べ》き――然《さ》れど今《いま》は要《えう》なき鐵檻車《てつおりぐるま》とを後《あと》にして、風《かぜ》のまに/\空中《くうちう》を飛行《ひかう》して、其日《そのひ》午後《ごゞ》三|時《じ》四十|分《ぷん》項《ごろ》、吾等《われら》は再《ふたゝ》び、懷《なつ》かしき海岸《かいがん》の景色《けしき》を夢《ゆめ》のやうに見《み》おろした時《とき》、海岸《かいがん》に殘《のこ》れる水兵等《すいへいら》も吾等《われら》と認《みと》めたと覺《お》ぼしく、屏風岩《べうぶいわ》の上《うへ》から、大佐《たいさ》の家《いへ》から、手《て》に/\帽《ぼう》を振《ふ》り、手巾《ハンカチーフ》を振廻《ふりまわ》しつゝ、氣球《きゝゆう》の降《くだ》ると見《み》えし海濱《うみべ》を指《さ》して、蟻《あり》のやうに集《あつま》つて來《く》る。其《その》眞先《まつさき》に砂塵《すなけむり》を蹴立《けた》てゝ、驅《かけ》つて來《く》るのはまさしく猛犬稻妻《まうけんいなづま》!
遂《つひ》に、吾等《われら》は、大佐《たいさ》の家《いへ》から四五|町《ちやう》距《へだゝ》つた海岸《かいがん》に降下《かうか》した。勢《いきほひ》よき水兵等《すいへいら》の歡呼《くわんこ》に迎《むか》へられて、輕氣球《けいききゆう》[#ルビの「けいききゆう」は底本では「けいきゆう」]を出《で》ると、日出雄少年《ひでをせうねん》は、第一《だいいち》に稻妻《いなづま》の首輪《くびわ》に抱着《だきつ》いた。二名《にめい》の水兵《すいへい》は仲間《なかま》の一群《ひとむれ》に追廻《おひま》はされて、※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]々《きゝ》と叫《さけ》びながら逃廻《にげまわ》つた。それは「命拾《いのちひろ》ひのお祝《いわひ》」に、拳骨《げんこつ》が一《ひと》つ宛《づゝ》振舞《ふるま》はれるので『之《これ》は堪《たま》らぬ』と逃《に》げ出《だ》す次第《しだい》だ。勿論《もちろん》戯謔《じやうだん》だが隨分《ずいぶん》迷惑《めいわく》な事《こと》だ。大佐《たいさ》は笑《わら》ひながら徐《しづ》かに歩《あゆ》み出《だ》すと、一同《いちどう》は吾等《われら》の前後左右《ぜんごさゆう》を取卷《とりま》いて、家路《いへぢ》に迎《むか》ふ。途中《とちう》、武村兵曹《たけむらへいそう》は大得意《だいとくい》で、ヤンヤ/\の喝釆《かつさい》の眞中《まんなか》に立《た》つて、手《て》を振《ふ》り口沫《こうまつ》を飛《とば》して、今回《こんくわい》の冐險譚《ぼうけんだん》をはじめた。此《この》男《をとこ》は正直《せうじき》だから、猛狒《ゴリラ》退治《たいぢ》の手柄話《てがらばなし》は勿論《もちろん》、自分《じぶん》の大失策《おほしくじり》をも、人一倍《ひといちばい》の大聲《おほごゑ》でやツて退《の》けた。
かくて、吾等《われら》は大暴風雨《だいぼうふうう》の後《のち》に、晴朗《うらゝか》な天氣《てんき》を見《み》るやうに、非常《ひじやう》の喜《よろこ》びを以《もつ》て大佐《たいさ》の家《いへ》に着《つ》いた。それから、吾等《われら》が命拾《いのちひろ》ひのお祝《いわ》ひやら、明日《あす》の凖備《じゆんび》やらで大騷《おほさわ》ぎ。
第二十二回 海《うみ》の禍《わざはひ》
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孤島の紀元節――海軍大佐の盛裝――海岸の夜會――少年の劍舞――人間の幸福を嫉む惡魔の手――海底の地滑り――電光艇の夜間信號
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二|月《ぐわつ》十一|日《にち》、待《まち》に待《まつ》つたる紀元節《きげんせつ》の當日《たうじつ》とはなつた。前夜《ぜんや》は、夜半《やはん》まで大騷《おほさわ》ぎをやつたが、なか/\今日《けふ》は朝寢《あさね》どころではない。拂曉《ふつげう》に目醒《めさ》めて、海岸《かいがん》へ飛出《とびだ》して見《み》ると、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》、日出雄少年《ひでをせうねん》武村兵曹等《たけむらへいそうら》は既《すで》に浪打際《なみうちぎわ》を逍遙《せうえふ》しながら、いづれも喜色滿面《きしよくまんめん》だ。大海原《おほうなばら》の東《ひがし》の極《きわみ》から、うら/\と昇《のぼ》つて來《く》る旭《あさひ》の光《ひかり》も、今日《けふ》は格別《かくべつ》に麗《うる》はしい樣《やう》だ。あの日《ひ》の出《い》づる邊《へん》、我《わが》故國《ここく》では今頃《いまごろ》は定《さだ》めて、都大路《みやこおほぢ》の繁華《はんくわ》なる處《ところ》より、深山《みやま》の奧《をく》の杣《そま》の伏屋《ふせや》に到《いた》るまで、家々《いへ/\》戸々《こゝ》に日《ひ》の丸《まる》の國旗《こくき》を飜《ひるがへ》して、御國《みくに》の榮《さかえ》を祝《いわ》つて居《を》る事《こと》であらう。吾等《われら》遠《とう》く印度洋《インドやう》の此《この》孤島《はなれじま》に距《へだゝ》つて居《を》つても、※[#「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−1−10]※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《どう》して此《この》日《ひ》を祝《いわ》はずに居《を》られやう、去年《きよねん》も、一昨年《おとゞし》も、當日《たうじつ》は終日《しうじつ》業《げふ》を休《やす》んで、心《こゝろ》ばかりの祝意《しゆくゐ》を表《ひやう》したが、今年《ことし》の今日《けふ》といふ今日《けふ》は、啻《たゞ》に本國《ほんごく》の大祭日《たいさいじつ》ばかりではない、吾等《われら》の爲《ため》には、終世《しうせい》の紀念《きねん》ともなる可《べ》き、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の首尾《しゆび》よく竣成《しゆんせい》して、初《はじ》めて海《うみ》に浮《うか》び出《で》る當日《たうじつ》であれば、其《その》目出度《めでた》さも亦《ま》た格別《かくべつ》である。昨夜《さくや》以來《いらい》我《わが》朝日島《あさひじま》の海岸《かいがん》は、手《て》の及《およ》ぶ限《かぎ》り裝飾《さうしよく》された。大佐《たいさ》の家《いへ》は隙間《すきま》もなく日《ひ》の丸《まる》の國旗《こくき》に取卷《とりま》かれて、其《その》正面《せうめん》には、見事《みごと》な緑門《アーチ》も出來《でき》た。荒浪《あらなみ》の※[#「革+堂」、第3水準1−93−80]々《どう/\》と打寄《うちよ》する岬《みさき》の一端《いつたん》には、高《たか》き旗竿《はたざほ》が立《た》てられて、一夜作《いちやづく》りの世界《せかい》※[#「一/力」、274−4]國《ばんこく》の旗《はた》は、其《その》竿頭《かんとう》から三方《さんぽう》に引《ひ》かれた綱《つな》に結《むす》ばれて、翩々《へんぺん》と風《かぜ》に靡《なび》く、其《その》頂上《てつぺん》には我《わ》が譽《ほまれ》ある日章旗《につしようき》は、恰《あだか》も列國《れつこく》を眼下《がんか》に瞰《み》おろすが如《ごと》く、勢《いきほひ》よく飜《ひるがへ》つて居《を》る。海濱《かいひん》の其處此處《そここゝ》には、毛布《ケツト》や、帆布《ほぬの》や、其他《そのほか》樣々《さま/″\》の武器等《ぶきとう》を應用《おうよう》して出來《でき》た、富士山《ふじさん》の摸形《もけい》だの、二見《ふたみ》ヶ|浦《うら》の夕景色《ゆふげしき》だの、加藤清正《かとうきよまさ》の虎退治《とらたいぢ》の人形《にんぎよう》だのが、奇麗《きれい》な砂《すな》の上《うへ》にズラリと並《なら》んだ。また彼方《かなた》では、一團《いちだん》の水兵《すいへい》がワイ/\と騷《さわ》いで居《を》るので、何事《なにごと》ぞと眺《なが》めると、其處《そこ》は小高《こだか》い丘《をか》の麓《ふもと》で、椰子《やし》や橄欖《かんらん》の葉《は》が青々《あほ/\》と茂《しげ》り、四邊《あたり》の風景《けしき》も一際《ひときわ》美《うる》はしいので、今夜《こんや》は此處《こゝ》に陣屋《ぢんや》を構《かま》へて、大祝賀會《だいしゆくがくわい》を催《もよう》すとの事《こと》、其《その》仕度《したく》に帆木綿《ほもめん》や、檣《ほばしら》の古《ふる》いのや、倚子《いす》や、テーブルを擔《かつ》ぎ出《だ》して、大騷《おほさわ》ぎの最中《さいちう》。
頓《やが》て海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》が、いよ/\秘密造船所《ひみつざうせんじよ》を出《い》づる可《べ》き筈《はづ》の午前《ごぜん》九時《くじ》になると、一發《いつぱつ》の砲聲《ほうせい》が轟《とゞろ》いた。それと同時《どうじ》に、一旦《いつたん》家《いへ》に歸《かへ》つた櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は、金《きん》モールの光《ひかり》燦爛《さんらん》たる海軍大佐《かいぐんたいさ》の盛裝《せいさう》で、一隊《いつたい》の水兵《すいへい》を指揮《しき》して、屏風岩《べうぶいわ》の下《した》なる秘密造船所《ひみつざうせんじよ》の中《なか》へと進入《すゝみい》つた。私《わたくし》と、日出雄少年《ひでをせうねん》と、他《ほか》に一群《いちぐん》の水兵《すいへい》とは、陸《りく》に留《とゞま》つて、其《その》試運轉《しうんてん》の光景《くわうけい》を眺《なが》めつゝ、花火《はなび》を揚《あ》げ、旗《はた》を振《
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