ぎ、其《その》七日目《なぬかめ》まで此《この》恐《おそ》ろしき山中《さんちゆう》に、日《ひ》を暮《くら》したが、救助《たすけ》の人《ひと》は見《み》えなかつた。鐵車《てつしや》の嚴重《げんぢゆう》なる事《こと》と、彈藥《だんやく》を夥《おびたゞ》しく用意《ようゐ》して來《き》た事《こと》とで、今日《こんにち》まで猛獸《まうじう》の害《がい》を免《まぬ》かれて居《を》るが、其内《そのうち》に困難《こんなん》を感《かん》じて來《き》たのは、糧食《りようしよく》と飮料水《いんれうすい》との缺乏《けつぼう》とである、すでに昨日《きのふ》から、糧食箱《りようしよくばこ》の中《なか》には一片《いつぺん》の蒸餅《ビスケツト》も無《な》くなつた。水樽《みづだる》は空《から》になつて鐵車内《てつしやない》の一隅《いちぐう》に横《よこたは》つた。一同《いちどう》は最早《もはや》絶望《ぜつばう》の極《きよく》に達《たつ》したのである。此《この》日《ひ》は食《く》はず、飮《の》まずに日《ひ》を暮《くら》して、苦《くる》しき一夜《いちや》は、一睡《いつすい》の夢《ゆめ》をも結《むす》ばず[#「結《むす》ばず」は底本では「結《むす》ばす」]翌朝《よくあさ》を迎《むか》へたが、まだ何《な》んの音沙汰《おとさた》も無《な》い、眺《なが》めると空《そら》には雲《くも》低《ひく》く飛《と》び、山《やま》又《また》山《やま》の彼方此處《あちこち》には、猛獸《まうじう》の※[#「口+斗」、263−7]聲《さけびごゑ》いよ/\悽《すさ》まじく、吾等《われら》の運命《うんめい》も最早《もはや》是迄《これまで》と覺悟《かくご》をしたのである。
第二十一回 空中《くうちう》の救《すく》ひ
[#ここから5字下げ]
何者にか愕いた樣子――誰かの半身が現はれて――八日前の晩――三百反の白絹――お祝の拳骨――稻妻と少年と武村兵曹
[#ここで字下げ終わり]
指《ゆび》を屈《くつ》して見《み》ると、當日《たうじつ》は吾等《われら》が海岸《かいがん》の家《いへ》を去《さ》つてから、丁度《ちやうど》九日目《こゝぬかめ》で、兼《かね》て海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の試運轉式《しうんてんしき》の日《ひ》と定《さだ》められたる紀元節《きげんせつ》の前日《ぜんじつ》である。若《も》し此樣《こん》な禍《わざはひ》が起《おこ》らなかつたなら、今頃《いまごろ》は既《すで》に大佐《たいさ》の家《いへ》に歸《かへ》つて居《を》つて、あの景色《けしき》の美《うる》はしい海岸《かいがん》の邊《へん》で、如何《いか》に愉快《ゆくわい》な日《ひ》を迎《むか》へて居《を》るだらうと考《かんが》へると、何故《なぜ》紀念塔《きねんたふ》の建立《けんりつ》を終《をは》つた時《とき》に素直《すなほ》に元《もと》來《き》た道《みち》を皈《かへ》らなかつたらうと、今更《いまさら》後悔《こうくわい》に堪《た》えぬのである。
『あゝ、今迄《いまゝで》何《なん》の音沙汰《おとさた》も無《な》いのは、稻妻《いなづま》も途中《とちう》で死《し》んでしまつたのでせう。』と、日出雄少年《ひでをせうねん》は悄然《せうぜん》として、武村兵曹《たけむらへいそう》の顏《かほ》を眺《なが》めた。
『イヤ、イヤ、稻妻《いなづま》は尋常一樣《じんじやういちやう》の犬《いぬ》[#「犬《いぬ》」は底本では「大《いぬ》」]でないから、屹度《きつと》無事《ぶじ》に海岸《かいがん》へは達《たつ》したらうが、然《しか》し、吾等《われら》の災難《さいなん》は非常《ひじやう》な事《こと》だから、大佐閣下《たいさかくか》でも容易《ようゐ》には救《すく》ひ出《だ》す策《さく》がなくつて、考慮《かんがへ》て居《ゐ》なさるのだらう。まあ/\、失望《しつぼう》しないで、生命限《いのちかぎ》り待《ま》つ事《こと》だ。』と、武村兵曹《たけむらへいそう》は態《わざ》と元氣《げんき》よく言放《いひはな》つて、日出雄少年《ひでをせうねん》の首筋《くびすぢ》を抱《いだ》いた。二名《にめい》の水兵《すいへい》は淋《さび》し氣《げ》に顏《かほ》を見合《みあは》せた。
實《じつ》に、世《よ》の中《なか》には人間《にんげん》の力《ちから》に及《およ》ぶ事《こと》と、及《およ》ばぬ事《こと》とがある。人間《にんげん》の力《ちから》に及《およ》ぶ事《こと》なら、あの智惠《ちゑ》逞《たく》ましき櫻木大佐《さくらぎたいさ》に不能《できぬ》といふ事《こと》はあるまいが、今日《けふ》まで、何《なん》の音沙汰《おとさた》の無《な》く打※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、265−4]《うちす》ぎて居《を》るのを見《み》ると、たとへ、猛犬稻妻《まうけんいなづま》は無事《ぶじ》に使命《しめい》と果《はた》したにしろ、吾等《われ/\》を此《この》危難《きなん》から救《すく》ひ出《いだ》す事《こと》は、大佐《たいさ》の智惠《ちゑ》でも迚《とて》も及《およ》ばぬのであらうと、私《わたくし》は深《ふか》く心《こゝろ》に决《けつ》したが、今《いま》の塲合《ばあひ》だから何《なに》も言《い》はない。
此時《このとき》不意《ふゐ》に、車外《しやぐわい》の猛獸《まうじう》の群《むれ》は何者《なにもの》にか愕《おどろ》いた樣子《やうす》で、一時《いちじ》に空《そら》に向《むか》つて唸《うな》り出《だ》した。途端《とたん》、何處《いづく》ともなく、微《かす》かに一發《いつぱつ》の銃聲《じうせい》!
一同《いちどう》は飛立《とびた》つて、四方《しほう》を見廻《みまわ》したが、何《なに》も見《み》えない。偖《さて》は心《こゝろ》の迷《まよひ》であつたらうかと、互《たがひ》に顏《かほ》を見合《みあは》す時《とき》、またも一發《いつぱつ》ドガン! ふと、大空《おほぞら》[#ルビの「おほぞら」は底本では「おほそら」]を仰《あほ》いだ武村兵曹《たけむらへいそう》は、破鐘《われがね》のやうに叫《さけ》んだ。
『輕氣球《けいききゆう》! 輕氣球《けいききゆう》!。』
見《み》ると、太陽《たいやう》がキラ/\と輝《かゞや》いて居《を》る東《ひがし》の方《ほう》の、赤裸《あかはだか》の山《やま》の頂《いたゞき》を斜《なゝめ》に掠《かす》めて、一個《いつこ》の大輕氣球《だいけいききゆう》が風《かぜ》のまに/\此方《こなた》に向《むか》つて飛《と》んで來《き》た。
『やア、大佐《たいさ》の叔父《おぢ》さんが、風船《ふうせん》で救《たす》けに來《き》たんだよ/\。』と日出雄少年《ひでをせうねん》は雀躍《じやくやく》した。
『早《はや》く、早《はや》く、先方《むかう》では吾等《われら》を搜索《さうさく》して居《を》るのだ、早《はや》く、此方《こなた》の所在《ありか》を知《し》らせろツ。』と、私《わたくし》が叫《さけ》ぶ聲《こゑ》の下《した》に、武村兵曹《たけむらへいそう》と二名《にめい》の水兵《すいへい》とは、此時《このとき》數個《すうこ》殘《のこ》つて居《を》つた爆裂彈《ばくれつだん》を一時《いちじ》に投《な》げ出《だ》した。山《やま》も、谷《たに》も、一時《いちじ》に顛倒《てんたう》する樣《やう》な響《ひゞき》と共《とも》に、黒煙《こくえん》パツと立昇《たちのぼ》る。猛獸羣《まうじうぐん》は不意《ふゐ》に驚《おどろ》いて、周章狼狽《あわてふためい》て逃《に》げ失《う》せる。輕氣球《けいききゆう》の上《うへ》では、忽《たちま》ち吾等《われら》の所在《ありか》を見出《みいだ》したと見《み》へ、搖藍《ゆれかご》の中《なか》から誰人《たれ》かの半身《はんしん》が現《あら》はれて、白《しろ》い手巾《ハンカチーフ》が、右《みぎ》と、左《ひだり》にフーラ/\と動《うご》いた。
頓《やが》て氣球《ききゆう》はだん/\と接近《せつきん》して、丁度《ちやうど》鐵車《てつしや》の直《すぐ》上《うへ》五十|呎《フヒート》ばかりになると、空中《くうちう》から大聲《たいせい》で
『一同《いちどう》無事《ぶじ》か。』と叫《さけ》んだのは、懷《なつ》かしや、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》の聲《こゑ》、同時《どうじ》に、今《いま》一人《ひとり》乘組《のりく》んで居《を》つた馴染《なじみ》の顏《かほ》の水兵《すいへい》が、機敏《きびん》に碇綱《いかりづな》を投《な》げると、それが巧《うま》く鐵檻車《てつおりくるま》の一端《いつたん》に止《とま》つたので、『それツ。』といふ聲《こゑ》諸共《もろとも》、吾等《われら》は鐵車《てつしや》の扉《とびら》を跳《は》ね除《の》け、猿《ましら》の如《ごと》く綱《つな》を傳《つた》つて昇《のぼ》り出《だ》した。丁度《ちやうど》此時《このとき》、一度《いちど》逃去《にげさ》つたる猛獸《まうじう》は、再《ふたゝ》び其處此處《そここゝ》の森林《もり》から現《あら》はれて來《き》たが、つる/\と空中《くうちう》に、昇《のぼ》つて行《ゆ》く吾等《われら》の姿《すがた》を見《み》て、一種《いつしゆ》異樣《ゐやう》に咆哮《ほうかう》した。遂《つひ》に、吾等《われら》五人《ごにん》は安全《あんぜん》に、輕氣球《けいきゝゆう》へ達《たつ》した。大佐《たいさ》の顏《かほ》を見《み》るより日出雄少年《ひでをせうねん》は
『叔父《おぢ》さん、稻妻《いなづま》は、稻妻《いなづま》は――。』
大佐《たいさ》は笑《わら》つて
『無事《ぶじ》だよ、無事《ぶじ》だよ。』
私《わたくし》と二名《にめい》の水兵《すいへい》とは、餘《あま》りの※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しさに一言《いちごん》も無《な》かつた。武村兵曹《たけむらへいそう》は何《なに》より前《さき》に自分《じぶん》の大失策《おほしくじり》を白状《はくじやう》して、頻《しき》りに頭《あたま》を掻《か》いた。此時《このとき》如何《いか》に※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しく、また、如何《いか》なる談話《だんわ》のあつたかは只《たゞ》諸君《しよくん》の想像《さうぞう》に任《まか》せるが、茲《こゝ》に一言《ひとこと》記《しる》して置《お》かねばならぬのは、此《この》大輕氣球《だいけいききゆう》[#ルビの「だいけいききゆう」は底本では「だいけいきゆう」]の事《こと》である。
櫻木大佐《さくらぎたいさ》の話《はな》す處《ところ》によると、此《この》日《ひ》から丁度《ちやうど》八日《やうか》前《まへ》の晩《ばん》(即《すなは》ち吾等《われら》が犬《いぬ》の使者《ししや》を送《おく》つた其日《そのひ》の夜《よる》である。)猛犬稻妻《まうけんいなづま》が數《すう》ヶ|所《しよ》の傷《きづ》を負《お》ひ、血《ち》に染《し》みて歸《かへ》つて來《き》たので、初《はじ》めて吾等《われら》の大難《だいなん》が分《わか》り、それより海岸《かいがん》の家《いへ》は沸《わ》くが如《ごと》き騷《さわ》ぎで、種々《しゆ/″\》評議《ひやうぎ》の結果《けつくわ》、此《この》危急《ききふ》を救《すく》ふには、輕氣球《けいきゝゆう》を飛《と》ばすより他《ほか》に策《さく》は無《な》いといふ事《こと》に定《さだま》つたが、氣球《ききゆう》[#ルビの「ききゆう」は底本では「きゆう」]を作《つく》る事《こと》は容易《ようゐ》な業《わざ》ではない、幸《さひはひ》にも、材料《ざいれう》は甞《かつ》て、浪《なみ》の江丸《えまる》で本島《ほんたう》に運《はこ》んで來《き》た諸《しよ》品《ひん》の内《うち》にあつたので直《たゞ》ちに着手《ちやくしゆ》したが、其爲《そのため》に少《すく》なからぬ勞力《ほねをり》と、諸種《しよしゆ》の重要《ぢゆうえう》なる藥品等《やくひんとう》を費《つひや》したは勿論《もちろん》、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の内部《ないぶ》各室《かくしつ》の裝飾用《さうしよくよう》にと、遙《は》る/″\本國《ほんごく》から携《たづさ》へて來《き》た三百|餘反《よたん
前へ
次へ
全61ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
押川 春浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング