だが、今《いま》は實《じつ》に非常《ひじやう》の塲合《ばあひ》である、非常《ひじやう》の塲合《ばあひ》には非常《ひじやう》の决心《けつしん》を要《えう》するので、若《も》し躊躇《ちうちよ》して居《を》れば、吾等《われら》一同《いちどう》はみす/\知《し》る人《ひと》も無《な》き此《この》山中《さんちう》の、草葉《くさば》の露《つゆ》と消《き》えてしまはねばならぬのであるから成敗《せいばい》は元《もと》より豫期《よき》し難《がた》いが、出來得《できう》る丈《だ》けの手段《しゆだん》は盡《つく》さねばならぬと考《かんが》へたので、遂《つひ》に意《ゐ》を决《けつ》して、吾等《われら》は此《この》急難《きふなん》をば[#「急難《きふなん》をば」は底本では「急難《きふなん》をは」]、三十|里《り》彼方《かなた》なる櫻木大佐《さくらぎたいさ》の許《もと》に報《ほう》ぜんがため、涙《なみだ》を揮《ふる》つて猛犬稻妻《まうけんいなづま》をば、此《この》恐《おそ》ろしき山中《さんちう》に使者《ししや》せしむる事《こと》となつた。私《わたくし》は直《たゞ》ちに鉛筆《えんぴつ》をとつて一書《いつしよ》を認《したゝ》めた。書面《しよめん》の文句《もんく》は斯《か》うである。
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櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》よ、世《よ》に禍《わざはひ》といふものなくば、此《この》書面《しよめん》の達《たつ》せん頃《ころ》には、吾等《われら》は再《ふたゝ》び貴下《きか》の面前《めんぜん》に立《た》つ可《べ》き筈《はづ》なりしを、今《いま》かゝる文使者《ふづかひ》を送《おく》る事《こと》の、歡《よろこ》ばしき運命《うんめい》にあらぬをば察《さつ》し玉《たま》ふ可《べ》し。貴下《きか》の委任《いにん》を受《う》けたる紀念塔《きねんたふ》の建立《けんりつ》は、首尾《しゆび》よく成就《じやうじゆ》したれども、其《その》歸途《きと》、吾等《われら》は自《みづか》ら招《まね》きたる禍《わざはひ》によりて、貴下《きか》が住《すま》へる海岸《かいがん》より、東方《とうほう》大約《おほよそ》三十|里《り》の山中《さんちう》にて、恐《おそ》る可《べ》き砂《すな》すべりの谷《たに》に陷落《かんらく》せり、砂《すな》すべりの谷《たに》は實《じつ》に死《し》の谷《たに》と呼《よ》ばるゝ如《ごと》く、吾等《われら》は最早《もはや》一寸《いつすん》も動《うご》く事《こと》能《あた》はず、加《くわ》ふるに、猛獸《まうじう》の襲撃《しふげき》は益々《ます/\》甚《はなはだ》しく、此《この》鐵檻車《てつおりのくるま》をも危《あやう》くせんとす。今《いま》は死《し》を待《ま》つばかりなり。即《すなは》ち難《なん》を貴下《きか》の許《もと》に報《ほう》ず、稻妻《いなづま》幸《さひはひ》に死《し》せずして、貴下《きか》に此《この》書《しよ》を呈《てい》するを得《え》ば、大佐《たいさ》よ、乞《こ》ふ策《はかりごと》を廻《めぐ》らして吾等《われら》の急難《きふなん》を救《すく》ひ玉《たま》へ。
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と、斯《か》く認《したゝ》めて筆《ふで》を止《と》めると、日出雄少年《ひでをせうねん》は沈《しづ》める聲《こゑ》に
『あゝ、大佐《たいさ》の叔父《おぢ》さんは、私共《わたくしども》が今日歸《けふかへ》るか、明日《あす》歸《かへ》るかと待《ま》つていらつしやる處《ところ》へ、此樣《こん》な手紙《てがみ》が行《い》つたら、どんなにか喫驚《びつくり》なさる事《こと》でせう。』と、いふと武村兵曹《たけむらへいそう》は小首《こくび》を捻《ひね》つて
『そこで、私《わたくし》の心配《しんぱい》するのは、義侠《をとこぎ》な大佐閣下《たいさかつか》は、吾等《われら》の大難《だいなん》を助《たす》けやうとして、御自身《ごじしん》に危險《きけん》をお招《まね》きになる樣《やう》な事《こと》はあるまいか。』
『其樣《そん》な事《こと》があつては濟《す》まぬね。』と私《わたくし》は直《たゞ》ちに文《ふみ》を續《つゞ》けた。
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然《さ》れど、大佐《たいさ》よ、吾等《われら》は今《いま》の塲合《ばあひ》に於《おい》て、九死《きゆうし》に一生《いつしやう》をも得難《えがた》き事《こと》をば疾《と》くに覺悟《かくご》せり。今《いま》、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の成敗《せいばい》を一身《いつしん》に擔《にな》へる貴下《きか》の身命《しんめい》は、吾等《われら》の身命《しんめい》に比《ひ》して、幾十倍《いくじふばい》日本帝國《につぽんていこく》の爲《ため》に愛惜《あいせき》すべきものなり。故《ゆゑ》に貴下《きか》が、吾等《われら》を救《すく》はんとて、強《し》いて危險《きけん》を冐《おか》すが如《ごと》きは、吾等《われら》の深《ふか》く憂《うれ》ふる處《ところ》なり。盖《けだ》し、日本《につぽん》の臣民《しんみん》は如何《いか》なる塲合《ばあひ》に於《おい》ても、其《その》身《み》を思《おも》ふよりも、國《くに》を思《おも》ふ事《こと》大《だい》なれば、若《も》し救《すく》ふに良策《りようさく》なくば、乞《こ》ふ、大義《たいぎ》の爲《ため》に吾等《われら》を見捨《みす》て玉《たま》へ、吾等《われら》も亦《ま》た運命《うんめい》に安《やす》んじて、骨《ほね》を此《この》山中《さんちう》に埋《うづ》めん。
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と、猶《な》ほ數行《すうぎやう》を書《か》き加《くわ》へて
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若《も》し、吾等《われら》が不幸《ふかう》にして、此《この》深山《しんざん》の露《つゆ》と消《き》えもせば、他日《たじつ》貴下《きか》が、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の壯麗《さうれい》なる甲板《かんぱん》より、仰《あほ》[#ルビの「あほ」は底本では「おほ」]いで芙蓉《ふえう》の峯《みね》を望《のぞ》み見《み》ん時《とき》、乞《こ》ふ吾等《われら》五名《ごめい》の者《もの》に代《かわ》りて、只《たゞ》一聲《いつせい》、大日本帝國《だいにつぽんていこく》の萬歳《ばんざい》を唱《とな》へよ、吾等《われら》も亦《ま》た幽冥《いうめい》より其《その》聲《こゑ》に和《わ》せん。
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斯《か》く認《したゝ》め終《をは》りし書面《しよめん》をば幾重《いくえ》にも疊《たゝ》み込《こ》み、稻妻《いなづま》の首輪《くびわ》に堅《かた》く結《むす》び着《つ》けた。犬《いぬ》は仰《あほ》いで私《わたくし》の顏《かほ》を眺《なが》めたので、私《わたくし》は其《その》眞黒《まつくろ》なる毛《け》をば撫《な》でながら、人間《にんげん》に物語《ものがた》るが如《ごと》く
『これ、稻妻《いなづま》、汝《おまへ》は世《よ》に勝《すぐ》れたる犬《いぬ》だから、總《すべ》ての事情《じじやう》がよく分《わか》つて居《を》るだらう、よく忍耐《しんぼう》して、大佐《たいさ》の家《いへ》に達《たつ》して呉《く》れ。』と、いふと、稻妻《いなづま》は恰《あだか》も私《わたくし》の言《げん》を解《げ》し得《え》た如《ごと》く、凛然《りんぜん》として尾《を》を掉《ふ》つた。日出雄少年《ひでをせうねん》は暗涙《あんるゐ》を浮《うか》べて
『私《わたくし》は本當《ほんたう》にお前《まへ》と別《わか》れるのが、悲《かな》しいよ、けれど運命《うんめい》だから仕方《しかた》が無《な》いのだよ、それでねえ、お前《まへ》が幸《さひはひ》に、大佐《たいさ》の叔父《おぢ》さんの家《いへ》に安着《あんちやく》して、萬一《まんいち》にも私共《わたくしども》の生命《いのち》が助《たす》かつた事《こと》なら、再《ふたゝ》び、あの景色《けしき》のよい海岸《かいがん》の砂《すな》の上《うへ》で、面白《おもしろ》く遊《あそ》ぶ事《こと》が出來《でき》ませう。若《も》し運惡《うんわる》く、お前《まへ》が途中《とちう》で死《し》んでしまつたなら、私《わたくし》も追付《おつゝ》け彼世《あのよ》で、お前《まへ》の顏《かほ》を見《み》るやうになりませうよ。』と、云《い》ふのは、既《すで》にそれと覺悟《かくご》を定《さだ》めて居《を》るのであらう、流石《さすが》に猛《たけ》き武村兵曹《たけむらへいそう》も聲《こゑ》を曇《くも》らせ
『あゝ、皆《みな》私《わたくし》が惡《わる》いのだ、私《わたくし》の失策《しくじ》つたばかりに、一同《みんな》に此樣《こん》な憂目《うきめ》を見《み》せる事《こと》か。』と深《ふか》く嘆息《たんそく》したが、忽《たちま》ち心《こゝろ》を取直《とりなほ》した樣子《やうす》で
『いや/\、女《をんな》見《み》たやうな事《こと》は言《い》ふまい。』と態《わざ》と元氣《げんき》よく、犬《いぬ》の首輪《くびわ》をポンと叩《たゝ》いて
『これ、稻妻《いなづま》、しつかりやれよ。』と屹《きつ》と其《その》面《おもて》を見詰《みつ》めた。
此時《このとき》、二名《にめい》の水兵《すいへい》は、私《わたくし》の命《めい》に從《したが》つて、犬《いぬ》を抱《いだ》いて、鐵階《てつかい》を登《のぼ》つた、鐵檻《てつおり》の車《くるま》の上《うへ》からは前《まへ》にもいふ樣《やう》に、砂《すな》すべりの谷《たに》の外《そと》へ飛出《とびで》る事《こと》の出來《でき》るのである。車外《しやぐわい》の猛獸《まうじう》は、見《み》る/\内《うち》に氣色《けしき》が變《かわ》つて來《き》た。隙《すき》を覗《うかゞ》つたる水兵《すいへい》は、サツと出口《でぐち》の扉《とびら》を排《ひら》くと、途端《とたん》、稻妻《いなづま》は、猛然《まうぜん》身《み》を跳《をど》らして、彼方《かなた》の岸《きし》へ跳上《をどりあが》る。待設《まちまう》けたる獅子《しゝ》數頭《すうとう》は、電光石火《でんくわうせきくわ》の如《ごと》く其《その》上《うへ》へ飛掛《とびかゝ》つた。五|秒《べう》、十|秒《べう》は大叫喚《だいけうくわん》、あはや、稻妻《いなづま》は喰伏《くひふ》せられたと思《おも》つたが、此《この》犬《いぬ》尋常《じんじやう》でない、忽《たちま》ちむつくと跳《は》ね起《お》きて、折《をり》[#ルビの「をり」は底本では「ぞり」]から跳《をど》り掛《かゝ》る一頭《いつとう》の雄獅《をじゝ》の咽元《のどもと》に噛付《くひつ》いて、一振《ひとふ》り振《ふ》るよと見《み》へたが、如何《いか》なる隙《すき》をや見出《みいだ》しけん、彼方《かなた》に向《むか》つて韋駄天走《ゐだてんばし》り、獅子《しゝ》の一群《いちぐん》も眞黒《まつくろ》になつて其《その》後《あと》を追掛《おひか》けた。見《み》る/\内《うち》に其《その》形《かたち》は一團《いちだん》となつて、深林《しんりん》の中《なか》に見《み》えずなつた。稻妻《いなづま》は果《はた》してよく此《この》大使命《だいしめい》を果《はた》す事《こと》が出來《でき》るであらうか。考《かんが》へて見《み》ると隨分《ずゐぶん》覺束《おぼつか》ない事《こと》だが、夫《それ》でも一縷《いちる》の望《のぞみ》の繋《つなが》る樣《やう》にも感《かん》じて、吾等《われら》は如何《いか》にもして生命《いのち》のあらん限《かぎ》り、櫻木大佐《さくらぎたいさ》の援助《たすけ》を待《ま》つ積《つも》りだ。
非常《ひじやう》な困難《こんなん》の間《あひだ》に、三日《みつか》は※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262−9]去《すぎさ》つたが、大佐《たいさ》からは何《なん》の音沙汰《おとさた》も無《な》かつた、また、左樣《さう》容易《たやす》くあるべき筈《はづ》もなく、四日《よつか》と※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262−10]《す》ぎ、五日《いつか》と※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262−10]《す》ぎ、六日《むいか》と※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262−11]《す》
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