ま》に跳《は》ね落《おと》された武村兵曹《たけむらへいそう》が『南無三《なむさん》、大變《たいへん》!。』と叫《さけ》んで飛起《とびお》きた時《とき》は、無殘《むざん》や、鐵車《てつしや》は、擂盆《すりばち》[#「擂盆《すりばち》」は底本では「※[#「木+雷」、第4水準2−15−62]盆《すりばち》」]のやうな形《かたち》をした巨大《おほき》な穴《あな》の中《なか》へ陷落《かんらく》して居《を》つた。
漸《やうやく》の事《こと》で起上《おきあが》つた水兵《すいへい》は、新月《しんげつ》の微《かすか》なる光《ひかり》に其《その》穴《あな》を眺《なが》めたが忽《たちま》ち絶叫《ぜつけう》した。
『砂《すな》すべりの谷《たに》! 砂《すな》すべりの谷《たに》!。』
讀者《どくしや》諸君《しよくん》は或《あるひ》は御存《ごぞん》じだらう、亞弗利加《アフリカ》の内地《ないち》や、又《また》は印度洋《インドやう》中《ちう》の或《ある》島《しま》には、かゝる塲所《ばしよ》のある事《こと》はよく冐險旅行記等《ぼうけんりよかうきなど》に書《か》いてあるが、此《この》「砂《すな》すべりの谷《たに》」程《ほど》世《よ》に恐《おそ》る可《べ》き所《ところ》は多《おほ》くあるまい、砂《すな》すべりの谷《たに》、一名《いちめい》を死《し》の谷《たに》と呼《よ》ばるゝ程《ほど》で、一度《いちど》此《この》穴《あな》の中《なか》へ陷落《かんらく》したるものは、到底《とうてい》免《の》がれ出《で》る事《こと》は出來《でき》ないのである。此《この》穴《あな》は外見《ぐわいけん》は左迄《さまで》巨大《きよだい》なものではない。廣《ひろ》さは直徑《さしわたし》三十ヤード位《ぐらい》、深《ふか》さは僅《わず》か一|丈《じやう》にも足《た》らぬ程《ほど》だから、鐵檻車《てつおりのくるま》の屋根《やね》へ上《のぼ》つたら、或《あるひ》は穴《あな》の外《そと》へ飛出《とびだ》す事《こと》も出來《でき》るやうだが、前《まへ》にも云《い》つた樣《やう》に擂盆《すりばち》の形《かたち》をなした穴《あな》の四邊《しへん》は實《じつ》に細微《さいび》なる砂《すな》で、此《この》砂《すな》は啻《たゞ》に細微《さいび》なるばかりではなく、一種《いつしゆ》不可思議《ふかしぎ》の粘着力《ねんちやくりよく》を有《いう》して居《を》るので、此處《こゝ》に陷落《かんらく》した者《もの》は掻《か》き上《あが》らうとしては滑《すべ》り落《お》ち、滑《すべ》り落《お》ちては砂《すな》に纒《まと》はれ、其内《そのうち》に手足《てあし》の自由《じゆう》を失《うしな》つて、遂《つひ》に非業《ひごふ》の最後《さいご》を遂《と》げるのである。だから吾等《われら》が海岸《かいがん》の家《いへ》を出發《しゆつぱつ》する時《とき》も、櫻木大佐《さくらぎたいさ》は繰返《くりかへ》して『砂《すな》すべりの谷《たに》を注意《ちうゐ》せよ。』と言《い》はれたが、吾等《われら》は遂《つひ》に※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、251−6]《あやま》つて、此《この》恐《おそ》る可《べ》き死《し》の谷《たに》へ陷込《おちこ》んだのである。
『あゝ、大變《たいへん》な事《こと》をやつてしまつた。』と武村兵曹《たけむらへいそう》は自分《じぶん》の失策《しくじり》に切齒《はがみ》した。
我《わ》が鐵車《てつしや》は、險山《けんざん》深林《しんりん》何處《いづく》でも活動《くわつどう》自在《じざい》だが、此《この》砂《すな》すべりの谷《たに》だけでは如何《どう》する事《こと》も出來《でき》ぬのである、萬一《まんいち》を期《き》して、非常《ひじやう》な力《ちから》で、幾度《いくたび》か車輪《しやりん》を廻轉《くわいてん》して見《み》たが全《まつた》く無效《むだ》だ。砂《すな》に喰止《くひと》まる事《こと》の出來《でき》ぬ齒輪車《はぐるま》は、一尺《いつしやく》進《すゝ》んではズル/″\、二三|尺《じやく》掻上《かきあが》つてはズル/″\。其内《そのうち》に車輪《しやりん》も次第《しだい》々々に砂《すな》に埋《う》もれて、最早《もはや》一寸《いつすん》も動《うご》かなくなつた。
『絶體絶命《ぜつたいぜつめい》!。』と一同《いちどう》は嘆息《たんそく》した。之《これ》が普通《ふつう》の塲所《ばしよ》なら、かゝる死地《しち》に落《お》ちても、鐵車《てつしや》をば此處《こゝ》に打棄《うちす》てゝ、其《その》身《み》だけ免《まぬが》れ出《で》る工夫《くふう》の無《な》いでもないが、千山《せんざん》萬峰《ばんぽう》の奧深《おくふか》く、數十里《すうじふり》四方《しほう》は全《まつた》く猛獸《まうじう》毒蛇《どくじや》の巣窟《さうくつ》で、既《すで》に此時《このとき》數十《すうじふ》の獅子《しゝ》、猛狒《ゴリラ》の類《るい》は此《この》穴《あな》の周圍《しうゐ》に牙《きば》を鳴《なら》し、爪《つめ》を磨《みが》いて居《を》るのだから、一寸《ちよつと》でも鐵檻車《てつおりくるま》の外《そと》へ出《で》たら最後《さいご》、直《たゞ》ちに無殘《むざん》の死《し》を遂《と》げてしまうのだ。イヤ出《で》なくても、人《ひと》の弱點《じやくてん》に乘《じやう》ずる事《こと》の早《はや》い猛狒《ゴリラ》は、忽《たちま》ち彼方《かなた》の崖《がけ》から此方《こなた》の鐵車《てつしや》の屋根《やね》に飛移《とびうつ》つて、鐵檻《てつおり》の間《あひだ》から猿臂《えんび》を延《のば》して、吾等《われら》を握《つか》み出《だ》さんず氣色《けしき》、吾等《われら》は一生懸命《いつせうけんめい》に小銃《せうじう》を發射《はつしや》したり、手鎗《てやり》を廻《まわ》したりして、辛《からう》じて其《その》危害《きがい》を防《ふせ》いで居《を》るが、それも何時《いつ》まで續《つゞ》く事《こと》か、夜《よ》が更《ふ》けるに從《したが》つて、猛獸《まうじう》の勢《いきほひ》は益々《ます/\》激烈《げきれつ》になつて來《き》た、かゝる時《とき》には盛《さか》んに火《ひ》を焚《た》くに限《かぎ》ると、それから用意《ようゐ》の篝火《かゞりび》をどん/″\燃《もや》して、絶《た》えず小銃《せうじう》を發射《はつしや》し、また時々《とき/″\》爆裂彈《ばくれつだん》の殘《のこ》れるを投飛《なげとば》しなどして、漸《やうや》く一夜《いちや》を明《あか》したが、夜《よ》が明《あ》けたとて仕方《しかた》がない、朝日《あさひ》はうら/\と昇《のぼ》つて、東《ひがし》の方《ほう》の赤裸《あかはだか》の山《やま》の頂《いたゞき》から吾等《われら》の顏《かほ》を照《てら》したが、一同《いちどう》生《い》きた顏色《がんしよく》は無《な》かつた。日出雄少年《ひでをせうねん》も二名《にめい》の水兵《すいへい》も默《もく》して一言《いちげん》なく、稻妻《いなづま》は終夜《よもすがら》吠《ほ》え通《とう》しに吠《ほ》えたので餘程《よほど》疲《つか》れたと見《み》え、私《わたくし》の傍《かたわら》に横《よこたは》つて居《を》る。ひとり默《だま》つて居《を》られぬのは武村兵曹《たけむらへいそう》である、彼《かれ》は自分《じぶん》の失策《しくじり》から此樣《こん》な事《こと》になつたので堪《たま》らない
『あゝ、馬鹿《ばか》な事《こと》をした/\。私《わたくし》の失策《しくじり》で、貴方《あなた》や日出雄少年《ひでをせうねん》を殺《ころ》したとなつては大佐閣下《たいさかくか》に言譯《いひわけ》がない、此《この》お詫《わ》びには成《な》るか、成《な》らぬか、一《ひと》つ命懸《いのちが》けで猛獸《まうじう》共《ども》を追拂《おつぱら》つて見《み》るのだ。』と决死《けつし》の色《いろ》で、車外《しやぐわい》へ飛出《とびだ》さうとする。
『無謀《ばか》な事《こと》をするな。』と私《わたくし》は嚴然《げんぜん》として
『武村兵曹《たけむらへいそう》、お前《まへ》に鬼神《きじん》の勇《ゆう》があればとて、あの澤山《たくさん》の猛獸《まうじう》と鬪《たゝか》つて何《なに》になる。』と矢庭《やにわ》に彼《かれ》の肩先《かたさき》を握《つか》んで後《うしろ》へ引戻《ひきもど》した。此時《このとき》猛犬稻妻《まうけんいなづま》は、一聲《いつせい》銃《するど》く唸《うな》つて立上《たちあが》つた。
『此處《こゝ》に唯《た》だ一策《いつさく》があるよ。』と私《わたくし》は一同《いちどう》に向《むか》つたのである。
『一策《いちさく》とは。』と一同《いちどう》は顏《かほ》を上《あ》げた。
『他《ほか》でもない、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》に此《この》急難《きふなん》を報知《ほうち》して救助《たすけ》を求《もと》めるのだ。』
『大佐《たいさ》に救助《たすけ》を※[#疑問符感嘆符、1−8−77]。』と一同《いちどう》は不審顏《ふしんがほ》。
成程《なるほど》、此處《こゝ》から大佐等《たいさら》の住《すま》へる海岸《かいがん》の家《いへ》までは三十|里《り》以上《いじやう》、飛《と》ぶ鳥《とり》でもなければ通《かよ》はれぬ此《この》難山《なんざん》を、如何《いか》にして目下《もつか》の急難《きふなん》を報知《ほうち》するかと審《いぶか》るのであらう。
私《わたくし》は决然《けつぜん》として言《い》つた。
『猛犬稻妻《まうけんいなづま》を使者《ししや》として。』

    第二十回 猛犬《まうけん》の使者《ししや》
[#ここから5字下げ]
山又山を越えて三十里――一封の書面――あの世でか、此世でか、――此犬尋常でない――眞黒になつて其後を追ふた――水樽は空になつた
[#ここで字下げ終わり]
 西暦《せいれき》一千八百六十六|年《ねん》の墺普戰爭《オーフツせんさう》に、敵《てき》の重圍《じゆうゐ》に陷《おちい》つたる墺太利軍《オースタリーぐん》の一《いち》偵察隊《ていさつたい》は、敵《てき》の眼《まなこ》を晦《くら》まさんがため、密書《みつしよ》をば軍用犬《ぐんようけん》の首輪《くびわ》に附《ふ》して、其《その》本陣《ほんじん》に送皈《おくりかへ》したといふ逸話《いつわ》がある。近世《きんせい》では、犬《いぬ》の使命《しめい》といふ事《こと》は左迄《さまで》珍奇《ちんき》な事《こと》ではないが、それと之《これ》とは餘程《よほど》塲合《ばあひ》も異《ちが》つて居《を》るので、二名《にめい》の水兵《すいへい》は危《あや》ぶみ、武村兵曹《たけむらへいそう》は腕《うで》を拱《こまぬ》いた儘《まゝ》、眤《じつ》と稻妻《いなづま》の面《おもて》を眺《なが》めた。日出雄少年《ひでをせうねん》は憂色《うれひ》を含《ふく》んで
『それでは、稻妻《いなづま》は私共《わたくしども》と別《わか》れて、單獨《ひとり》で、此《この》淋《さび》しい、恐《おそ》ろしい山《やま》を越《こ》えて、大佐《たいさ》の叔父《おぢ》さんの家《いへ》へお使者《つかひ》に行《ゆ》くのですか。私《わたくし》は何《な》んだか心配《しんぱい》なんです、稻妻《いなづま》がいくら強《つよ》くつたつて、あの澤山《たくさん》な猛獸《まうじう》の中《なか》を、無事《ぶじ》に海岸《かいがん》[#ルビの「かいがん」は底本では「がいがん」]の家《いへ》へ歸《かへ》る事《こと》が出來《でき》ませうか。』と進《すゝ》まぬ顏《かほ》に首《くび》を頂垂《うなだ》れた。如何《いか》にも其《その》憂慮《うれひ》は道理《もつとも》である。私《わたくし》も實《じつ》は、此《この》使命《しめい》の十|中《ちう》八九までは遂《と》げらるゝ事《こと》の難《かた》きを知《し》つて居《を》る、また、三年《さんねん》以來《いらい》馴《な》れ親《した》しんで、殆《ほと》んど畜類《ちくるい》とは思《おも》はれぬ迄《まで》愛《あい》らしく思《おも》ふ此《この》稻妻《いなづま》に、些《いさゝ》かでも辛苦《しんく》は見《み》せたくないの
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