ら》ひ、其間《そのあひだ》に首尾《しゆび》よくやつて退《の》けやうといふ企《くわだて》だ。そこで用意《ようゐ》が整《とゝな》ふと、吾等《われら》は手《て》に/\一個《いつこ》宛《づゝ》の爆裂彈《ばくれつだん》を携《たづさ》へて立上《たちあが》つた。兼《かね》て用意《ようゐ》の鳥《とり》の肉《にく》を、十|斤《きん》ばかり鐵檻《てつおり》の間《あひだ》から投出《なげだ》すと、食《しよく》に飢《う》ゑたる猛獸《まうじう》は、眞黒《まつくろ》になつて其《その》上《うへ》に集《あつま》る。
それといふ合圖《あひづ》の下《した》に、一、二、三、同時《どうじ》に五個《ごゝ》の爆裂彈《ばくれつだん》は風《かぜ》を切《き》つて落下《らつか》した。忽《たちま》ち山岳《さんがく》[#ルビの「さんがく」は底本では「さくがく」]鳴動《めいどう》し、黒烟《こくゑん》朦朧《もうろう》と立昇《たちのぼ》る、其《その》黒烟《こくゑん》の絶間《たえま》に眺《なが》めると、猛狒《ゴリラ》は三頭《さんとう》共《とも》微塵《みじん》になつて碎《くだ》け死《し》んだ、獅子《しゝ》も大半《たいはん》は打斃《うちたを》れた、途端《とたん》に水兵《すいへい》が
『あれ/\、あの醜態《ざま》よう。』と指《ゆびざ》す彼方《かなた》を見渡《みわた》すと、生殘《いきのこ》つたる獅子《しゝ》の一團《いちだん》は、雲《くも》を霞《かすみ》と深林《しんりん》の中《なか》へ逃失《にげう》せた。
『それ、此《この》間《ま》に。』と武村兵曹《たけむらへいそう》は紀念塔《きねんたふ》を擔《かつ》いで走《はし》り出《で》たので、一同《いちどう》も續《つゞ》いて車外《しやぐわい》に跳《をど》り出《い》で、日出雄少年《ひでをせうねん》は見張《みはり》の役《やく》、私《わたくし》は地《つち》を掘《ほ》る、水兵《すいへい》は石《いし》を轉《まろ》ばす、武村兵曹《たけむらへいそう》は無暗《むやみ》に叫《さけ》ぶ、エンヤ/\の懸聲《かけごゑ》と共《とも》に、束《つか》の間《ま》に塔《たふ》の建立《けんりつ》は成就《じようじゆ》した。實《じつ》に此《この》間《あひだ》、時《とき》を費《つひや》す事《こと》十|分《ぷん》か、十五|分《ふん》、人間《にんげん》も一生懸命《いつせうけんめい》になると、隨分《ずいぶん》力量《ちから》の出《で》るものだよ。
紀念塔《きねんたふ》の建立《けんりつ》は終《をは》つて、吾等《われら》は五六|歩《ぽ》退《しりぞ》いて眺《なが》めると、麗《うる》はしき大理石《だいりせき》の塔《たふ》の表面《ひやうめん》には、鮮明《あざやか》に『大日本帝國新領地朝日島《だいにつぽんていこくしんりようちあさひたう》』。あゝ之《こ》れで安心《あんしん》々々、一同《いちどう》は帽《ぼう》を脱《だつ》して大日本帝國《だいにつぽんていこく》の萬歳《ばんざい》を三呼《さんこ》した。
此時《このとき》、車中《しやちう》に殘《のこ》して置《お》いた猛犬稻妻《まうけんいなづま》が急《きふ》に吼立《ほえた》てるので、頭《かしら》を廻《めぐ》らすと、今《いま》しも爐裂彈《ばくれつだん》で逃出《にげだ》したる獅子《しゝ》の一群《いちぐん》が、今度《こんど》は非常《ひじやう》な勢《いきほひ》で、彼方《かなた》の森《もり》から驀直《まつしぐら》に襲撃《しふげき》して來《き》たのである。『それツ。』と一聲《いつせい》吾等《われら》は周章狼狽《あわてふためい》て鐵檻《てつおり》の車《くるま》の中《なか》へ逃込《にげこ》んだが、危機一髮《きゝいつぱつ》、最後《さいご》に逃込《にげこ》んだ武村兵曹《たけむらへいそう》はまだ其《その》半身《はんしん》が車外《しやぐわい》にあるのに、殆《ほと》んど同時《どうじ》に飛付《とびつ》いて來《き》た雄獅子《をじゝ》のために、ズボンは滅茶苦茶《めちやくちや》に引裂《ひきさ》かれ、片足《かたあし》の靴《くつ》は無殘《むざん》に噛取《かみと》られて、命《いのち》から/″\車中《しやちう》に轉《まろ》び込《こ》んだ。つゞいて飛込《とびこ》まんとする獅子《しゝ》を目掛《めが》けて、私《わたくし》は一發《いつぱつ》ドガン、水兵《すいへい》は手鎗《てやり》て突飛《つきと》ばす、日出雄少年《ひでをせうねん》は素早《すばや》く身《み》を跳《をど》らして、入口《いりくち》の扉《とびら》をピシヤン。
『おつ魂消《たまぎ》えた/\、危《あぶ》なく生命《いのち》を棒《ぼう》に振《ふ》る處《ところ》だつた。』と流石《さすが》の武村兵曹《たけむらへいそう》も膽《きも》をつぶして、靴《くつ》無《な》き片足《かたあし》を撫《な》でゝ見《み》たが、足《あし》は幸福《さひはひ》にも御無事《ごぶじ》であつた。
既《すで》に塔《たふ》の建立《けんりつ》も終《をは》つたので、最早《もはや》歸途《きと》に向《むか》ふ一方《いつぽう》である。往復《わうふく》五日《いつか》の豫定《よてい》が、其《その》二日目《ふつかめ》には首尾《しゆび》よく歸終《きろ》に就《つ》くやうになつたのは、非常《ひじやう》な幸運《こううん》である。此《この》幸運《こううん》に乘《じやう》じて、吾等《われら》は温順《すなほ》に昨日《きのふ》の道《みち》を皈《かへ》つたならば、明日《めうにち》の今頃《いまごろ》には再《ふたゝ》び海岸《かいがん》の櫻木大佐《さくらぎたいさ》の家《いへ》に達《たつ》し、此《この》旅行《りよかう》も恙《つゝが》なく終《をは》るのであるが、人間《にんげん》は兎角《とかく》いろ/\な冐險《ぼうけん》がやつて見《み》たい者《もの》だ。
好事魔《こうじま》多《おほ》しとはよく人《ひと》の言《い》ふ處《ところ》で、私《わたくし》も其《その》理屈《りくつ》を知《し》らぬではないが、人間《にんげん》の一生《いつせう》に此樣《こん》な旅行《りよかう》は、二度《にど》も三度《さんど》もある事《こと》でない、其上《そのうへ》大佐《たいさ》と約束《やくそく》の五日目《いつかめ》までは、未《ま》た三日《みつか》の間《ひま》がある、そこで、此《この》深山《しんざん》を少《すこ》しばかり迂回《うくわい》して皈《かへ》つたとて、左程《さほど》遲《おそ》くもなるまい、また極《きわ》めて趣味《しゆみ》ある事《こと》だらうと考《かんが》へたので、私《わたくし》は發議《はつぎ》した。
『どうだ、最早《もはや》皈途《きと》に向《むか》ふのだが、之《これ》から少《すこ》し道《みち》を變《へん》じて進《すゝ》んでは、舊《ふる》き道《みち》を皈《かへ》るより、新《あたら》しい方面《ほうめん》から皈《かへ》つたら、またいろ/\珍奇《めづらし》い事《こと》も多《おほ》からう。』と話《はな》しかけると、好奇《ものずき》の武村兵曹《たけむらへいそう》は一も二もなく賛成《さんせい》だ。
『私《わたくし》も今《いま》、左樣《さう》考《かんが》へて居《を》つた處《ところ》だ、大佐閣下《たいさかくか》だつて私共《わたくしども》が、其樣《そんな》に早《はや》く歸《かへ》らうとは思《おも》つて居《ゐ》なさるまいし、それにね、約束《やくそく》の五日目《いつかめ》の晩《ばん》には、海岸《かいがん》の家《いへ》では、水兵《すいへい》共《ども》が澤山《たくさん》の御馳走《ごちさう》を作《こしら》へて待《ま》つて居《ゐ》る筈《はづ》だから、其《その》以前《いぜん》にヒヨツコリと皈《かへ》つては興《けう》が無《な》い、行《ゆ》く可《べ》し/\。』と勇《いさ》み立《た》つ。二名《にめい》の水兵《すいへい》も日出雄少年《ひでをせうねん》も大賛成《だいさんせい》なので、直《たゞ》ちに相談《さうだん》は纏《まとま》つたが、さて何處《いづれ》の方面《ほうめん》へと見渡《みわた》すと、此處《こゝ》を去《さ》る事《こと》數里《すうり》の西方《せいほう》に一個《いつこ》の高山《かうざん》がある、火山脉《くわざんみやく》の一《ひと》つと見《み》え、山《やま》の半腹《はんぷく》以上《いじやう》は赤色《せきしよく》の燒石《やけいし》の物凄《ものすご》い樣《やう》に削立《せうりつ》して居《を》るが、麓《ふもと》は限《かぎ》りもなき大深林《だいしんりん》で、深林《しんりん》の中央《ちうわう》を横斷《わうだん》して、大河《たいか》滔々《とう/\》と流《なが》れて居《を》る樣子《やうす》、其邊《そのへん》を進行《しんかう》したら隨分《ずいぶん》奇《く》しき出來事《できごと》もあらうと思《おも》つたので、直《たゞ》ちに水兵《すいへい》に命《めい》じて、鐵車《てつしや》を其《その》方向《ほうかう》に進《すゝ》めた、猛獸《まうじう》は矢張《やはり》其處此處《そここゝ》に隱見《いんけん》して居《を》るのである。
時《とき》は午後《ごゞ》の六時《ろくじ》間近《まぢか》で、夕陽《ゆふひ》は西山《せいざん》に臼《うすつ》いて居《を》る。隨分《ずいぶん》無謀《むぼう》な事《こと》だ、今頃《いまごろ》から斯《かゝ》る深林《しんりん》に向《むか》つて探險《たんけん》するのは、けれど興《けう》に乘《じやう》じたる吾等《われら》の眼中《がんちう》には、向《むか》ふ處《ところ》敵《てき》なしといふ勢《いきほひ》で、二三|里《り》進《すゝ》んで、其《その》深林《しんりん》の漸《やうや》く間近《まぢか》になつた時分《じぶん》日《ひ》は全《まつた》く暮《く》れた。すると、鎌《かま》のやうな新月《しんげつ》が物凄《ものすご》く下界《げかい》を照《てら》して來《き》たが、勿論《もちろん》道《みち》の案内《しるべ》となる程《ほど》明《あか》るくはない、加《くわ》ふるに此邊《このへん》は道《みち》いよ/\險《けわ》しく、尖《とが》つた岩角《いはかど》、蟠《わだかま》る樹《き》の根《ね》は無限《むげん》に行方《ゆくて》に横《よこたは》つて居《を》るので、鐵車《てつしや》の進歩《すゝみ》も兎角《とかく》思《おも》はしくない、運轉係《うんてんがゝり》の水兵《すいへい》も、此時《このとき》餘程《よほど》疲勞《つか》れて見《み》えたので、私《わたくし》は考《かんが》へた、人間《にんげん》の精力《ちから》には限《かぎり》がある、今《いま》からかゝる深林《しんりん》に突進《とつしん》するのは、少《すこ》し無謀《むぼう》には※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249−2]《す》ぎはせぬかと氣付《きづ》いたので、寧《むし》ろ此邊《このへん》に一泊《いつぱく》せんと、此事《このこと》を武村兵曹《たけむらへいそう》に語《かた》ると、武村兵曹《たけむらへいそう》は仲々《なか/\》聽《き》かない
『今《いま》から其樣《そんな》に弱《よわ》つては駄目《だめ》だ、何《な》んでも今夜《こんや》はあの深林《しんりん》の眞中《まんなか》で夜《よ》を明《あか》す覺悟《かくご》だ。』と元氣《げんき》よく言放《いひはな》つて立上《たちあが》り、疲《つか》れたる水兵《すいへい》に代《かわ》つて鐵車《てつしや》の運轉《うんてん》を始《はじ》めた。鐵車《てつしや》は再《ふたゝ》び猛烈《まうれつ》なる勢《いきほひ》をもつて木《き》の根《ね》を噛《か》み、岩石《がんせき》を碎《くだ》いて突進《とつしん》する。あゝ好漢《かうかん》、此《この》男《をとこ》は實《じつ》に壯快《さうくわい》な男兒《だんじ》だが、惜《をし》むらくば少《すこ》しく無鐵砲《むてつぽう》に※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249−8]《す》ぎるので、萬一《まんいち》の※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249−8]失《あやまち》が無《な》ければよいがと思《おも》ふ途端《とたん》、忽《たちま》ち
『しまつたツ。』と一聲《いつせい》、私《わたくし》も、日出雄少年《ひでをせうねん》も、水兵《すいへい》も稻妻《いなづま》も、一度《いちど》にドツと前《まへ》の方《ほう》へ打倒《うちたを》れて、運轉臺《うんてんだい》から眞逆《まつさかさ
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