《かね》ての覺悟《かくご》であつたが、此時《このとき》まで其樣《そん》な模樣《もやう》は少《すこ》しも見《み》えなかつた。四隣《しりん》は氣味《きみ》の惡《わる》い程《ほど》物靜《ものしづか》で、たゞ車輪《しやりん》の輾《きし》る音《おと》と、折《をり》ふし寂寞《じやくばく》とした森林《しんりん》の中《なか》から、啄木鳥《たくぽくてう》がコト/\と、樹《き》の幹《みき》を叩《たゝ》く音《おと》とが際立《きわだ》つて聽《きこ》ゆるのみであつたが、鐵車《てつしや》は進《すゝ》み進《すゝ》んで、今《いま》や唯《と》ある深林《しんりん》の邊《へん》に差掛《さしかゝ》つた時《とき》、日出雄少年《ひでをせうねん》[#ルビの「ひでをせうねん」は底本では「びでをせうねん」]は急《きふ》に私《わたくし》の袖《そで》を引《ひ》いた。
『獅子《しゝ》が/\。』
『獅子《しゝ》が? 何處《どこ》に?。』と一同《いちどう》は屹《きつ》となつて、其《その》指《ゆびさ》す方《かた》を眺《なが》めると、果《はた》して百《ひやく》ヤード許《ばかり》離《はな》れたる日當《ひあた》りのよき草《くさ》の上《うへ》に、一頭《いつとう》の巨大《きよだい》なる雄獅子《をじゝ》が横《よこたは》つて居《を》つたが、鐵車《てつしや》の響《ひゞき》に忽《たちま》ちムツクと起上《おきあが》り、一聲《いつせい》高《たか》く吼《ほ》えた。
『獅子《しゝ》の友呼《ともよ》び!。』と一名《いちめい》の水兵《すいへい》は※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]《さゝや》いた。成程《なるほど》遠雷《えんらい》の如《ごと》き叫聲《さけびごゑ》が野山《のやま》に響渡《ひゞきわた》ると、忽《たちま》に其處《そこ》の森《もり》からも、彼處《かしこ》の岩陰《いはかげ》からも三頭《さんとう》五頭《ごとう》と猛獸《まうじう》は群《ぐん》をなして現《あら》はれて來《き》た。獅子《しゝ》、虎《とら》、猛狒等《ゴリラなど》いづれも此《この》不思議《ふしぎ》なる鐵檻《てつおり》の車《くるま》に一時《いちじ》は喫驚《びつくり》したのであらう、容易《ようゐ》に手《て》を出《いだ》さない。
日出雄少年《ひでをせうねん》は壯快《さうくわい》なる聲《こゑ》を擧《あ》げて
『叔父《をぢ》さん/\、獅子《しゝ》なんかの方《ほう》では、屹度《きつと》私共《わたくしども》を怪物《ばけもの》だと思《おも》つて居《ゐ》るんでせうよ。』と叫《さけ》んだが全《まつた》く左樣《さう》かも知《し》れぬ 暫時《しばし》は其處此處《そここゝ》の木《こ》の間《ま》かくれに、脊《せ》を高《たか》くし、牙《きば》を鳴《な》らして此方《こなた》を睨《にら》んで居《を》つたが、それも僅《わづ》かの間《あひだ》で、獅子《しゝ》は百獸《ひやくじう》の王《わう》と呼《よ》ばるゝ程《ほど》あつて、極《きわ》めて猛勇《まうゆう》なる動物《どうぶつ》で、此時《このとき》一聲《いつせい》高《たか》く叫《さけ》んで、三頭《さんとう》四頭《しとう》鬣《たてがみ》を鳴《な》らして鐵車《てつしや》に飛掛《とびかゝ》つて來《き》た。鐵車《てつしや》は其樣《そん》な事《こと》ではビクともしない、反對《はんたい》に獸《じう》を彈飛《はじきとば》すと、百獸《ひやくじう》の王樣《わうさま》も團子《だんご》のやうに草《くさ》の上《うへ》を七顛八倒《しちてんばつたう》。吾等《われら》一同《いちどう》はドツと笑《わら》つた。虎《とら》は比較的《ひかくてき》愚《おろか》な動物《どうぶつ》で、憤然《ふんぜん》身《み》を躍《をど》らして、鐵車《てつしや》の前方《ぜんぽう》から飛付《とびつ》いたから堪《たま》らない、恐《おそ》る可《べ》き旋廻圓鋸機《せんくわいえんきよき》のために、四肢《しゝ》や、腹部《ふくぶ》を引裂《ひきさ》かれて、苦鳴《くめい》をあげて打斃《うちたを》れた。最《もつと》も狡猾《こうくわつ》なるは猛狒《ゴリラ》である。古木《こぼく》の樣《やう》な醜《みにく》き腕《うで》を延《のば》して、鐵車《てつしや》の檻《おり》を引握《ひきつか》み、力任《ちからまか》せに車《くるま》を引倒《ひきたほ》さんとするのである。猛犬稻妻《まうけんいなづま》は猛然《まうぜん》として其《その》手《て》に噛《か》み付《つ》いた。
『此奴《こやつ》、生意氣《なまいき》!。』と水兵《すいへい》は叫《さけ》んだ。
『それ發射《はつしや》!。』と私《わたくし》が叫《さけ》ぶ瞬間《しゆんかん》、日出雄少年《ひでをせうねん》は隙《すか》さず三發《さんぱつ》まで小銃《せうじう》を發射《はつしや》したが、猛狒《ゴリラ》は平氣《へいき》だ。武村兵曹《たけむらへいそう》大《おほい》に怒《いか》つて
『此《この》畜類《ちくるゐ》、まだ往生《わうじやう》しないか。』と、手頃《てごろ》の鎗《やり》を捻《ひね》つて其《その》心臟《しんぞう》を貫《つらぬ》くと、流石《さすが》の猛獸《まうじう》も堪《たま》らない、雷《いかづち》の如《ごと》く唸《うな》つて、背部《うしろ》へドツと倒《たを》れた。
『愉快《ゆくわい》々々、世界一《せかいいち》の王樣《わうさま》だつて、此樣《こん》な面白《おもしろ》い目《め》は見《み》られるものでない。』と水兵《すいへい》共《ども》は雀躍《じやくやく》した。日出雄少年《ひでをせうねん》は猛狒《ゴリラ》の死骸《しがい》を流盻《ながしめ》に見《み》やりて
『それでも、私《わたくし》は殘念《ざんねん》です、猛狒《ゴリラ》は私《わたくし》の鐵砲《てつぽう》では死《し》にませんもの。』と不平顏《ふへいがほ》。
『何《なに》、左樣《さう》でない、此《この》獸《じう》は泥土《どろ》と、松脂《まつやに》とで、毛皮《けがわ》を鐵《てつ》のやうに固《かた》めて居《を》るのだから、小銃《せうじう》の彈丸《たま》位《ぐらい》では容易《ようゐ》に貫《つらぬ》く事《こと》が出來《でき》ないのさ。』と私《わたくし》は慰《なぐさ》めた。
此《この》大騷動《だいさうどう》の後《のち》は、猛獸《まうじう》も我等《われら》の手並《てなみ》を恐《おそ》れてか、容易《ようゐ》に近《ちか》づかない、それでも此處《こゝ》を立去《たちさ》るではなく、四五間《しごけん》を距《へだ》てゝ遠卷《とほまき》に鐵檻《てつおり》の車《くるま》を取圍《とりま》きつゝ、猛然《まうぜん》と吼《ほ》えて居《を》る。慓輕《へうきん》なる武村兵曹《たけむらへいそう》は大口《おほぐち》開《あ》いてカラ/\と笑《わら》ひ
『ヤイ、ヤイ、畜類《ちくるい》、其樣《そんな》に吾等《おいら》の肉《にく》が美味《うま》相《さう》に見《み》えるのか。』とつか/\鐵檻《てつおり》の近《ちか》くに進《すゝ》み寄《よ》り
『それ此《この》拳骨《げんこつ》でも喰《くら》へ。』と大膽《だいたん》にも鐵拳《てつけん》を車外《しやぐわい》に突出《つきだ》し、猛獸《まうじう》怒《いか》つて飛付《とびつ》いて來《く》る途端《とたん》ヒヨイと其《その》手《て》を引込《ひきこ》まして
『だ、だ、駄目《だめ》だんべい。』
第十九回 猛獸隊《まうじうたい》
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自然の殿堂――爆裂彈――エンヤ/\の掛聲――片足の靴――好事魔多し――砂滑りの谷、一名死の谷――深夜の猛獸――かゞり火
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暫時《しばらく》して、吾等《われら》はまた奇妙《きめう》なものを見《み》た。それは此《この》深山《しんざん》に棲《す》んで居《を》る白頭猿《はくとうえん》と呼《よ》ばるゝ、極《きわ》めて狡猾《こうくわつ》な猴《さる》の一種《いつしゆ》で、一群《いちぐん》凡《およ》そ三十|疋《ぴき》ばかりが、數頭《すうとう》の巨大《きよだい》な象《ぞう》の背《せ》に跨《またが》つて、丁度《ちやうど》アラビヤ[#「アラビヤ」に二重傍線]の大沙漠《だいさばく》を旅行《りよかう》する隊商《たいしやう》のやうに、彼方《かなた》の山背《やまかげ》からぞろ/\と現《あら》はれて來《き》たが、我《わ》が鐵車《てつしや》を見《み》るや否《いな》や非常《ひじやう》に驚愕《おどろ》いて、奇聲《きせい》を放《はな》つて、向《むか》ふの深林《しんりん》の中《なか》へと逃《に》げ失《う》せた。かくて當日《このひ》は、二十|里《り》近《ちか》く進《すゝ》んで日《ひ》が暮《く》れたので、夜《よる》は鐵車《てつしや》をば一《いち》大樹《だいじゆ》の下蔭《したかげ》に停《とゞ》めて、終夜《しうや》篝火《かゞりび》を焚《た》き、二人《ふたり》宛《づゝ》交代《こうたい》に眠《ねむ》る積《つもり》であつたが、怒《いか》り叫《さけ》ぶ猛獸《まうじう》の聲《こゑ》に妨《さまた》げられて、安《やす》らかな夢《ゆめ》を結《むす》んだ者《もの》は一人《ひとり》も無《な》かつた。翌朝《よくあさ》は薄暗《うすくら》い内《うち》から此處《こゝ》を出發《しゆつぱつ》した。初《はじめ》の間《あひだ》は矢張《やはり》昨日《きのふ》と同《おなじ》く、數百頭《すうひやくとう》の猛獸《まうじう》は隊《たい》をなして、鐵車《てつしや》の前後《ぜんご》に隨《したが》つて追撃《ついげき》して來《き》たが、其中《そのうち》には疲勞《つかれ》のために逃去《にげさ》つたのもあらう、また吾等《われら》が絶《た》えず發射《はつしや》する彈丸《だんぐわん》のために、傷《きづゝ》き斃《たを》れたのも少《すくな》くない樣子《やうす》で、此《この》日《ひ》も既《すで》に十二三|里《り》許《ばかり》進《すゝ》みて、海岸《かいがん》なる櫻木大佐《さくらぎたいさ》の住家《すみか》からは、確《たし》かに三十|里《り》以上《いじやう》距《へだゝ》つたと思《おも》はるゝ一《ある》高山《かうざん》の絶頂《ぜつてう》に達《たつ》した時《とき》には、其《その》數《かず》も餘程《よほど》減《げん》じて、まだ執念深《しゆうねんぶか》く鐵車《てつしや》の四邊《あたり》を徘徊《はいくわい》して居《を》るのは、二十|頭《とう》許《ばかり》の雄獅子《をじゝ》と、三頭《さんとう》の巨大《きよだい》なる猛狒《ゴリラ》とのみであつた。
此《この》高山《かうざん》は、風景《ふうけい》極《きわ》めて美《うる》はしく、吾等《われら》の達《たつ》したる頂《いたゞき》は、三方《さんぽう》巖石《がんせき》が削立《せうりつ》して、自然《しぜん》に殿堂《でんどう》の形《かたち》をなし、かゝる紀念塔《きねんたふ》を建《た》つるには恰好《かつこう》の地形《ちけい》だから、遂《つひ》に此處《こゝ》に鐵車《てつしや》を停《とゞ》めた。時《とき》は午後《ごゞ》二|時《じ》四十五|分《ふん》、今《いま》から紀念塔《きねんたふ》を建立《けんりつ》するのである。
『用意《ようゐ》!。』と武村兵曹《たけむらへいそう》が叫《さけ》ぶと、二名《にめい》の水兵《すいへい》は車中《しやちう》の大旅櫃《だいトランク》の中《なか》から、一個《いつこ》の黒色《こくしよく》の函《はこ》を引出《ひきだ》して來《き》た。此《この》函《はこ》の中《なか》には、數《すう》十|個《こ》の爆裂彈《ばくれつだん》が入《はい》つて居《を》るのである。
爆裂彈《ばくれつだん》! 何《なん》の爲《ため》に? と讀者《どくしや》諸君《しよくん》は審《いぶか》るであらうが、之《これ》には大《おほい》に考慮《かんがへ》のある事《こと》である、今《いま》、其《その》目的地《もくてきち》に達《たつ》し、いざ建塔《けんたふ》といふ塲合《ばあひ》に、斯《か》く獅子《しゝ》や猛狒《ゴリラ》が、一頭《いつとう》でも、二頭《にとう》でも、其邊《そのへん》に徘徊《はいくわい》して居《を》つては、到底《とても》車外《しやぐわい》に出《い》でゝ其《その》仕事《しごと》にかゝる事《こと》が出來《でき》ない、そこで、此《この》爆裂彈《ばくれつだん》を飛《と》ばして、該獸等《かれら》を斃《たを》し且《か》つ追拂《おひは
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