《かほ》をせぬ事《こと》と、それから極《ご》く記臆力《きおくりよく》が強《つよ》く、規則《ルール》[#ルビの「ルール」は底本では「レール」]などは直《す》ぐ覺《おぼ》えてしまうので、武村兵曹《たけむらへいそう》は此《この》兒《こ》將來《しやうらい》は非常《ひじやう》に有望《いうぼう》な撰手《せんしゆ》であると語《かた》つたが啻《たゞ》に野球《やきゆう》ばかりではなく彼《かれ》は※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、230−6]去《くわこ》三|年《ねん》の間《あひだ》、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》の嚴肅《げんしゆく》なる、且《か》つ慈悲《じひ》深《ふか》き手《て》に親《した》しく薫陶《くんとう》された事《こと》とて、今年《ことし》十二|歳《さい》の少年《せうねん》には珍《めづ》らしき迄《まで》に大人似《おとなび》て、氣象《きしよう》の凛々《りゝ》しい、擧動《きよどう》の沈着《ちんちやく》な、まるで、小櫻木大佐《せうさくらぎたいさ》を茲《こゝ》に見《み》るやうな、雄壯《をゝ》しき少年《せうねん》とはなつた。少年《せうねん》は端艇《たんてい》、野球等《やきゆうとう》の他《ほか》、暇《ひま》があると石《いし》を投《な》げる、樹《き》に登《のぼ》る、猛犬稻妻《まうけんいなづま》を曳《ひき》つれて野山《のやま》を驅《か》けめぐる、其爲《そのため》に體格《たいかく》は非常《ひじやう》に見事《みごと》に發達《はつたつ》して、以前《いぜん》には人形《にんぎよう》のやうに奇麗《きれい》であつた顏《かほ》の、今《いま》は少《すこ》しく色《いろ》淺黒《あさぐろ》くなつて、それに口元《くちもと》キリ、と締《しま》り、眼《め》のパツチリとした樣子《やうす》は、何《なに》とも云《い》へず勇《いさ》ましい姿《すがた》、此後《このゝち》機會《きくわい》が來《き》て、彼《かれ》が父君《ちゝぎみ》なる濱島武文《はまじまたけぶみ》に再會《さいくわい》した時《とき》、父《ちゝ》は如何《いか》に驚《おどろ》くだらう。またかの天女《てんによ》の如《ごと》き春枝夫人《はるえふじん》が、萬一《まんいち》にも無事《ぶじ》であつて、此《この》勇《いさ》ましい姿《すがた》を見《み》たならば、どんなに驚《おどろ》き悦《よろこ》ぶ事《こと》であらう。
今《いま》や本島《ほんとう》の主人公《しゆじんこう》なる櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》の健康《けんこう》は言《い》ふ迄《まで》もなく、此頃《このごろ》では殆《ほとん》ど終日《しうじつ》終夜《しうや》を、秘密造船所《ひみつぞうせんじよ》の中《なか》で送《おく》つて居《を》る。武村兵曹《たけむらへいそう》は相變《あひかは》らず淡白《たんぱく》[#ルビの「たんぱく」は底本では「たぱく」]で、慓輕《へうきん》で、其他《そのほか》三十|有餘名《いうよめい》の水兵等《すいへいら》も一同《いちどう》元氣《げんき》よく、大《だい》なる希望《きぼう》の日《ひ》を待望《まちのぞ》みつゝ、勤勉《きんべん》に働《はたら》いて居《を》る。
かゝる喜《よろこ》ばしき境遇《きやうぐう》の間《あひだ》に、首尾《しゆび》よく竣成《しゆんせい》した自動鐵檻車《じどうてつおりぐるま》は、終《つひ》に洞中《どうちう》の工作塲《こうさくば》を出《で》た。例《れい》の屏風岩《べうぶいは》の上《うへ》から直《たゞ》ちに運轉《うんてん》を試《こゝろ》みて見《み》ると最良《さいりよう》の結果《けつくわ》で、號鈴《がうれい》リン/\と鳴《な》りひゞき、不思議《ふしぎ》なる機關《きくわん》の活溌《くわつぱつ》なる運轉《うんてん》に從《したが》つて十二|個《こ》の外車輪《ぐわいしやりん》が、岩《いは》を噛《か》み、泥《どろ》を蹴《け》つて疾走《しつさう》する有樣《ありさま》は、吾《われ》ながら見事《みごと》に思《おも》はるゝばかり、暫時《しばし》喝采《かつさい》の聲《こゑ》は止《や》まなかつた。忽《たちま》ち何人《だれ》の發聲《おんど》にや、一團《いちだん》の水兵等《すいへいら》はバラ/\と私《わたくし》の周圍《めぐり》に走寄《はしりよ》つて『鐵車《てつしや》萬歳《ばんざい》々々々々。』と私《わたくし》の胴上《どうあ》げを始《はじ》めた。萬歳《ばんざい》は難有《ありがた》いが、鬼《おに》とも組《く》まんず荒男《あらくれをとこ》が、前後左右《ぜんごさゆう》からヤンヤヤンヤと揉上《もみあ》げるので、其《その》苦《くる》しさ、私《わたくし》は呼吸《いき》が止《と》まるかと思《おも》つた。
斯《か》うなると、一刻《いつこく》も眤《じつ》として居《を》られぬのは武村兵曹《たけむらへいそう》である。腕拱《うでこまぬ》いて、一心《いつしん》に鐵檻車《てつおりぐるま》の運轉《うんてん》を瞻《なが》めて居《を》つたが、忽《たちま》ち大聲《たいせい》に
『やあ、うまい/\、でも[#「でも」は底本では「ても」]よく動《うご》くわい、もう遲々《ぐず/\》しては居《を》られない。』と急《きふ》に走《はし》つて行《い》つて、此時《このとき》既《すで》に出來上《できあが》つて居《を》つた紀念塔《きねんたふ》を引擔《ひつかつ》いで來《き》た。塔《たう》は高《たか》さ三|尺《じやく》五|寸《すん》、三尖方形《さんせんほうけい》の大理石《だいりせき》で、其《その》滑《なめらか》なる表面《ひやうめん》には「大日本帝國新領地朝日島《だいにつぽんていこくしんりようちあさひとう》」なる十一|字《じ》が深《ふか》く刻《きざ》まれて、塔《たふ》の裏面《うら》には、發見《はつけん》の時日《じじつ》と、發見者《はつけんしや》櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》の名《な》とが、明《あきらか》に記銘《しる》されて居《を》るのだ。塔《たう》を擔《かつ》いで來《き》た武村兵曹《たけむらへいそう》は息《いき》を切《き》らしながら大佐《たいさ》に向《むか》ひ
『大佐閣下《たいさかつか》、鐵車《てつしや》も見事《みごと》に出來《でき》ましたれば、善《ぜん》は急《いそ》げで今《いま》から直《す》ぐと紀念塔《きねんたふ》を建《た》てに出發《しゆつぱつ》しては如何《どう》でせう、すると氣《き》も晴々《はれ/″\》しますから。』
大佐《たいさ》は滿面《まんめん》に笑《えみ》を堪《たゝ》へつゝ
『無論《むろん》躊躇《ちうちよ》する必要《ひつえう》はない、我《わ》が海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》も、今日《けふ》から十|日目《かめ》の紀元節《きげんせつ》の當日《たうじつ》には、試運轉式《しうんてんしき》を行《おこな》ひ、其後《そのゝち》一週間《いつしゆうかん》以内《いない》には、總《すべ》ての凖備《じゆんび》を終《をは》つて、本島《ほんとう》を出發《しゆつぱつ》する豫定《よてい》だから、紀念塔《きねんたう》の建立《けんりつ》も其《その》以前《いぜん》に終《をは》らねば――。』と言《い》ひかけて私《わたくし》に向《むか》ひ
『其處《そこ》で、明日《あす》午前《ごぜん》六時《ろくじ》を以《もつ》て、鐵檻車《てつおりぐるま》の出發《しゆつぱつ》の時刻《じこく》と定《さだ》めませう、之《これ》から三十|里《り》の深山《しんざん》に達《たつ》するに、鐵車《てつしや》の平均速力《へいきんそくりよく》が一|時間《じかん》に二|里《り》半《はん》として、往途《ゆき》に二日《ふつか》、建塔《けんたう》の爲《た》めに一|日《にち》、歸途《きと》二日《ふつか》、都合《つごふ》五日目《いつかめ》には、鐵車《てつしや》再《ふたゝ》び此處《こゝ》へ皈《かへ》つて、共《とも》に萬歳《ばんざい》を唱《とな》へる事《こと》が出來《でき》ませう。』
『あゝ。明朝《あすのあさ》まで待《ま》つのですか。』と武村兵曹《たけむらへいそう》は口《くち》をむくつかせ[#「むくつかせ」に傍点]たが、忽《たちま》ちポンと掌《たなごゝろ》を叩《たゝ》いて
『おゝ、それも左樣《さう》だ、私《わたくし》の考通《かんがへどう》りにも行《い》かないな、之《これ》から糧食《かて》を積入《つみい》れたり、飮料水《のみゝづ》の用意《ようゐ》をしたりして居《を》ると、矢張《やはり》出發《しゆつぱつ》は明朝《あすのあさ》になるわい。』と獨言《ひとりご》つ、此《この》男《をとこ》例《いつ》もながら慓輕《へうきん》な事《こと》よ。
鐵車《てつしや》が、いよ/\永久紀念塔《えいきゆうきねんたふ》を深山《しんざん》の頂《いたゞき》に建《た》てんが爲《た》めに、此處《こゝ》を出發《しゆつぱつ》するのは明朝《めうてう》午前《ごぜん》六時《ろくじ》と定《さだま》つたが、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の運轉式《うんてんしき》も間近《まぢか》に迫《せま》つて居《を》るので、一日《いちにち》も此塲《このば》を立去《たちさ》る事《こと》叶《かな》はねば、そこで私《わたくし》と、日出雄少年《ひでをせうねん》と、武村兵曹《たけむらへいそう》と、他《た》に二名《にめい》の水兵《すいへい》とが、鐵車《てつしや》に乘組《のりく》む事《こと》になつた。猛犬稻妻《まうけんいなづま》も日出雄少年《ひでをせうねん》の懇望《こんもう》で、此《この》冐險旅行《ぼうけんりよかう》に隨《したが》ふ事《こと》になつた。
それより、鐵車《てつしや》に紀念塔《きねんたふ》を積入《つみい》れ、小銃《せうじう》、彈藥《だんやく》、飮料水《いんりようすい》、糧食等《りようしよくなど》の用意《ようゐ》に日《ひ》を暮《くら》して、さて其《その》翌日《よくじつ》となると、吾等《われら》撰任《せんにん》されたる五名《ごめい》は未明《みめい》に起床《おきい》でゝ鐵車《てつしや》へ乘組《のりく》んだ。頓《やが》て鐵車《てつしや》は勢《いきほひ》よく進行《しんかう》を始《はじ》めると、櫻木大佐《さくらぎたいさ》をはじめ三十|餘名《よめい》の水兵《すいへい》共《ども》は歡呼《くわんこ》を擧《あ》げて、十|數町《すうちやう》の間《あひだ》吾等《われら》の首途《かどで》を見送《みおく》つて呉《く》れたが、遂《つひ》に、唯《と》ある丘陵《をか》の麓《ふもと》で別《わかれ》を告《つ》げ、吾等《われら》は東《ひがし》へ、彼等《かれら》は西《にし》へ、其《その》丘《をか》の中腹《ちうふく》にて、櫻木大佐等《さくらぎたいさら》が手巾《ハンカチーフ》を振《ふ》り、帽子《ぼうし》を動《うご》かして居《を》る姿《すがた》も、頓《やが》て椰子《やし》や橄欖《かんらん》の葉《は》がくれに見《み》えずなると、それから鐵車《てつしや》は全速力《ぜんそくりよく》に、野《の》と云《い》はず山《やま》と云《い》はず突進《つきすゝ》む、神變《しんぺん》不思議《ふしぎ》なる自動鐵車《じどうてつしや》の構造《こうぞう》は、今更《いまさら》管々《くだ/″\》しく述立《のべた》てる必要《ひつえう》もあるまい、森林《しんりん》を行《ゆ》く時《とき》は、旋廻圓鋸機《せんくわいえんきよき》と、自動鉞《じどうまさかり》との作用《さよう》で、路《みち》を切開《きりひら》き、山《やま》を登《のぼ》るには、六個《ろくこ》の齒輪車《しりんしや》と揚上機《やうじやうき》、遞進機《ていしんき》の働《はたらき》で、地《ち》を噛《か》み、石《いし》を碎《くだ》いて進行《しんかう》するのだ。大約《おほよそ》道《みち》の四五里《しごり》も進《すゝ》んだと思《おも》ふ處《ところ》から山《やま》は益々《ます/\》深《ふか》くなり、路《みち》はだん/\と險阻《けんそ》[#ルビの「けんそ」は底本では「けそ」]になつたが、元氣《げんき》なる武村兵曹《たけむらへいそう》は、何《な》んでも日沒《ひぐれ》までには二十|里《り》以上《いじやう》を進《すゝ》まねばならぬと勇《いさ》み立《た》つ。
山《やま》に入《い》ると、直《たゞ》ちに猛獸《まうじう》毒蛇《どくじや》の襲撃《しふげき》に出逢《であ》ふだらうとは兼
前へ 次へ
全61ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
押川 春浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング