《あくさう》を目掛《めが》けて、鐵砲玉《てつぽうだま》の御馳走《ごちさう》でもしてやるばかりだ。其處《そこ》で此《この》鐵車《てつしや》に乘《の》つて、朝日島《あさひじま》の名《な》を刻《きざ》んだ紀念塔《きねんたう》を携《たづさ》へて、此處《こゝ》から三十|里《り》位《ぐら》いの深山《しんざん》に踏入《ふみい》つて、猛獸《まうじう》毒蛇《どくじや》の眞中《まんなか》へ、其《その》紀念塔《きねんたう》を建《た》てゝ來《く》るのだ、何《な》んと巧妙《うま》い工夫《くふう》ではありませぬか。』とポンと小胸《こむね》を叩《たゝ》いて
『此樣《こん》な工夫《くふう》をやるのだもの、此《この》武村新八《たけむらしんぱち》だつてあんまり馬鹿《ばか》にはなりますまい。』と眼《め》を眞丸《まんまる》にして一同《いちどう》を見廻《みまわ》したが、忽《たちま》ち聲《こゑ》を低《ひく》くして
『だが[#「だが」は底本では「だか」]、あんまり威張《ゐば》れないて、此樣《こん》な車《くるま》を製造《こしらへ》ては如何《どう》でせうと、此處《こゝ》まで工夫《くふう》したのは此《この》私《わたくし》だが、肝心《かんじん》の機械《きかい》の發明《はつめい》は悉皆《みんな》大佐閣下《たいさかつか》だよ。』と苦笑《くせう》したので、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》をはじめ、一座《いちざ》の面々《めん/\》、餘《あま》りの可笑《をか》しさに、一時《いちじ》にドツと笑崩《わらひくづ》るゝ間《あひだ》に、武村兵曹《たけむらへいそう》は平氣《へいき》な顏《かほ》で私《わたくし》に向《むか》ひ
『其處《そこ》で、貴方《あなた》に勸《すゝ》めるのです貴方《あなた》は石炭焚《せきたんた》きだの、料理方《れうりかた》だのつて、其樣《そん》な馬鹿《ばか》な眞似《まね》が出來《でき》るもので無《な》いから、それよりは、此《この》鐵檻車《てつおりぐるま》の製造《せいぞう》にお着手《かゝり》なすつては如何《いかゞ》です、大佐閣下《たいさかつか》も餘程《よほど》前《まへ》から此《この》企《くはだて》はあつたので、すでに製圖《せいづ》まで出來《でき》て居《を》るのだが、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の方《ほう》が急《いそ》がしいので、力《ちから》を分《わ》ける事《こと》が出來《でき》ず、何《いづ》れ艇《てい》の竣成《しゆんせい》後《ご》、製造《せいぞう》に着手《かゝ》らうと仰《おつ》しやつて居《い》るのだが、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》が出來上《できあが》つた上《うへ》は、一日《いちにち》も速《はや》く日本《につぽん》へ歸《かへ》つた方《ほう》がいゝ、それで、なんと、貴方《あなた》はやつて見《み》る御决心《ごけつしん》はありませんか、若《も》し貴方《あなた》が主任者《しゆにんしや》となつて、一生懸命《いつしやうけんめい》にやる積《つもり》なら、私共《わたくしども》も二三|人宛《にんづゝ》は休息時間《きうそくじかん》を廢《はい》しても、交《かわ》る/″\行《い》つて働《はたら》きますぞ、すると海底戰鬪艇《かいていせんたうてい》の竣工《しゆんこう》する頃《ころ》には、鐵檻《てつおり》の車《くるま》も出來上《できあが》つて、私共《わたくしども》は直《す》ぐ其《そ》れに乘込《のりこ》んで、深山《しんざん》の奧《おく》へ行《い》つて、立派《りつぱ》に紀念塔《きねんたう》を建《た》てゝ來《く》るのだ。』
『愉快《ゆくわい》々々。』と私《わたくし》は兩手《りようて》を擧《あ》げた。櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は微笑《びせう》を帶《お》びて私《わたくし》に向《むか》ひ
『君《きみ》は進《すゝ》んで、此《この》任務《にんむ》を擔當《たんたう》しますか。』
『やります。』と私《わたくし》は斷言《だんげん》した。
自動冐險鐵車《じどうぼうけんてつしや》! あゝ此《この》前代未聞《ぜんだいみもん》なる鐵車《てつしや》の製造《せいざう》は、隨分《ぜいぶん》容易《ようゐ》な事《こと》ではあるまい。然《しか》し、私《わたくし》も一個《いつこ》の男子《だんし》である。之《これ》から二|年《ねん》九ヶ|月《げつ》の間《あひだ》、大佐等《たいさら》はかの驚《おどろ》く可《べ》き海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の工作《こうさく》に着手《ちやくしゆ》して居《を》る間《あひだ》、私《わたくし》の心身《しんしん》を込《こ》めて從事《じうじ》したら、何《な》んの出來《でき》ぬ事《こと》があらう。やるやる見事《みごと》にやつて見《み》せる。
櫻木大佐《さくらぎたいさ》は痛《いた》く打悦《うちよろこ》び、
『君《きみ》に其《その》决心《けつしん》があるなら屹度《きつと》出來《でき》ます、鐵車《てつしや》の製造所《せいぞうしよ》は、我《わ》が秘密造船所《ひみつざうせんじよ》内《ない》の何處《どこ》かに設《まう》け、充分《じゆうぶん》の材料《ざいれう》は私《わたくし》の方《ほう》から供給《けうきう》し、また君《きみ》の助手《たすけて》としては、毎日《まいにち》午前《ごぜん》午後《ごゞ》に交代《かうたい》に、四|名宛《めいづゝ》の水兵《すいへい》を遣《つか》はす事《こと》に致《いた》しませう。私《わたくし》も及《およ》ばずながら※[#「一/力」、220−8]事《ばんじ》に就《つ》いて助言《じよげん》を致《いた》しますよ。』といふ。
『斯《か》うなつたら、生命掛《いのちが》けでやります。』と私《わたくし》は腕《うで》を叩《たゝ》いた。
『面白《おもし》ろい/\。』と武村兵曹《たけむらへいそう》は頬鬚《ほうひげ》を撫《な》でた。
日出雄少年《ひでをせうねん》は先刻《せんこく》から、櫻木大佐《さくらぎたいさ》の傍《かたはら》に、行儀《ぎようぎ》よく吾等《われら》の談話《はなし》を聽《き》いて居《を》つたが、幼《いとけな》き心《こゝろ》にも話《はなし》の筋道《すぢみち》はよく分《わか》つたと見《み》へ、此時《このとき》可愛《かあい》らしき眼《め》を此方《こなた》に向《む》け
『あの、叔父《おぢ》さんが、鐵《てつ》の車《くるま》をお製《つくり》になるんなら、私《わたくし》も同一《いつしよ》に働《はたら》かうと思《おも》ふんです。』
『こいつは愈々《いよ/\》面白《おもしろ》くなつて來《き》た。』と武村兵曹《たけむらへいそう》は突如《いきなり》少年《せうねん》を抱上《いだきあ》げた。
櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は打笑《うちえ》[#ルビの「うちえ」は底本では「うみえ」]みながらも、聲《こゑ》爽《さわや》かに
『日出雄少年《ひでをせうねん》は鐵工《てつこう》となるより、立派《りつぱ》な海軍士官《かいぐんしくわん》となる仕度《したく》をせねばならんよ。』と武村兵曹《たけむらへいそう》の膝《ひざ》なる少年《せうねん》の房々《ふさ/″\》した頭髮《かみ》を撫《な》でやりつゝ、私《わたくし》に向《むか》ひ
『兼《かね》て承《うけたまは》る、彼《かれ》の父《ちゝ》なる濱島武文氏《はまじまたけぶみし》と、春枝夫人《はるえふじん》との志《こゝろざし》に代《かは》つて、不肖《ふせう》ながら日出雄少年《ひでをせうねん》の教育《きよういく》の任《にん》をば、之《これ》から此《この》櫻木重雄《さくらぎしげを》が引受《ひきう》けませう。』といふ。
私《わたくし》は此《この》一言《いちごん》で、忽《たちま》ち子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]の親友《しんゆう》や、春枝夫人《はるえふじん》の事《こと》を回想《くわいさう》した。日出雄少年《ひでをせうねん》をば眞個《しんこ》の海軍々人《かいぐんぐんじん》の手《て》に委《ゆだ》ねんとせし彼《かれ》の父《ちゝ》の志《こゝろざし》が、今《いま》や意外《いぐわい》の塲所《ばしよ》で、意外《いぐわい》の人《ひと》に依《よつ》て達《たつ》せらるゝ此《この》嬉《うれ》しき運命《うんめい》に、思《おも》はず感謝《かんしや》の涙《なみだ》は兩眼《りようがん》に溢《あふ》れた。暫時《ざんじ》室内《しつない》はシンとなると、此時《このとき》何處《いづく》とも知《し》れず「君《きみ》が代《よ》[#「君《きみ》が代《よ》」は底本では「君《きみ》か代《よ》」]」の唱歌《せうか》が靜《しづ》かなる海濱《かいひん》の風《かぜ》につれて微《かす》かに聽《きこ》える。オヤと思《おも》つて、窓外《まどのそと》を眺《なが》めると、今宵《こよひ》は陰暦《いんれき》の十三|夜《や》、月明《つきあきら》かなる青水《せいすい》白沙《はくしや》の海岸《かいがん》には、大佐《たいさ》の部下《ぶか》の水兵等《すいへいら》は、晝間《ひるま》の疲勞《つかれ》を此《この》月《つき》に慰《なぐさ》めんとてや、此處《こゝ》に一羣《ひとむれ》。彼處《かしこ》に一群《ひとむれ》、詩吟《しぎん》するのもある。劍舞《けんぶ》するのもある。中《なか》に一團《いちだん》七八|人《にん》の水兵等《すいへいら》は、浪《なみ》に突出《つきだ》されたる磯《いそ》の上《うへ》に睦《むつま》しく輪《わ》をなして、遙《はる》かに故國《こゝく》の天《てん》を望《のぞ》みつゝ、節《ふし》おもしろく君《きみ》が代《よ》の千代八千代《ちよやちよ》の榮《さかえ》を謳歌《おうか》して居《を》るのであつた。
『あゝ、壯快《さうくわい》、壯快《さうくわい》!。』と私《わたくし》は絶叫《ぜつけう》したよ。櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は徐《しづ》かに立上《たちあが》り
『いざ、吾等《われら》も彼處《かしこ》に行《ゆ》いて、共《とも》に大日本帝國《だいにつぽんていこく》の※[#「一/力」、223−3]歳《ばんざい》を唱《とな》へませうか。』
* * * *
* * * *
其《その》翌日《よくじつ》から、私《わたくし》は朝《あさ》は東雲《しのゝめ》の薄暗《うすくら》い時分《じぶん》から、夕《ゆふべ》は星影《ほしかげ》の海《うみ》に落《お》つる頃《ころ》まで、眞黒《まつくろ》になつて自動鐵檻車《じどうてつおりのくるま》の製造《せいぞう》に從事《じゆうじ》した。洞中《どうちう》の秘密造船所《ひみつざうせんじよ》の中《なか》では、海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》の方《ほう》でも、私《わたくし》の方《ほう》でも、鎔鐵爐《ようてつろ》、冶金爐等《やきんろとう》から※[#「火+稲のつくり」、第4水準2−79−87]々《えん/\》と吹《ふ》き出《だ》す熱火《ねつくわ》の光《ひかり》は魔神《まじん》の紅舌《した》のごとく、互《たがひ》に打《うち》おろす大鐵槌《だいてつつい》の響《ひゞき》は、寂寞《じやくばく》たる洞窟《どうくつ》を鳴動《めいどう》して、朝日島《あさひじま》の海《うみ》の神樣《かみさま》も、定《さだ》めて膽《きも》を潰《つぶ》した事《こと》であらう。
第十八回 野球競技《ベースボールマツチ》
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九種の魔球《カーブ》――無邪氣な紛着――胴上げ――西と東に別れた――獅子の友呼び――手頃の鎗を捻つて――私は殘念です――駄目だんべい
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それから、一|年《ねん》、二|年《ねん》、三|年《ねん》と、月日《つきひ》の車《くるま》は我等《われら》の仕事《しごと》の進行《すゝみ》と同《おな》じ速力《そくりよく》に※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、224−5]去《すぎさ》つて、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》が兼《かね》て豫定《よてい》した通《とう》りに、世《よ》にも驚《おどろ》く可《べ》き海底戰鬪艇《かいていせんとうてい》も、今《いま》は九分九厘《くぶくりん》まで竣成《しゆんせい》し、いよ/\今《この》二月《にぐわつ》の十一|日《にち》、即《すなは》ち大佐等《たいさら》の爲《ため》には此《この》朝日島《あさひじま》に上陸《じようりく》してから五度目《ごたびめ
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