くし》の家《いへ》より。』と夫人《ふじん》とも/″\切《せつ》に勸《すゝ》めるので、元來《ぐわんらい》無遠慮勝《ぶゑんりよがち》の私《わたくし》は、然《さ》らば御意《ぎよゐ》の儘《まゝ》にと、旅亭《やどや》の手荷物《てにもつ》は當家《たうけ》の馬丁《べつとう》を取《と》りに使《つか》はし、此處《こゝ》から三人《みたり》打揃《うちそろ》つて出發《しゆつぱつ》する事《こと》になつた。
いろ/\の厚《あつ》き待遇《もてなし》を受《う》けた後《のち》、夜《よる》の八|時《じ》頃《ごろ》になると、當家《たうけ》の番頭《ばんとう》手代《てだい》をはじめ下婢《かひ》下僕《げぼく》に至《いた》るまで、一同《いちどう》が集《あつま》つて送別《そうべつ》の催《もようし》をする相《さう》で、私《わたくし》も招《まね》かれて其《その》席《せき》へ連《つら》なつた。春枝夫人《はるえふじん》は世《よ》にすぐれて慈愛《じひ》に富《と》める人《ひと》、日出雄少年《ひでをせうねん》は彼等《かれら》の間《あひだ》に此上《こよ》なく愛《めで》重《おもん》せられて居《を》つたので、誰《たれ》とて袂別《わかれ》を惜《をし》まぬものはない、然《しか》し主人《しゆじん》の濱島《はまじま》は東洋《とうやう》の豪傑《がうけつ》風《ふう》で、泣《な》く事《こと》などは大厭《だいきらひ》の性質《たち》であるから一同《いちどう》は其《その》心《こゝろ》を酌《く》んで、表面《うはべ》に涙《なみだ》を流《なが》す者《もの》などは一人《ひとり》も無《な》かつた。イヤ、茲《こゝ》に只《たゞ》一人《いちにん》特別《とくべつ》に私《わたくし》の眼《め》に止《とゞま》つた者《もの》があつた。それは席《せき》の末座《まつざ》に列《つらな》つて居《を》つた一個《ひとり》の年老《としをい》たる伊太利《イタリー》の婦人《ふじん》で、此《この》女《をんな》は日出雄少年《ひでをせうねん》の保姆《うば》にと、久《ひさ》しき以前《いぜん》に、遠《とほ》き田舍《ゐなか》から雇入《やとひい》れた女《をんな》の相《さう》で、背《せ》の低《ひく》い、白髮《しらがあたま》の、極《ご》く正直《しやうじき》相《さう》な老女《らうぢよ》であるが、前《さき》の程《ほど》より愁然《しゆうぜん》と頭《かうべ》を埀《た》れて、丁度《ちやうど》死出《しで》の旅路《たびぢ》に行《ゆ》く人《ひと》を送《おく》るかの如《ごと》く、頻《しき》りに涙《なみだ》を流《なが》して居《を》る。
私《わたくし》は何故《なぜ》ともなく異樣《ゐやう》に感《かん》じた。
『オヤ、亞尼《アンニー》がまた詰《つま》らぬ事《こと》を考《かんが》へて泣《な》いて居《を》りますよ。』と、春枝夫人《はるえふじん》は良人《おつと》の顏《かほ》を眺《なが》めた。
頓《やが》て、此《この》集會《つどひ》も終《をは》ると、十|時《じ》間近《まぢか》で、いよ/\弦月丸《げんげつまる》へ乘船《のりくみ》の時刻《じこく》とはなつたので、濱島《はまじま》の一家族《いつかぞく》と、私《わたくし》とは同《おな》じ馬車《ばしや》で、多《おほく》の人《ひと》に見送《みおく》られながら波止塲《はとば》に來《きた》り、其邊《そのへん》の或《ある》茶亭《ちやてい》に休憇《きうけい》した、此處《こゝ》で彼等《かれら》の間《あひだ》には、それ/\袂別《わかれ》の言《ことば》もあらうと思《おも》つたので、私《わたくし》は氣轉《きてん》よく一人《ひとり》離《はな》れて波打際《なみうちぎは》へと歩《あゆ》み出《だ》した。
此時《このとき》にふと心付《こゝろつ》くと、何者《なにもの》か私《わたくし》の後《うしろ》にこそ/\と尾行《びかう》して來《く》る樣子《やうす》、オヤ變《へん》だと振返《ふりかへ》る、途端《とたん》に其《その》影《かげ》は轉《まろ》ぶが如《ごと》く私《わたくし》の足許《あしもと》へ走《はし》り寄《よ》つた。見《み》ると、こは先刻《せんこく》送別《そうべつ》の席《せき》で、只《たゞ》一人《ひとり》で泣《な》いて居《を》つた亞尼《アンニー》と呼《よ》べる老女《らうぢよ》であつた。
『おや、お前《まへ》は。』と私《わたくし》は歩行《あゆみ》を止《と》めると、老女《らうぢよ》は今《いま》も猶《な》ほ泣《な》きながら
『賓人《まれびと》よ、お|願《ねが》ひで厶《ござ》ります。』と兩手《りやうて》を合《あは》せて私《わたくし》を仰《あほ》ぎ見《み》た。
『お前《まへ》は亞尼《アンニー》とか云《い》つたねえ、何《なん》の用《よう》かね。』と私《わたくし》は靜《しづ》かに問《と》ふた。老女《らうぢよ》は虫《むし》のやうな聲《こゑ》で『賓人《まれびと》よ。』と暫時《しばし》私《わたくし》の顏《かほ》を眺《なが》めて居《を》つたが
『あの、妾《わたくし》の奧樣《おくさま》と日出雄樣《ひでをさま》とは今夜《こんや》の弦月丸《げんげつまる》で、貴方《あなた》と御同道《ごどうだう》に日本《につぽん》へ御出發《ごしゆつぱつ》になる相《さう》ですが、それを御|延《の》べになる事《こと》は出來《でき》ますまいか。』と恐《おそ》る/\口《くち》を開《ひら》いたのである。ハテ、妙《めう》な事《こと》を言《い》ふ女《をんな》だと私《わたくし》は眉《まゆ》を顰《ひそ》めたが、よく見《み》ると、老女《らうぢよ》は、何事《なにごと》にか痛《いた》く心《こゝろ》を惱《なや》まして居《を》る樣子《やうす》なので、私《わたくし》は逆《さか》らはない
『左樣《さう》さねえ、もう延《の》ばす事《こと》は出來《でき》まいよ。』と輕《かろ》く言《い》つて
『然《しか》し、お前《まへ》は何故《なぜ》其樣《そんな》に嘆《なげ》くのかね。』と言葉《ことば》やさしく問《と》ひかけると、此《この》一言《いちごん》に老女《らうぢよ》は少《すこ》しく顏《かほ》を擡《もた》げ
『實《じつ》に賓人《まれびと》よ、私《わたくし》はこれ程《ほど》悲《かな》しい事《こと》はありません。はじめて奧樣《おくさま》や日出雄樣《ひでをさま》が、日本《にほん》へお皈《かへ》りになると承《うけたまは》つた時《とき》は本當《ほんたう》に魂消《たまぎ》えましたよ、然《しか》しそれは致方《いたしかた》もありませんが、其後《そのゝち》よく承《うけたまは》ると、御出帆《ごしゆつぱん》の時日《じじつ》は時《とき》もあらうに、今夜《こんや》の十一|時《じ》半《はん》……。』といひかけて唇《くちびる》をふるはし
『あの、あの、今夜《こんや》十一|時《じ》半《はん》に御出帆《ごしゆつぱん》になつては――。』
『何《なに》、今夜《こんや》の※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》で出發《しゆつぱつ》すると如何《どう》したのだ。』と私《わたくし》は眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。亞尼《アンニー》は胸《むね》の鏡《かゞみ》に手《て》を當《あ》てゝ
『私《わたくし》は神樣《かみさま》に誓《ちか》つて申《まう》しますよ、貴方《あなた》はまだ御存《ごぞん》じはありますまいが、大變《たいへん》な事《こと》があります。此事《このこと》は旦那樣《だんなさま》にも奧樣《おくさま》にも毎度《いくたび》か申上《まうしあ》げて、何卒《どうか》今夜《こんや》の御出帆《ごしゆつぱん》丈《だ》けは御見合《おみあは》せ下《くだ》さいと御願《おねが》ひ申《まう》したのですが、御兩方《おふたり》共《とも》たゞ笑《わら》つて「亞尼《アンニー》や其樣《そんな》に心配《しんぱい》するには及《およ》ばないよ。」と仰《おほ》せあるばかり、少《すこ》しも御聽許《おきゝ》にはならないのです。けれど賓人《まれびと》よ、私《わたくし》はよく存《ぞん》じて居《を》ります、今夜《こんや》の弦月丸《げんげつまる》とかで御出發《ごしゆつぱつ》になつては、奧樣《おくさま》も、日出雄樣《ひでをさま》も、决《けつ》して御無事《ごぶじ》では濟《す》みませんよ。』
『無事《ぶじ》で濟《す》まんとは――。』と私《わたくし》は思《おも》はず釣込《つりこ》まれた。
『はい、决《けつ》して御無事《ごぶじ》には濟《す》みません。』と、亞尼《アンニー》は眞面目《まじめ》になつた、私《わたくし》の顏《かほ》を頼母《たのも》し氣《げ》に見上《みあ》げて
『私《わたくし》は貴方《あなた》を信《しん》じますよ、貴方《あなた》は决《けつ》してお笑《わら》ひになりますまいねえ。』と前置《まへおき》をして斯《か》う言《い》つた。
『ウルピノ[#「ウルピノ」に二重傍線]山《さん》の聖人《ひじり》の仰《おつしや》つた樣《やう》に、昔《むかし》から色々《いろ/\》の口碑《くちつたへ》のある中《なか》で、船旅《ふなたび》程《ほど》時日《とき》を選《えら》ばねばならぬものはありません、凶日《わるいひ》に旅立《たびだ》つた人《ひと》は屹度《きつと》災難《わざはひ》に出逢《であ》ひますよ。これは本當《ほんたう》です、現《げん》に私《わたくし》の一人《ひとり》の悴《せがれ》も、七八|年《ねん》以前《いぜん》の事《こと》、私《わたくし》が切《せつ》に止《と》めるのも聽《き》かで、十|月《ぐわつ》の祟《たゝり》の日《ひ》に家出《いへで》をしたばかりに、終《つひ》に世《よ》に恐《おそ》ろしい海蛇《うみへび》に捕《と》られてしまいました。私《わたくし》にはよく分《わか》つて居《ゐ》ますよ。奧樣《おくさま》とて日出雄樣《ひでをさま》とて今夜《こんや》御出帆《ごしゆつぱん》になつたら决《けつ》して御無事《ごぶじ》では濟《す》みません、はい、其《その》理由《わけ》は、今日《けふ》は五|月《ぐわつ》の十六|日《にち》で魔《ま》の日《ひ》でせう、爾《そ》して、今夜《こんや》の十一|時《じ》半《はん》といふは、何《な》んと恐《おそ》ろしいでは御座《ござ》いませんか、魔《ま》の刻限《こくげん》ですもの。』
私《わたくし》は聽《き》きながらプツと吹《ふ》き出《だ》す處《ところ》であつた。けれど老女《らうぢよ》は少《すこ》しも構《かま》はず
『賓人《まれびと》よ、笑《わら》ひ事《ごと》ではありませぬ、魔《ま》の日《ひ》魔《ま》の刻《こく》といふのは、一年中《いちねんちゆう》でも一番《いちばん》に不吉《ふきつ》な時《とき》なのです、他《ほか》の日《ひ》の澤山《たくさん》あるのに、此《この》日《ひ》、此《この》刻限《こくげん》に御出帆《ごしゆつぱん》になるといふのは何《な》んの因果《いんぐわ》でせう、私《わたくし》は考《かんが》へると居《ゐ》ても立《た》つても居《を》られませぬ。其上《そのうへ》、私《わたくし》は懇意《こんい》の船乘《せんどう》さんに聞《き》いて見《み》ますと、今度《こんど》の航海《かうかい》には、弦月丸《げんげつまる》に澤山《たくさん》の黄金《わうごん》と眞珠《しんじゆ》とが積入《つみい》れてあります相《さう》な、黄金《わうごん》と眞珠《しんじゆ》とが波《なみ》の荒《あら》い海上《かいじやう》で集《あつま》ると、屹度《きつと》恐《おそ》ろしい祟《たゝり》を致《いた》します。あゝ、不吉《ふきつ》の上《うへ》にも不吉《ふきつ》。賓人《まれびと》よ、私《わたくし》の心《こゝろ》の千分《せんぶん》の一《いち》でもお察《さつ》しになつたら、どうか奧樣《おくさま》と日出雄樣《ひでをさま》を助《たす》けると思《おも》つて、今夜《こんや》の御出帆《ごしゆつぱん》をお延《の》べ下《くだ》さい。』と拜《おが》まぬばかりに手《て》を合《あは》せた。聽《き》いて見《み》るとイヤハヤ無※[#「(禾+尤)/上/日」、22−10]《ばか》な話《はなし》! 西洋《せいよう》でもいろ/\と縁起《えんぎ》を語《かた》る人《ひと》はあるが、此《この》老女《らうぢよ》のやうなのはまア珍《めづ》らしからう。私《わたくし》は大笑《おほわら》ひに笑《わら》つてやらうと考《かんが》へたが、待《ま》てよ、
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