なが》めると、此時《このとき》、朝霧《あさぎり》霽《は》るゝ海岸《かいがん》の景色《けしき》。此《この》家《いへ》を去《さ》る事《こと》十|數町《すうちやう》の彼方《かなた》に、一帶《いつたい》の灣《わん》がある、逆浪《げきらう》白《しろ》く岩《いわ》に激《げき》して居《を》るが、其《その》灣中《わんちう》、岩《いわ》と岩《いわ》とが丁度《ちやうど》屏風《びやうぶ》のやうに立廻《たてまわ》して、自然《しぜん》に坩※[#「堝」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、168−9]《るつぼ》の形《かたち》をなして居《を》る處《ところ》、其處《そこ》に大佐《たいさ》の後姿《うしろすがた》がチラリと見《み》えた。
『あら、海軍《かいぐん》の叔父《おぢ》さんは、あの岩《いわ》の後《うしろ》へ隱《かく》れておしまいになつてよ。』と、日出雄少年《ひでをせうねん》は審《いぶ》かし氣《げ》に私《わたくし》を瞻《なが》めた。私《わたくし》は默然《もくねん》として、猶《なほ》も其處《そこ》を見詰《みつ》めて居《を》ると、暫時《しばらく》して其《その》不思議《ふしぎ》なる岩陰《いわかげ》から、昨日《きのふ》も一昨日《おとゝひ》も聽《き》いた、鐵《てつ》の響《ひゞき》が起《おこ》つて來《き》た。
午前《ごぜん》十|時《じ》※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、169−3]《すぎ》になると、武村兵曹《たけむらへいそう》丈《だ》け一人《ひとり》ヒヨツコリと皈《かへ》つて來《き》て
『サア、之《これ》から獅子狩《しゝがり》だ/\。』と勇《いさみ》勸《すゝ》めるのを、私《わたくし》は漸《やうやく》の事《こと》で押止《おしと》めたが、然《しか》らば此《この》島《しま》の御案内《ごあんない》をといふので、それから、山《やま》だの、河《かは》だの、谷《たに》の底《そこ》だの、深林《しんりん》の中《なか》だの、岩石《がんせき》が劍《つるぎ》のやうに削立《つゝた》つて居《を》る荒磯《あらいそ》の邊《へん》だのを、兵曹《へいそう》の元氣《げんき》に任《まか》せて引廻《ひきま》はされたので、酷《ひど》く疲《つか》れてしまつた。此《この》遊歩《いうほ》の間《あひだ》、武村兵曹《たけむらへいそう》の命《めい》ずる儘《まゝ》に、始終《しじゆう》吾等《われら》の前《まへ》になり、後《うしろ》になつて、豫《あらかじ》め猛獸《まうじう》毒蛇《どくじや》の危害《きがい》を防《ふせ》いで呉《く》れた、一頭《いつとう》の猛犬《まうけん》があつた。名《な》は稻妻《いなづま》といつて、櫻木大佐《さくらぎたいさ》の秘藏《ひぞう》の犬《いぬ》の由《よし》、形《かたち》は犢牛《こうし》程《ほど》巨大《おほき》く、毛《け》の眞黒《まつくろ》な、尾《を》のキリヽと卷上《まきあが》つた、非常《ひじやう》に逞《たく》ましき犬《いぬ》で、それが痛《ひど》く日出雄少年《ひでをせうねん》の氣《き》に入《い》つて、始終《しじゆう》『稻妻《いなづま》や/\。』と、一處《いつしよ》になつて走廻《はしりまわ》つて居《を》る内《うち》に、いつか仲《なか》がよくなつて、夕刻《ゆふこく》、家《いへ》に歸《かへ》つた時《とき》も、稻妻《いなづま》は此《この》可憐《かれん》なる少年《せうねん》と戯《たわむ》れつゝ、思《おも》はず二階《にかい》まで驅上《かけあが》つて、武村兵曹《たけむらへいそう》に箒《ほうき》で追出《おひだ》された程《ほど》で、日出雄少年《ひでをせうねん》は此《この》犬《いぬ》の爲《た》めに、晩餐《ばんさん》の美味《おい》しい「ビフステーキ」を、其儘《そのまゝ》窓《まど》から投《な》げてやつてしまつた。
さて、其《その》翌日《よくじつ》になると、日出雄少年《ひでをせうねん》は、稻妻《いなづま》といふ好《よき》朋友《ともだち》が出來《でき》たので、最早《もはや》私《わたくし》の傍《そば》にのみは居《を》らず、朝早《あさはや》くから戸外《こぐわい》に出《い》でゝ、波《なみ》青《あを》く、沙《すな》白《しろ》き海岸《かいがん》の邊《へん》に、犬《いぬ》の脊中《せなか》に跨《またが》つたり、首《くび》に抱着《いだきつ》いたりして、餘念《よねん》もなく戯《たわむ》れて居《を》るので、私《わたくし》は一人《ひとり》室内《しつない》に閉籠《とぢこも》つて、今朝《けさ》大佐《たいさ》から依頼《いらい》された、或《ある》航海學《かうかいがく》の本《ほん》の飜譯《ほんやく》にかゝつて一日《いちにち》を暮《くら》してしまつた。此《この》飜譯《ほんやく》は、仕事《しごと》の餘暇《よか》、水兵等《すいへいら》に教授《けふじゆ》の爲《ため》にと、大佐《たいさ》が餘程《よほど》以前《いぜん》から着手《ちやくしゆ》して居《を》つたので、殘《のこ》り五分《ごぶん》の一《いち》程《ほど》になつて居《を》つたのを、徒然《つれ/″\》なるまゝ、私《わたくし》が無理《むり》に引受《ひきう》けたので、其《その》飜譯《ほんやく》の全《まつた》く終《をは》つた頃《ころ》、大佐《たいさ》は例《れい》の樣《やう》に、夕暮《ゆふぐれ》の海岸《かいがん》を一隊《いつたい》の水兵《すいへい》と共《とも》に歸《かへ》つて來《き》た。
昨夜《さくや》も、一昨夜《いつさくや》も、夕食《ゆふしよく》果《は》てゝ後《のち》は部室《へや》の窓《まど》を開放《あけはな》して、海《うみ》から送《おく》る凉《すゞ》しき風《かぜ》に吹《ふ》かれながら、さま/″\の雜談《ざつだん》に耽《ふけ》るのが例《れい》であつた。今宵《こよひ》もおなじ樣《やう》に、白《しろ》い窓掛《まどかけ》の搖《ゆる》ぐほとりに倚子《ゐす》を並《なら》べた時《とき》、櫻木大佐《さくらぎたいさ》は稍《や》や眞面目《まじめ》に私《わたくし》に向《むか》つて。
『今夜《こんや》は更《あらたま》つて、少《すこ》しお話《はな》し申《もう》す事《こと》がある。』と私《わたくし》の顏《かほ》を凝視《みつ》めた。
更《あらたま》つての話《はなし》とは何事《なにごと》だらうと、私《わたくし》も俄《にわ》かに形《かたち》を改《あらた》めると、大佐《たいさ》は吸殘《すひのこ》りの葉卷《はまき》をば、窓《まど》の彼方《かなた》に投《な》げやりて、靜《しづ》かに口《くち》を開《ひら》いた。
『柳川君《やながはくん》、私《わたくし》は※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、171−12]《すぐ》る日《ひ》黄乳樹《わうにうじゆ》の林《はやし》の邊《へん》で、圖《はか》らずも君等《きみら》の急難《きふなん》をお助《たす》け申《もう》した時《とき》から、左樣《さう》思《おも》つて居《を》つたのです。稀《まれ》にも人《ひと》の來《く》べき筈《はづ》のない此樣《こん》な離《はな》れ島《じま》へ、偶然《ぐうぜん》とはいへ、昔馴染《むかしなじみ》の君《きみ》の見《み》へたのは、全《まつた》く天《てん》の導《みちびき》のやうなもので、之《これ》から數年間《すうねんかん》、同《おな》じ家《いへ》に、同《おな》じ月《つき》を眺《なが》めて暮《くら》すやうな運命《うんめい》になつたのも、何《なに》かの因縁《いんねん》でせう。私《わたくし》に一個《ひとつ》の秘密《ひみつ》がある、此《この》秘密《ひみつ》は私《わたくし》と、私《わたくし》の腹心《ふくしん》の三十七|名《めい》の水兵《すいへい》と、帝國海軍《ていこくかいぐん》部内《ぶない》の某々《ぼう/\》有司《いうし》の他《ほか》には、誰《たれ》も知《し》つて居《を》る者《もの》は無《な》いのです、また、决《けつ》して、他《た》に洩《もら》すまじき秘密《ひみつ》ですが、今《いま》斯《か》くなつて同《おな》じ境遇《きやうぐう》に、長《なが》き月日《つきひ》を暮《くら》す間《あひだ》には、何時《いつ》か君等《きみら》の前《まへ》に、其事《そのこと》の表顯《あらはれ》ずには終《をは》るまい。』斯《か》く言《い》ひかけて、大佐《たいさ》は靜《しづ》かに眼《まなこ》をあげ
『君《きみ》も私《わたくし》が何《な》んの爲《ため》に此《この》島《しま》へ來《き》たか、今《いま》や何《なに》を爲《な》しつゝあるやに就《つ》いて、多少《たせう》の御考察《おかんがへ》はあるでせう。』
さてこそ、と、私《わたくし》は片唾《かたづ》を飮《の》んだ。
『朧《おぼろ》ながら、或《ある》想像《さうぞう》を描《えが》いて居《を》ります。』と答《こた》へると、大佐《たいさ》は打點頭《うちうなづ》き
『此《この》秘密《ひみつ》は、實《じつ》に私《わたくし》の生命《せいめい》です。今《いま》は數年《すうねん》の昔《むかし》、君《きみ》は御記臆《ごきをく》ですか、※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》の甲板《かんぱん》で、私《わたくし》が奇妙《きめう》なる詩《し》を吟《ぎん》じ、また、歐洲《をうしう》列國《れつこく》の海軍力《かいぐんりよく》の増加《ぞうか》と、我國《わがくに》の現况《げんけう》とを比較《ひかく》して、富《とみ》の度《ど》より、機械學《きかいがく》の進歩上《しんぽじやう》より、我國《わがくに》は今日《こんにち》の如《ごと》く、啻《たゞ》に數艘《すうそう》の軍艦《ぐんかん》の多《おほ》くなつた位《くらい》や、區々《くゝ》たる軍器《ぐんき》の製造《せいぞう》にも、多《おほ》く彼等《かれら》の後《あと》を摸傚《まね》して居《を》る樣《やう》では、到底《とても》東洋《とうやう》の平和《へいわ》を維持《ゐぢ》し、進《すゝ》んで外交上《ぐわいこうじやう》の一大《いちだい》權力《けんりよく》を握《にぎ》る事《こと》は覺束《おぼつか》ない、一躍《いちやく》して、歐《をう》の上《うへ》に、米《べい》の上《うへ》に、位《くらい》する樣《やう》になるには、茲《こゝ》に一大《いちだい》决心《けつしん》を要《えう》する。即《すなは》ち震天動地《しんてんどうち》の軍事上《ぐんじじやう》の大發明《だいはつめい》をなして、其《その》發明《はつめい》は軍機上《ぐんきじやう》の大秘密《だいひみつ》として、我國《わがくに》にのみ特《ひとり》にあり、他邦《たほう》には到底《とうてい》見《み》るべからず、歐米《をうべい》諸國《しよこく》も之《これ》ある限《かぎ》りは、最早《もはや》日本《につぽん》に向《むか》つて不禮《ぶれい》を加《くわ》ふる可《べ》からずとまで、戰慄《せんりつ》恐懼《きやうく》する程《ほど》の大軍器《だいぐんき》の發明《はつめい》を要《えう》すると申《もう》した事《こと》を、かの時《とき》は、君《きみ》も單《たん》に快哉《くわいさい》と叫《さけ》んだのみ、私《わたくし》も一《いつ》の希望《きぼう》として、深《ふか》く胸《むね》の奧《そこ》に潜《ひそ》めて居《を》つたが、其後《そのご》幾年月《いくねんげつ》の間《あひだ》、苦心《くしん》に苦心《くしん》を重《かさ》ねた結果《けつくわ》、一昨年《いつさくねん》の十一|月《ぐわつ》三十|日《にち》、私《わたくし》が一艘《いつそう》の大帆走船《だいほまへせん》に、夥《おびたゞ》しき材料《ざいれう》と、卅七|名《めい》の腹心《ふくしん》の部下《ぶか》とを搭載《のせ》て、はる/″\日本《につぽん》を去《さ》り、今《いま》や此《この》無人島《むじんとう》に身《み》を潜《ひそ》めて居《を》るのは、全《まつた》く、兼《かね》て企《くわだ》つる、軍事上《ぐんじじやう》の一大《いちだい》發明《はつめい》に着手《ちやくしゆ》して居《を》るのです――。左樣《さよう》、不肖《ふつゝか》ながら、此《この》櫻木《さくらぎ》が畢世《ひつせい》の力《ちから》を盡《つく》して、我《わが》帝國海軍《ていこくかいぐん》の爲《た》めに、前代未聞《ぜんだいみもん》の或《ある》有力《いうりよく》なる軍器《ぐんき》の製造《せいぞう》に着手《ちやくしゆ》して居《を》るのです。』
果然《くわぜん》! 果然《くわぜん》! と私《わたく
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