に澁《しぶ》る私《わたくし》の顏《かほ》を仰《あほ》いだ。オヤ/\、少年《せうねん》にまで寢太郎《ねたらう》と見《み》られたかと、私《わたくし》は急《いそ》ぎ清水《しみづ》に顏《かほ》を淨《きよ》め、兵曹《へいそう》の案内《あんない》に從《したが》つて用意《ようゐ》の一室《ひとま》へ來《き》て見《み》ると、食卓《しよくたく》の一端《いつたん》には、櫻木大佐《さくらぎたいさ》は二三の重立《おもだ》つた水兵《すいへい》を相手《あひて》に、談話《はなし》に耽《ふけ》つて居《を》つたが、吾等《われら》の姿《すがた》を見《み》るより、笑《えみ》を此方《こなた》に向《む》け
『武村《たけむら》が、とう/\御安眠《ごあんみん》を妨害《ぼうがい》しましたね。』と、水兵《すいへい》に命《めい》じて二個《にこ》の倚子《ゐす》を近寄《ちかよ》せた。
食卓《テーブル》の對端《むかふ》には、武村兵曹《たけむらへいそう》他《ほか》三名《さんめい》の水兵《すいへい》が行儀《ぎようぎ》よく列《なら》び、此方《こなた》には、日出雄少年《ひでをせうねん》を中《なか》に挿《はさ》んで、大佐《たいさ》と私《わたくし》とが右《みぎ》と左《ひだり》に肩《かた》を並《なら》べて、頓《やが》て晩餐《ばんさん》は始《はじ》まつた。洋燈《らんぷ》の光《ひかり》は煌々《くわう/\》と輝《かゞや》いて、何時《いつ》の間《ま》にか、武骨《ぶこつ》なる水兵等《すいへいら》が、優《やさ》しい心《こゝろ》で飾立《かざりた》てた挿花《さしばな》や、壁間《かべ》に『歡迎《ウエルカム》』と巧妙《たくみ》に作《つく》られた橄欖《かんらん》の緑《みどり》の葉《は》などを、美《うつ》くしく照《てら》して居《を》る。かゝる孤島《はなれじま》の事《こと》だから、御馳走《ごちさう》は無《な》いがと大佐《たいさ》の言譯《いひわけ》だが、それでも、料理方《れうりかた》の水兵《すいへい》が大奮發《だいふんぱつ》の由《よし》で、海鼈《すつぽん》の卵子《たまご》の蒸燒《むしやき》や、牡蠣《かき》の鹽※[#「睹のつくり/火」、第3水準1−87−52]《しほに》や、俗名《ぞくめう》「イワガモ」とかいふ此《この》島《しま》に澤山《たくさん》居《を》る鴨《かも》に似《に》て、一層《いつそう》味《あぢ》の輕《かろ》い鳥《とり》の丸燒《まるやき》などはなか/\の御馳走《ごちさう》で、今《いま》の私《わたくし》の身《み》には、世界《せかい》第一《だいいち》のホテルで、世界《せかい》第一《だいいち》の珍味《ちんみ》を供《きよう》せられたよりも百倍《ひやくばい》も※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]《うれ》しく感《かん》じた。晩餐後《ばんさんご》、喫茶《きつちや》がはじまると、櫻木大佐《さくらぎたいさ》をはじめ同席《どうせき》の水兵等《すいへいら》は、ひとしく口《くち》を揃《そろ》へて『御身《おんみ》が此《この》島《しま》へ漂着《へうちやく》の次第《しだい》を悉《くわ》しく物語《ものがた》り玉《たま》へ。』といふので、私《わたくし》は珈琲《カフヒー》を一口《ひとくち》飮《の》んで、徐《おもむ》ろに語《かた》り出《だ》した。
先《ま》づ、私《わたくし》が世界《せかい》漫遊《まんゆう》の目的《もくてき》で、横濱《よこはま》の港《みなと》を出港《ふなで》した事《こと》から、はじめ米國《ベイこく》に渡《わた》り、それより歐羅巴《エウロツパ》諸國《しよこく》を遍歴《へんれき》した次第《しだい》。伊太利《イタリー》の國《くに》子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]港《かう》で、圖《はか》らずも昔《むかし》の學友《がくいう》、今《いま》は海外《かいぐわい》貿易商會《ぼうえきしやうくわい》の主人《しゆじん》として、巨萬《きよまん》の富《とみ》を重《かさ》ねて居《を》る濱島武文《はまじまたけぶみ》に邂逅《めぐりあ》ひ、其處《そこ》で、彼《かれ》が妻《つま》なる春枝夫人《はるえふじん》と其《その》愛兒《あいじ》日出雄少年《ひでをせうねん》とに對面《たいめん》なし、不思議《ふしぎ》なる縁《えにし》につながれて、三人《みたり》は日本《につぽん》へ皈《かへ》らんと、弦月丸《げんげつまる》に同船《どうせん》した事《こと》、出帆《しゆつぱん》前《まへ》、亞尼《アンニー》といへる御幣擔《ごへいかつ》ぎの伊太利《イタリー》の老女《らうぢよ》が、船《ふね》の出帆《しゆつぱん》が魔《ま》の日《ひ》魔《ま》の刻《こく》に當《あた》るとて、切《せつ》に其《その》夜《よ》の出發《しゆつぱつ》を止《と》めた事《こと》。怪《あやし》の船《ふね》の双眼鏡《さうがんきやう》一件《いつけん》、印度洋上《インドやうじやう》の大遭難《だいさうなん》の始末《しまつ》、其時《そのとき》春枝夫人《はるえふじん》の殊勝《けなげ》なる振舞《ふるまひ》、さては吾等《われら》三人《みたり》が同時《どうじ》に、弦月丸《げんげつまる》の甲板《かんぱん》から海中《かいちう》に飛込《とびこ》んだのに拘《かゝは》らず、春枝夫人《はるえふじん》のみは行方《ゆくかた》知《し》れずなつた事《こと》、それより漂流中《へうりうちう》いろ/\の艱難《かんなん》を經《へ》て、漸《やうや》く此《この》島《しま》へ漂着《へうちやく》した迄《まで》の有樣《ありさま》を脱漏《おち》もなく語《かた》ると、聽《き》く人《ひと》、或《あるひ》は驚《おどろ》き、或《あるひ》は嘆《たん》じ、武村兵曹《たけむらへいそう》は木像《もくぞう》のやうになつて、眼《め》を巨大《おほき》くして、息《いき》をも吐《つ》かず聽《き》いて居《を》る、其他《そのた》の水兵《すいへい》も同《おな》じ有樣《ありさま》。
語《かた》り終《をは》つた時《とき》、櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は靜《しづ》かに顏《かほ》を上《あ》げた。
『實《じつ》に、君《きみ》の經歴《けいれき》は小説《せうせつ》のやうです。』と言《い》つた儘《まゝ》、暫時《しばし》私《わたくし》の顏《かほ》を瞻《なが》めて居《を》つたが、物語《ものがたり》の中《うち》でも、春枝夫人《はるえふじん》の殊勝《けなげ》なる振舞《ふるまひ》には、少《すく》[#ルビの「すく」は底本では「すな」]なからず心《こゝろ》を動《うご》かした樣子《やうす》。特《こと》に櫻木大佐《さくらぎたいさ》は、春枝夫人《はるえふじん》の令兄《れいけい》なる松島海軍大佐《まつしまかいぐんたいさ》とは、兄弟《きやうだい》も及《およ》ばぬ親密《しんみつ》なる間柄《あひだがら》で、大佐《たいさ》がまだ日本《につぽん》に居《を》つた頃《ころ》は始終《しじう》徃來《わうらい》して、其頃《そのころ》、乙女《おとめ》であつた春枝孃《はるえじやう》とは、幾度《いくたび》も顏《かほ》を合《あは》した事《こと》もある相《さう》で、今《いま》其《その》美《うる》はしく殊勝《けなげ》なる夫人《ふじん》が、印度洋《インドやう》の波間《なみま》に見《み》えずなつたと聞《き》いては、他事《ひとごと》と思《おも》はれぬと、そゞろに哀《あわれ》を催《もよう》したる大佐《たいさ》は、暫時《しばらく》して口《くち》を開《ひら》いた。
『けれど、私《わたくし》は常《つね》に確信《かくしん》して居《ゐ》ます、天《てん》には一種《いつしゆ》の不思議《ふしぎ》なる力《ちから》があつて、身《み》も心《こゝろ》も美《うつ》くしき人《ひと》は、屡々《しば/″\》九死《きゆうし》の塲合《ばあひ》に瀕《ひん》しても、意外《いぐわい》の救助《すくひ》を得《う》る事《こと》のあるものです。』と言《い》ひながら今《いま》しも懷《なつ》かしき母君《はゝぎみ》の噂《うわさ》の出《い》でたるに、逝《ゐ》にし夜《よ》の事《こと》ども懷《おも》ひ起《おこ》して、愁然《しゆうぜん》たる日出雄少年《ひでをせうねん》の頭髮《かしら》を撫《な》でつゝ
『私《わたくし》はどうも春枝夫人《はるえふじん》は、其後《そのゝち》無事《ぶじ》に救《すく》はれた樣《やう》に想《おも》はれる。此樣《こん》な事《こと》を云《い》ふと妙《めう》だが、人《ひと》は[#「人《ひと》は」は底本では「人《ひと》はは」]一種《いつしゆ》の感應《かんおう》があつて、私《わたくし》の如《ごと》きは昔《むかし》からどんな遠方《えんぽう》に離《はな》れて居《を》る人《ひと》でも、『あの人《ひと》は未《ま》だ無事《ぶじ》だな』と思《おも》つて居《を》る人《ひと》に、死《しん》だ例《ためし》はないのです。それで、私《わたくし》は今《いま》、春枝夫人《はるえふじん》が波間《なみま》に沈《しづ》んだと聞《き》いても、どうも不幸《ふこう》なる最後《さいご》を遂《と》げられたとは思《おも》はれない、或《あるひ》は意外《いぐわい》の救助《すくひ》を得《え》て、子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]なる良君《をつと》の許《もと》へ皈《かへ》つて、今頃《いまごろ》は却《かへつ》て、君等《きみら》の身《み》の上《うへ》を憂慮《うれひ》て居《を》るかも知《し》れませんよ。』と言葉《ことば》を切《き》つて、淋《さび》し相《さう》に首《くび》項垂《うなだ》れて居《を》る日出雄少年《ひでをせうねん》の項《うなじ》に手《て》を掛《か》け
『それに就《つ》けても、惡《にく》む可《べ》きは海賊船《かいぞくせん》の振舞《ふるまひ》、かゝる惡逆無道《あくぎやくむだう》の船《ふね》は、早晩《はやかれおそかれ》木葉微塵《こつぱみぢん》にして呉《く》れん。』と、明眸《めいぼう》に凛乎《りんこ》たる光《ひかり》を放《はな》つと、聽《き》く日出雄少年《ひでをせうねん》は、プイと躍立《とびた》つて。
『眞個《ほんとう》に/\、海軍《かいぐん》の叔父《おぢ》さんが海賊船《かいぞくせん》を退治《たいぢ》するなら、私《わたくし》は敵《てき》の大將《たいしやう》と勝負《しようぶ》を决《けつ》しようと思《おも》ふんです。』
『其處《そこ》だツ、日本男兒《につぽんだんじ》の魂《たましひ》は――。』と木像《もくぞう》のやうに默《だま》つて居《を》つた武村兵曹《たけむらへいそう》は不意《ふい》に叫《さけ》んだ。
『其時《そのとき》は、此《この》武村新八郎《たけむらしんぱちらう》が先鋒《せんぽう》ぢや/\。』と威勢《いせい》よくテーブルの上《うへ》を叩《たゝ》き廻《まわ》すと、皿《さら》は跳《をど》つて、小刀《ナイフ》は床《ゆか》に落《お》ちた。それから、例《れい》の魔《ま》の日《ひ》魔《ま》の刻《こく》の一件《いつけん》に就《つ》いては、水兵《すいへい》一同《いちどう》は私《わたくし》と同《おな》じ樣《やう》に、無※[#「(禾+尤)/上/日」、160−9]《ばか》な話《はなし》だと笑《わら》つてしまつたが、獨《ひとり》櫻木大佐《さくらぎたいさ》のみは笑《わら》はなかつた。無論《むろん》、縁起的《えんぎてき》には、其樣《そん》な事《こと》は信《しん》ぜられぬが、かの亞尼《アンニー》とかいへる老女《らうぢよ》は、何《なに》かの理由《わけ》で、海賊船《かいぞくせん》が弦月丸《げんげつまる》を狙《ねら》つて居《を》る事《こと》をば、豫《あらかじ》め知《し》つて居《を》つたのかも知《し》れぬ。それが或《ある》事情《じじやう》の爲《た》めに明言《めいげん》する事《こと》も出來《でき》ず、さりとて主家《しゆか》の大難《だいなん》を知《し》らぬ顏《かほ》に打※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、161−2]《うちすぎ》るにも忍《しの》びで、かくは縁起話《えんぎばなし》に托言《かこつ》けて、其《その》夜《よ》の出發《しゆつぱつ》を止《とゞ》めたのかも知《し》れぬ。と語《かた》つた。成程《なるほど》斯《か》う聽《き》いて見《み》れば、私《わたくし》も思《おも》ひ當《あた》る節《ふし》の無《な》いでもない。また、海賊船《かいぞくせん》海蛇丸《かいだまる》の一條《いちじやう》については、席上
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