處《ところ》は其處《そこ》ではあるまいか、行《ゆ》く道中《みち/\》、大佐《たいさ》はさま/″\の事《こと》を私《わたくし》に問《と》ひかけた。けれど、私《わたくし》は大佐《たいさ》の今《いま》の境遇《きやうぐう》に就《つ》いては、一言《いちげん》も問《とひ》を發《はつ》しなかつた。差當《さしあた》つて尋《たづ》ねる必要《ひつよう》も無《な》く、また容易《ようゐ》ならざる大佐《たいさ》の秘密《ひみつ》をば、輕率《けいそつ》に問《と》ひかけるのは、却《かへつ》て禮《れい》を失《しつ》すると思《おも》つたからで。然《しか》し先夜《せんや》の反古《はご》新聞《しんぶん》の記事《きじ》から推及《すいきふ》して、大佐《たいさ》が今《いま》現《げん》に浮世《うきよ》の外《そと》なる此《この》孤島《はなれじま》に在《あ》る事《こと》、また今《いま》も聽《きこ》ゆる鐵《てつ》の響《ひゞき》などから考《かんが》へ合《あ》はせると朧《おぼろ》ながらもそれと思《おも》ひ當《あた》る節《ふし》の無《な》いでもない。櫻木海軍大佐《さくらぎかいぐんたいさ》は今《いま》[#ルビの「いま」は底本では「いは」]や此《この》島《たう》中《ちゆう》に身《み》を潜《ひそ》めて[#「身《み》を潜《ひそ》めて」は底本では「身《み》をを潜《ひそ》めて」]兼《かね》て企《くわだ》つるといふ、軍事上《ぐんじじやう》の大發明《だいはつめい》に着手《ちやくしゆ》して居《を》るのではあるまいか。讀者《どくしや》諸君《しよくん》も恐《おそ》らく此邊《このへん》の想像《さうぞう》は付《つ》くだらう。
猛狒《ゴリラ》と大奮鬪《だいふんとう》の塲所《ばしよ》から凡《およ》そ七八|町《ちやう》も歩《あゆ》んだと思《おも》ふ頃《ころ》、再《ふたゝ》び海《うみ》の見《み》える所《ところ》へ出《で》た。それから、丘陵《をか》二つ越《こ》え、一筋《ひとすぢ》の清流《ながれ》を渡《わた》り、薄暗《うすくら》い大深林《だいしんりん》の間《あひだ》を※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、149−7]《す》ぎ、終《つひ》に眼界《がんかい》の開《ひら》くる所《ところ》、大佐《たいさ》の家《いへ》を眺《なが》めた。
大佐《たいさ》の家《いへ》は、海面《かいめん》より數百尺《すひやくしやく》高《たか》き斷崖《だんがい》の上《うへ》に建《たて》られ、前《まへ》は果《はて》しなき印度洋《インドやう》に面《めん》し、後《うしろ》は美麗《びれい》なる椰子《やし》の林《はやし》に蔽《おほ》はれて居《を》る。勿論《もちろん》、此樣《こん》な絶島《ぜつたう》の事《こと》だから、决《けつ》して立派《りつぱ》な建築《たてもの》ではない、けれど可《か》なり巨大《おほき》な板家《いたや》で、門《もん》には海軍《かいぐん》の家《いへ》と筆太《ふでぶと》に記《しる》され、長《なが》き、不恰好《ぶかくかう》な室《へや》が何個《いくつ》も並《なら》んで見《み》へるのは、部下《ぶか》卅七|名《めい》の水兵等《すいへいら》と同居《どうきよ》の爲《ため》だらう。二階《にかい》に稍《や》や體裁《ていさい》よき三個《みつつ》の室《へや》、其《その》一室《ひとま》の窓《まど》に、白《しろ》い窓掛《まどかけ》が風《かぜ》に搖《ゆる》いで居《を》る所《ところ》は、確《たしか》に大佐《たいさ》の居間《ゐま》と思《おも》はるゝ。
吾等《われら》が其《その》家《いへ》に近《ちか》づいた時《とき》、日出雄少年《ひでをせうねん》を肩《かた》にした武村兵曹《たけむらへいそう》は一散《いつさん》に走《はし》つて行《い》つて、快活《くわいくわつ》な聲《こえ》で叫《さけ》んだ。
『サア、皆《みな》の水兵《ものども》出《で》た/\、大佐閣下《たいさかくか》のお皈《かへ》りだよ、それに、珍《めづ》らしい賓人《おきやくさん》と、可愛《かあい》らしい少年《せうねん》とが御坐《ござ》つた、早《はや》く出《で》て御挨拶《ごあいさつ》申《まう》せ/\。』
聲《こえ》に應《おう》じて、家《いへ》に殘《のこ》つて居《を》つた一團《いちだん》の水兵《すいへい》は一同《みな》部室《へや》から飛《と》んで出《で》た。いづれも鬼神《きじん》を挫《ひし》がんばかりなる逞《たく》ましき男《をとこ》が、家《いへ》の前面《ぜんめん》に一列《いちれつ》に並《なら》んで、恭《うやうや》しく敬禮《けいれい》を施《ほどこ》した。武村兵曹《たけむらへいそう》は彼等《かれら》の仲間《なかま》でも羽振《はぶ》りよき男《をとこ》、何《なに》か一言《ひとこと》二言《ふたこと》いふと、勇《いさ》ましき水兵《すいへい》の一團《いちだん》は、等《ひと》しく帽《ぼう》を高《たか》く飛《とば》して、萬歳《ばんざい》を叫《さけ》んだ、彼等《かれら》は其《その》敬愛《けいあい》する櫻木大佐《さくらぎたいさ》の知己《ちき》たる吾等《われら》が、無事《ぶじ》に此《この》島《しま》に上陸《じやうりく》したる事《こと》を祝《しゆく》して呉《く》れるのであらう。大佐《たいさ》は此樣《このさま》を見《み》て微笑《びせう》を泛《うか》べた。
『實《じつ》に感謝《かんしや》に堪《た》えません。』と私《わたくし》は不測《そゞろ》に※[#「りっしんべん+喜」、第4水準2−12−73]涙《うれしなみだ》の流《なが》るゝを禁《きん》じ得《え》なかつた。無邪氣《むじやき》なる日出雄少年《ひでをせうねん》は眼《め》をまんまる[#「まんまる」に傍点]にして、武村兵曹《たけむらへいそう》の肩上《かた》で躍《をど》ると。快活《くわいくわつ》なる水兵《すいへい》の一群《いちぐん》は其《その》周圍《まわり》を取卷《とりま》いて、『やあ、可愛《かあひ》らしい少年《せうねん》だ、乃公《おれ》にも借《か》せ/\。』と立騷《たちさわ》[#ルビの「たちさわ」は底本では「ちちさわ」]ぐ、櫻木大佐《さくらぎたいさ》は右手《めて》を擧《あ》げて
『これ、水兵《すいへい》、少年《せうねん》は痛《ひど》く疲勞《つかれ》て居《を》る、あまり騷《さわ》いではいかぬ』と打笑《うちえ》みつゝ
『それより急《いそ》ぎ新客《しんきやく》の部室《へや》の仕度《したく》をせよ、部室《へや》は二階《にかい》の第二號室《だいにがうしつ》――余《よ》の讀書室《どくしよしつ》を片付《かたづ》けて――。』と。
斯《か》く命《めい》じ終《をは》つた大佐《たいさ》は、武村兵曹《たけむらへいそう》の肩《かた》から日出雄少年《ひでをせうねん》を抱《いだ》き寄《よ》せ、私《わたくし》に向《むか》つて
『一先《ひとま》づ私《わたくし》の部室《へや》へ。』と前《さき》に立《た》つた。
導《みちび》かるゝまゝに入込《いりこ》んだのは、階上《にかい》の南端《なんたん》の一室《ひとま》で、十|疊《じやう》位《ぐら》いの部室《へや》、中央《ちうわう》の床《ゆか》には圓形《えんけい》のテーブルが据《す》へられ、卓上《たくじやう》には、地球儀《ちきゆうぎ》や磁石《じしやく》の類《るゐ》が配置《はいち》され、四邊《あたり》の壁間《かべ》には隙間《すきま》も無《な》く列國《れつこく》地圖《ちづ》の懸《か》けられてあるなど、流石《さすが》に海軍士官《かいぐんしくわん》の居室《ゐま》と見受《みう》けられた。
大佐《たいさ》の好遇《かうぐう》にて、此處《こゝ》で、吾等《われら》は水兵等《すいへいら》が運《はこ》んで來《き》た珈琲《カフヒー》に咽《のど》を霑《うる》ほうし、漂流《へうりう》以來《いらい》大《おほい》に渇望《かつぼう》して居《を》つた葉卷煙葉《はまきたばこ》も充分《じゆうぶん》に喫《す》ひ、また料理方《れうりかた》の水兵《すいへい》の手製《てせい》の由《よし》で、極《きは》めて形《かたち》は不細工《ぶさいく》ではあるが、非常《ひじやう》に甘味《うま》い菓子《くわし》に舌皷《したつゞみ》打《う》ちつゝ、稍《や》や十五|分《ふん》も※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、152−10]《すぎ》たと思《おも》ふ頃《ころ》、時計《とけい》は午後《ごご》の六時《ろくじ》を報《ほう》じて、日永《ひなが》の五|月《ぐわつ》の空《そら》も、夕陽《ゆふひ》西山《せいざん》に舂《うすつ》くやうになつた。
此時《このとき》大佐《たいさ》は徐《しづ》かに立上《たちあが》り、私《わたくし》に向《むか》ひ
『吾等《われら》は之《これ》より一定《いつてい》の職務《しよくむ》があるので、暫時《しばらく》失敬《しつけい》、君等《きみら》は後《のち》に靜《しづか》に休息《きうそく》し玉《たま》へ、私《わたくし》は八|時《じ》※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、153−3]《すぎ》再《ふたゝ》び皈《かへ》つて來《き》て、晩餐《ばんさん》をば共《とも》に致《いた》しませう。』と言《い》ひ殘《のこ》して何處《いづく》ともなく立去《たちさ》つた。
後《あと》へ例《れい》の快活《くわいくわつ》なる武村兵曹《たけむらへいそう》がやつて來《き》て、武骨《ぶこつ》なる姿《すがた》に似《に》ず親切《しんせつ》に、吾等《われら》の海水《かいすい》に染《し》み、天日《てんぴ》に焦《こが》されて、ぼろ/\になつた衣服《ゐふく》の取更《とりか》へやら、洗湯《せんたう》の世話《せわ》やら、日出雄少年《ひでをせうねん》の爲《ため》には、特《こと》に小形《こがた》の「フランネル」の水兵服《すいへいふく》を、裁縫係《さいほうがゝり》の水兵《すいへい》に命《めい》ずるやら、いろ/\取計《とりはか》らつて呉《く》れる、其間《そのま》に、大佐《たいさ》より命令《めいれい》のあつた吾等《われら》の居室《ゐま》の準備《じゆんび》も出來《でき》たので、其處《そこ》に導《みちび》かれ、久々《ひさ/″\》にて寢臺《ねだい》の上《うへ》へ横《よこたは》つた。はじめの間《あひだ》は日出雄少年《ひでをせうねん》も私《わたくし》も互《たがひ》に顏《かほ》を見合《みあは》せては此《この》不思議《ふしぎ》なる幸運《かううん》をよろこび、大佐等《たいさら》の懇切《こんせつ》なる待遇《もてなし》を感謝《かんしや》しつゝ、いろ/\と物語《ものがた》つて居《を》つたが、何時《いつ》か十|數日《すうにち》以來《いらい》の烈《はげ》しき疲勞《つかれ》の爲《た》めに、知《し》らず/\深《ふか》き夢《ゆめ》に落《お》ちた。
第十三回 星影《ほしかげ》がちら/\
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歡迎《ウエルカム》――春枝夫人は屹度死にません――此新八が先鋒ぢや――浪の江丸の沈沒――此島もなか/\面白いよ――三年の後
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それから幾時間《いくじかん》眠《ねむ》つたか知《し》らぬが、不意《ふゐ》に私《わたくし》の枕邊《まくらもと》で
『サア、賓客《おきやくさん》、もう暗《くら》くなりましたぜ、大佐閣下《たいさかくか》もひどくお待兼《まちかね》で、それに、夕食《ゆふしよく》の御馳走《ごちさう》も悉皆《すつかり》出來《でき》て、料理方《れうりかた》の浪三《なみざう》めが、鳥《とり》の丸燒《まるやき》が黒焦《くろこげ》になるつて、眼玉《めだま》を白黒《しろくろ》にして居《ゐ》ますぜ。』と大聲《おほごゑ》に搖醒《ゆりさま》すものがあるので、愕《おどろ》いて目《め》を醒《さま》すと、此時《このとき》日《ひ》は全《まつた》く暮《く》れて、部室《へや》の玻璃窓《がらすまど》を透《たう》して、眺《なが》むる海《うみ》の面《おも》には、麗《うる》はしき星影《ほしかげ》がチラ々々と映《うつ》つて居《を》つた。
私《わたくし》を呼醒《よびさま》したのは快活《くわいくわつ》なる武村兵曹《たけむらへいそう》であつた。其《その》右手《めて》に縋《すが》つて、可憐《かれん》なる日出雄少年《ひでをせうねん》はニコ/\しながら
『叔父《おぢ》さん、私《わたくし》はもう顏《かほ》を洗《あら》つて來《き》ましてよ。』と、睡醒《ねざめ》
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